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眉村ちあき×斧出拓也 ツーマンライブ 下北沢の夜に再び音楽は交わる


かの有名な伝説的ドラマ『池袋ウエストゲートパーク』の最終話、カラーギャング同士の抗争が街全体を巻き込み、サンシャイン60のビルが見下ろす西口公園の広場で、黄色をチームカラーとしたGボーイズと、黒を象徴としたブラックエンジェルスが激突した。

仲間が殺され、血が流れ続ける抗争の末路に、互いのチームのトップがサシで喧嘩をして決着付けるという展開。

立ち会い人を頼まれながらも遅れて駆けつけた主人公の真島マコト(長瀬智也)は、両者の殴り合いを止めに入る。そんなマコトにGボーイズのキングこと安藤タカシ(窪塚洋介)は言い放つ。

「カッコつけてんなよ。これは俺達の問題なんだよ」

マコトは抗争の引き金となった背景には自分の恋人が絡んでいた真実を明かし「全部元はといえば俺の問題なんだ。お前らがケンカする理由にはならねえんだよ!もうこれ以上関係ねーやつが巻き添え食うのは見たくねーんだよ!」と食い下がる。

だがタカシはこう続ける。

「分かってんじゃん?ハナから俺達に理由なんかねーぞ? 殴りたいから殴りたいヤツ殴る。それだけ。いつだってシンプルだろ」



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私は今年の春頃から、作家、バンド、歌手、アイドル、役者、お笑い芸人とジャンル問わず、
「好きや尊敬を寄せる人たちには直接会いにいく」
「自分が心を動かされた表現にはお金や時間を割いて感謝と感想を伝える。直に会えなくともSNSで発信する。確かに受け取りました、届いているよ、と意思表示をする


可能なかぎりそれを徹底している。


それからというもの、今年の初めまで仕事やプライベートの諸々で、心身共にボロボロだった私の心や感性は細胞の隅々から活性化し、確実に蘇っていった。居場所も拠り所も増えた。


憧れの人も尊敬を寄せる人も、実在する。
メディア越しでもフィルター越しでもアクリル板越しでもないその実像を肉眼で捉え、肉声を聴き、想いを浴びることは比類のない栄養だ。生きていく上で何よりの原動力で、生きる糧だ。

伝えた想いは相手から反射する。それはまた自分の傷を癒し、次の時間へと連動する。

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9/8
眉村ちあき×斧出拓也ツーマンライブ。


下北沢ろくでもない夜がまだ屋根裏だった頃のこと。シャングリラがまだ下北沢ガーデンだった頃のこと。そんな印象がまだ強かった私の記憶はこの日を境に確実に更新された。

事前にこのツーマンがあることは知っていた。

ちょうど1ヶ月前の8/8、でか美ちゃん主催のでか美祭りで、初めて眉村ちあきのライブパフォーマンスを観て感動した私は、全国ツアーをまわっている彼女の予定を見て察した。

東京ですぐに観られる機会はここしかないんじゃないか。

でか美祭り以降、あの日出演者が披露した楽曲をプレイリストにしてよく聴いていた。

直近では、でか美ちゃん出演のTBSラジオ「こねくと 火曜日」で、メインパーソナリティの石山蓮華ちゃんの代打として眉村ちあきちゃんが出演していたのも聴いていた。お昼休みにちょうど聴けた『大丈夫』は、午後からの仕事を踏ん張るには十分すぎるほど絶妙な選曲だった。

金曜夜の仕事終わり、身体も頭もとにかく疲れ果てていた。なのにまるで私はそうすることが初めから当然だったかのように無理やり仕事を終わらせ、衝動と直感に任せるようにチケットを買った。18:40頃だった。

シャングリラに着いたのは19:30近くだった。



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開演に間に合わないと思っていたら、オープニングアクトがあったらしく、私が到着してまもなくステージに登場したのは、眉村ちあきだった
(なのでO.Aのアイアムアイさんは観られてません…)

でか美祭りの日とは表情の異なるセットリストは、ロック、POP、レゲエ、EDM、ヒップホップと超ジャンル。あの日は他の出演者のファンが多くいることも考慮された、フェス仕様のかなり分かりやすいキャッチーな選曲だったのかもしれない。

眉村さんは天真爛漫な笑顔と無邪気なエネルギーを溢れさせ、ポニーテールを揺らした。

先の読めない展開、オーディエンスの巻き込み方に煽り方、嬉々としたままナチュラルに一体感を作るステージは唯一無二。アドリブアレンジ速攻即興、まさにエチュード的ライブの極致。

歌はべらぼうにうまい。


ちなみにこの歌のうまさに関する言及は、でか美ちゃんが先述したラジオ内でほぼ最適解で言語化していた。

「歌手の方に言うのは当たり前かもしれないけど、それを持ってしてもうまいし"うまいでっせ"って歌声になっていないのがすごい。歌唱力が」「(棘もあるけどその)ちょっとした棘を音楽でしか出してないのも好き」

TBSラジオ「こねくと」より


これに尽きる。

歌の良さはステージで唄う人、ましてシンガーソングライターであればほぼ大前提。とはいえそれでも言いたくなる、触れずにはいられないうまさがある。
でか美ちゃんが言うように、尚且つ歌声からは自己満足も自惚れも感じさせず、しっかり体重が乗り、血が通い、人間性がほとばしっている。

私が本気で好きになる歌い手は大抵これを満たす。ライブになるとギアがさらに数段上がる。時に「マジで音源のまま!」っていう褒め方もあるが、まあそれはそれで感嘆はするものの、眉村ちあきクラスになると音源を裏切らない再現性はもとより、熱量も躍動感も突き抜け方も、明らかにこちらの想像の域を超えてくる。

本物が目の前にいる以上、生のバンドやPAさんの稼働、照明演出、オーディエンスの一体感すべて込みで、そりゃライブのほうが良いに決まっている。仮にそうでないアーティストがいるのならネットに溢れる写真のように、加工しすぎ盛りすぎ原型なさすぎ、なのである。

ライブはすべてがバレる。

音源や完成系としての作品が顔写真でいうところのフィルター&加工と修正だとしたら(作品として世に出す以上、それはそれで大切な技術でプロが関わっている大事な職人技だとは思う)、ライブはスッピン。バンドセット、音響や照明はいわばお化粧。単体の歌手であればあるほどそんな気はする。
人前に出る以上、化粧はするでしょう。寝癖直すとかコンタクト入れるとか髭剃るとか顔洗うとかもするじゃん。

眉村ちあきはスッピンも、お化粧も、完成形の作品も、どれも華やかで強度があり裏切りがない。まだライブはたった2回して観ていないのに、そんなふうに思う。眉村さんのは2回目でも、他のライブや舞台は足掛け15年ぐらい超幅広く観てきた自負はあるから、あながち的外れでもないだろう。

『おばあちゃんがサイドスロー』は、でか美ちゃんがでか美祭りの前に自身のラジオでフェス出演者の紹介も兼ねて流していた曲のひとつ。「当日やるかはわかんないけどね」と前置きしながら、この1発で記憶に残るタイトルと、曲を聴いてのギャップが眉村ちあき、というような評し方をたしかしていた。

でか美祭りでは披露されなかったこの曲をシャングリラでは聴くことが出来た。序盤からダンシングで心地ゆく揺れて踊れるナンバーが続き、これもまた先月とは違った味わいだった。

そしてエレキギターを装着した瞬間、また眉村ちあきは別の世界を創出させた。

「夏はこれから始まるのよ」と不適な笑みを浮かべて言っていたのも鮮明。

エレキからアコギに持ち替えても爆発力は増すばかりで切なさすら解き放つ。

また謎のユニコーンに乗ったり、森の動物を呼んだり。突如フロアに降り立っては中央で拳を突き上げ全員を巻き込んでいく。


まさに縦横無尽、天衣無縫。

途中、オーディエンスのひとりを取っ捕まえていきなり相撲を取ろう!と体当たりをして薙ぎ倒し「イカれてやがる。なんて自由で混沌とした無差別アタックだ!」と驚いた(あとから相撲を仕掛けられたのがオープニングアクトを務めたアイアムアイさんだと知って安堵した)

某ヒルナンデスへの八つ当たりや、目を見開いて口調が巻き舌になって棘を出す時間までもエンターテイメントで笑った。

フロアを駆け回ってハイタッチし、ステージからもファンと拳を突き合わせる。私もフロアの端っこにいたけどハイタッチをしてもらえた。
というか、あんなに拳を何度も突き上げ声を上げ、からだを縦にも横にも揺らしたライブは久しぶりだった。自然とそうさせられた。

お姫様、お嬢様、女王、少女、天使、妖精、DJアイドル、本物でしかない歌手。曲ごとにほんとうに冠は変わる。

最後の『旧石器PIZZA』の大団円まで素晴らしかった。



そんな眉村さんの後なんて誰が務まるのか。
そもそも彼女とのツーマンは負け戦に臨むような無謀さ。ましてや後攻。不利すぎる。

でか美祭りのときも眉村ちあきのパフォーマンスは圧巻で、M-1グランプリでいう爆発、うねり、「あ、優勝だわこれ」みたいな空気だった。

またすこし別のベクトルで矢口真里の『I WISH』、えいたその『でんでんぱっしょん』、主催でトリのでか美ちゃんのライブは素晴らしかったが、いわゆる"まゆむらー"以外の観客も巻き込んでうねりを生んだという意味では、眉村さんがあの日のベストパフォーマンスだった。

斧出拓也…?
知らんぞ。大丈夫か。
一部、眉村さん終わって帰ってる人たちもいたから不安になった。

私はお目当てとは違うバンドが、実は負けないぐらい良かった!ツーマンの場合はお目当てのバンドに関係性なり音楽性なりが近いバンドが出る。そんな経験を過去に何度もしてきたし、初めて観る人であれば尚のこと確かめておきたい!という思考回路なので、転換からの暗転を見守った。

青紫のスポットが当たり、アコギ片手にひとりそっと佇んでいた男は出だしから一瞬で自分の空気に引き寄せた。

伸びやかに拡大するような歌声をフロア全体に轟かせた。眉村ちあきの空気に負けるでもない、借りるでもない。無理やり変えるでも意識してるでもない。ただただ自分のライブをするだけ、という覚悟を孤高の雰囲気に匿って、うなるような伸びやかな弾き語りを披露した。

この1曲目が個人的には衝撃的だった。
ふとよぎったのは、眉村さんが事前のツイートで、2017年頃によく対バンしていた男で、他の人の良いライブを観ては泣いたこともあって、この斧出拓也もそのひとりだったと。

しんみりと静謐な雰囲気に一変させた斧出さんはバンドメンバー5人をステージに呼び、ここから一気にバンドスタイルに。

通常スタイルを知らないが、この変化にも驚いた。そこからフリースタイルラップ&ロックンロールフォークともいうべきか、彼もまた眉村さんがそうであったようにジャンルレスな曲を次々と繰り出した。誰っぽいとか、誰の影響とか、そんなの微塵も感じさせなかった。

あえて少し彷彿とさせたのが、なぜかNetflix限定配信映画『浅草キッド』の柳楽優弥だった。パフォーマンス中とMC中の雰囲気やキャラクターのギャップはまるで芸人さんのそれだった。

お祭り感、芸人感、バンドのフロントマン、演歌やフォーク、そのどれもがあるようでどれとも違う気がした。でか美祭りとかに出演したら絶対似合うし、必ずや盛り上げてくれる人だと思う。

トランプの歌(後から知った曲名は『君はハートのクイーンであって』)ではロマンチックな内容をいやらしさなく歌いあげ、女性の奏でるギターソロが美しく響いた。

『べっぴんさん』もインパクトありありで、特にドラムが心地よかった。

どこまでが本来の歌詞で、どこからが即興なのか境界が分からないのが初見の自分からするとワクワクした。

これらもすべて1曲目が完全にフリのように効いていて、あれが顎先をかすめる右ストレートで入っていたから、その後も脳がクラクラしながら良い意味で翻弄された。

次はどこからどんな角度で拳が、あるいはキックが、関節技が入るのか。この読めない魅力は眉村ちあきに負けず劣らない自在性だった。

バンドメンバーも皆華やかで美男美女。MCのときはぶっきらぼうな少年のような面影を残して周りに甘えたりツッコまれたりと、斧出拓也はカリスマ性があるようだった。この人と一緒に演奏するのは楽しいだろうなと思った。

斧出さんはまた同じステージに立つことができた眉村さんへの感謝を示しつつ、2017年頃を振り返り、いつの間にか(眉村ちあきは)遠く遠くにいってしまったと語った。

ゆえにまた同じ下北沢で、「お揃いの夜」を交えたことは感慨深い。そんな言葉を残した。

でも今日のライブを観る限り、そこまで大きく突き離されていないんじゃないのかと。
てかそもそもこの人はなぜ私のアンテナにその名前の文字面すら一度も引っ掛からなかったほど世に出てきてないのか。なぜもっと認知や人気を獲得していないのか不可解にすら映った。

私は帰りぎわ、斧出さんの物販に立ち寄ってそこでビールを飲みながらもお客さんにお礼を伝えたり声をかけたりしてる彼に感想を伝えた。

物販にはチェキがあったので、それを選んで、男の人とはかつて撮ったことのないチェキをお願いした。男性とチェキを撮るのは斧出さんが最初で最後かもしれない。握手もしてもらって、「1曲目ってなんてタイトルですか?」と聴いたら『霧』だと教えてくれた。

物腰柔らかく低姿勢で、顔はフロアから見るよりずっと端正で男前だった。チェキにメッセージを書いてくれてるとき、斧出さんが腕につけていたチープカシオの腕時計が目につき、それは自分がそのとき付けていたのと色違いで、ほぼお揃いだった。
すごいよな。



「サブスクにありますんで」と教えてくれた斧出拓也の曲は昨日も今日も聴いた。

世の中にはすごい人たちがまだまだたくさんいる。だから現場に行かないとダメだ。ライブハウスに行かなきゃダメだ。ライブハウスの存在価値について歌った斧出さんの曲は鳥肌もののパフォーマンスだった。


落語家の立川志の輔さんが以前、新聞のインタビューで語っていた言葉がある。

落語をはじめとした芸能の仕事は「生産性がないともいえる」「でも「(芸能のような)あってもなくてもいい仕事が、なくてはならない仕事に影響を及ぼす役割なのでは」

これは本当にそうで、あの日私をはじめ連勤の疲れなど気にせずに駆けつけた仕事終わりの人たち。台風など構わずに駆けつけた学生や家庭を守る人たち。一次産業に関わるような人だって来ていたかもしれない。

そんな人たちの日々の支えになるのが芸能で、カルチャーで、エンターテイメントだ。


最後の最後、斧出さんとバンドメンバーは、ポニーテールからツインテにした可愛らしい眉村さんをステージに呼び、ふたりでコラボレーションした。もはや虎と龍。がっぷり四つ。唯一無二の個性と歌うま歌手が、贅沢なバンドをバックに下北沢の夜にまたお揃いのTシャツを着て6年越しに交わった。


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それは池袋でもなく下北沢で、ギャングの抗争でもなくミュージシャンの対バンだったけれど、私はあらためて確信を得た。

会いたいから会いたい人に会いに行く。それだけ。いつだってシンプルだろ。


ミスチルがtommorow never knowsで歌うまでもなく

再び僕らは出逢うだろう
この長い旅路のどこかで


サポートが溜まったらあたらしいテレビ買います