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近況

久しぶりにnoteを開いた。
しばらく更新していない。
何を書けばいいのかわからなくなってしまって

毎日つけているアナログ版「共病日記」を見ながら4月からを振り返ってみる。そうする意味はあるのか、、、多分ない。自分でペラペラめくって振り返ればいい話。だけど、しばらく更新がされていなくてそのまま自然消滅、、が嫌だからでしかない。そして今週末は時間がありすぎるので

4月頭に、引っ越しをして、入学して、一人暮らしが始まったわけです。
ひとりになって2日目に、精神的に崩れて大泣きしてその日、高校の友達ふたりに電話をかけている。かなり助けられた、、、泣き顔のまま学校へ行った。それを見兼ねて、というか自分から話したところ、祖母が1週間面倒を見に、きてくれることになる。狭いワンルームに祖母とふたり。なかなか楽しかった。祖母が帰ってから、平日はなんとか乗り切り、週末になると誰かしら泊まりに来てくれた。ひとり暮らしとは呼べない生活をしていた。助けられてばかりね

5月、ひとりでふらふらと出かけることができるようになる。でも、だいたい「眠れない」「胃痛」「お粥」の文字が並ぶ。14日、初帰省。通院のため。ひとりでの長旅(今まで普通にできてた)、なんとか帰られたけれど、疲れてしまってしばらく寝ていたみたい。帰省を終え、またひとりに戻って、虚無感と胃痛と不眠に襲われる日々でも、なんとか生活はできた。振り返ってみれば、友達と再会したり、展示を見に行ったり、充実しているように思えた。そして、バイトができない代わりにとりあえず内職をすることにした。

6月、2度目の引っ越しをした。幼い頃からの友人とルームシェアをすることにした。そして、少し学校を休む日が増えてしまっている。引っ越し直前だが、ある日は自傷をして、次の日には精神科へ駆け込んだ。抗不安薬が増え、目を閉じるとすぐに眠れる日が多くなった。それでも、胃痛が続き、初めて胃カメラを飲んだり、近くの精神科を探して通ったり、生活費のほとんどが医療費に消え、悲しくなった(自立支援の受給者証を申し込んだ。その際にうつ病と診断された)。後半に、評価会のような大事な行事があり、前日の準備はなんとかできたが、当日は前日から続いた微熱(のちにPMSか、と気づいた。コロナではない)で休んでしまったので、成績がどうなることやら全くわからない(大丈夫でしょうか)。私はPMSのせいでかなり精神的に乱れるらしい。6月末、大泣きしながら、軽く自傷をしてしまう日があった。それで頓服の薬が変更された。6月頭のことがあってから、心配して叔母が頻繁に電話をくれるようになった...ありがたい。元気な日は、ひとりで映画を観に行ったり、同居人さんと生活用品を揃えるために買い物へ出かけたり河川敷で歌ったり、、そう悪い日ばかりでもなかったよ

7月、1日にまた自傷をし、悲惨な状況(血まみれ)になり正当な判断が出来ずに119番を押していた。大した怪我ではないため、病院へは行かなかったが、初めて救急車を呼んだ。こんなご時世になんてことをしているんだろう、救急隊の人に申し訳ない。脚は今もまだアザだらけである。そんなことがあって、その週末、帰省を余儀なくされた。そして、また薬が変更になった。前回より強め。きっと、合う薬と量を知りたくていろいろ試してみているのだろうな、と思った。だがその日、間違えて2錠飲んでしまい、(食後と就寝前をいっしょに飲んでしまう)次の日が地獄だった。フラフラで起きていられず、頭痛、眠気、だるさがひどく、まるで昏睡状態。起きたら昼をとうに過ぎていて、全く連絡がつかないために父母に大変な心配をかけてしまった。その日を境に、こっちに来てから処方された薬を全て捨てた。ほんと一体全体なにをしているんだろう、、、


わ、意外とさらっと振り返られた気がする…けど文字数見たらそうでもないか、、、。

「暮らす」って難しいな...と思う。「生きる」はできても、「暮らす」ができないと感じる。2ヶ月も経たないうちにひとり暮らしをリタイア。119番を押してしまったその夜、父に、もう実家へ帰ってきたら。と、提案された。それでも、せっかくやると決めてこっちへ来たのだから、頑張らせてほしい。と頼んだ。再来週、また通院帰省をすることになっている。車でお迎えなので安心。それと、かなり助けられているのは病気を知っている友達が電話かけるとすぐに出てくれること、、
友達もいて、やりたいことをしていて、家族も仲が良くて、こんなに恵まれていてこんなに自由があって、どこに不満があるんだろうね??と、よく父と話す。どこになにがつっかえているんだろう…

今日はいい天気だから昨日と比べたら憂鬱じゃない日だ。のんびりベッドに寝転びながら



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