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あれはたしか11月だった
村上龍の文章だったと思う。
「美しいものと一緒にいると、自分は間違ってないと思える」
共感する一方で、美しいものと共存するのは自分の浅はかさや陳腐さが浮き彫りになるようで、立ちくらみもする。影に潜んでいたのを初めて照らし出されたみたいだ。
生きれば生きるほど出来ることが増えていくように感じるけれど、同じぐらい何が出来ないかも思い知らされる。
向き合わなきゃいけないことが山ほどある。漠然や曖昧を超えて、手に入れなきゃならないものがある。
世の中には途方に暮れるほど凄い人たちがたくさんいる。今年は会いたいと思った人にとことん会いにいく一年にしたから、余計にそう感じる。露骨な才能と無自覚な高潔さを携えて、信じられない鍛錬を重ねてなおそこに安寧しない。
憧憬のまなざしを向けて豊かな時間を無責任に享受するのも勿論最高だ。
けれど、ほんとうに素敵なひとや表現に出会うと、自分を省みてもっと洗練しなくてはと思う。人としてもっと高めたくなる。
実像は強い。
情報として知っているのと、体感しているのでは解像度が違う。
その人は、淀みなく自分の想いを言葉にできるひとだった。根っこにあるものはなんだろうと探ってみたが、掴み取ることはできなかった。
わかりやすいように見えて、複雑だった。複雑にしているのはおれの頭の固さかもしれないし、彼女の滞ることのない思考の柔軟性かもしれなかった。おれはそんな複雑さが好きだと思った。
捕捉するのは難儀かもしれない。それでも、上辺だけすくってわかったような面だけはしたくない。
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