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朝焼けが生み出す非日常について

 おはようございます。おはようでいいのかな、寝てない。
 春休みはとうの昔に終わったはずなのに、その頃と何ら変わらない堕落した生活を送っている。というか、今はテスト前である。こんなんでいいはずがない。

 ここ数日は(テスト勉強という建前のもと)寝不足だった。だから学校が午前で終わった昨日はたっぷり5時間ほど昼寝してしまった。
 その分夜は全く眠くなくて、結局3時とかまで通話していた、ごめんね。
 その後も寝付けなくて、インターネットを徘徊していた。ようやく寝ようと思えた頃、遮光カーテンの隙間から眩しい光が見えた。思わず時計を見る。4時……?まさか午後!?いやそんなはずはない。冷静に考えて夏至が近いし4時にはもう明るいだろう。何ならそのときには夜明けの群青の空ではなく白く霞んだ茜色だったからもっと前から朝だった可能性は大いにある。

 空が明るくなっているのに眠りにつくのはもったいなくて、悔しくて、でも眠いけどそれでも走り出したくて、親を起こさないようにそっと着替えて準備をした。
 なるべく音を立てないようにゆっくり鍵を回し、静かにドアを開けて外へ出た。ちょうど家の前に朝刊の配達員さんがいたので挨拶した。誰もいないだろうと思っていたので驚いてちょっと変な声になっていたかも。

 ちょうど青に切り替わった信号をスタートの合図にして私は走り出した。
 どこまでも感情のままに進みたい心と普段はその心についていけない老朽化した体が一瞬だけ和解して、私の長身を生かした美しいフォームで走っていた。たった数百メートルの間だけだが、私は主人公の走り方をしていたと思う。
 昨日の雨がわずかに残っているアスファルトをグダグダと踏みしめる。
 パステルカラーの空と、その中で依然として灯っているレトロなデザインの街灯が生み出す絶妙な、言うならば大正浪漫のような景色が好きだ。
 近所の、何度も見たこの景色が、まるでテーマパークのように別世界に見えてしまうこの時間が大好きだ。
 はるか昔、もう営業していたときの記憶がないほど昔に閉業した病院の出窓に飾ってある造花が新しくなっていて、勝手に廃墟だと思ってて申し訳ないと思った。

 まるで放課後のように明るいのに、あたりには誰もいない。この不思議な感覚に病みつきになってしまった。
 旅先の朝のように深呼吸したくなる、ああ、どこか遠いところに旅に出たい。旅なんて立派なものでなくてもいい、ただどこかに行きたい。非日常を摂取したい。
 早朝の空気は見慣れたはずの景色に新たな視点を与え、小さな非日常をもたらしてくれる。
 この非日常には依存性がある。

 初めて一人で学区外に出たあの日から私の世界は広がり始めた。当時は非日常だった電車も、今では毎日の生活で使う日常の一部になっている。そんな風に私の日常は拡大し続けている。
 ずっとこの街に住んでいるからわからないんだけど、もし引っ越したらその街も日常に変わるのかな。毎日のように旅行していたら旅行は日常になるのかな。
 すべてのものが日常になったらどうやって非日常を摂取すればいいんだろう、いやそんな日が来るとは思えないけどさ。
 始発列車が駆け抜けていった。

 どこかに行きたいと思いながら帰宅するという何たる矛盾。

 家について、テレビをつけた。よくわからないテレビショッピングが流れている。一人でいたいが繋がっていたい、そんな矛盾を満たすためにBSの生放送のニュースを見ている。
 ローカルではなく全国放送のため、知らない地域のニュースも見ることができた。嬉しい。普段はトップニュースがクマ出没とかなので、全然違う世界が広がっていて面白い。それから、全国の天気予報が等しく放送されているのであの辺って暑いんだ、みたいな発見があった。彼のいる街はどんな天気なのかな~と考えながら見るなどした。
 やっぱり旅に出たいよ。

 目前まで迫ったテストと向き合えていない。勉強しなきゃ。
 次のステップに踏み出すために、新たな日常を手にするためにも、もっと勉強しなくちゃ!

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