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【日記】本当の上級国民と話して

最近SNSやテレビなどで流行りの「上級国民」しかし

「旧華族」

と聞いて皆さんは何を思うでしょうか。

貴族や戦前の制度、皇室の藩屏、公爵や伯爵や男爵という歴史単語の用語の意味でも間違ってはないですし、

そもそも歴史に疎い人は、なんのこっちゃという人も多いはず。

実は自分の人生の中で、この旧華族の人関わった経験があり、色々と話す機会もありました。

今日はそんなネタで書いていこうと思います。


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①大名華族の同級生

自分が初めて「旧華族」の方と会ったのは18歳の大学1年生の春でした。

同じ大学で同じサークル、同い年の男の子でした。

自分は根っからの歴史オタクだったのでその子の苗字と名前の一文字(代々続いてる)見た瞬間まさか?と思いました。

自分から聞くのは正直失礼とは思いそのまま1か月くらい経っていたのですが食事をしている時、

同じサークルの同級生が「こいつ殿様の家なんよー」と話したのをきっかけに、自分も話かけることができ思っていることは正しかったんだなと感じました。

プロフィール的には

・旧大名家で江戸時代は万石級のお殿様(しかも本家で嫡男)

・明治以降は子爵家で華族

・今実家は特別な職業

という感じでした。


初めて見る「殿様・大名家・華族」という存在に自分は圧倒されましたが

当の本人は、気軽に話しかけてくれて一般の人と変わりない人でした。

それどころか本当にいい人で、大学から紹介された寮に入って1Kの生活、授業も真面目ですし

一緒にサークル活動や旅行に行ったときは肩を並べてたくさん飲んだり一緒の布団で寝たりしてました笑

でも自分からその出自に関しては絶対言わなかったですね。そこは一番印象に残ってます。

たぶん特別扱いされるのが一番嫌なのかなと感じました。どんな雑用でもいの一番にやってましたし。

ちなみに彼女はいなくて振られた事もあったそうで。 

時代が時代なら選び放題だろうになのになーと笑

でも「男の子を産む」という絶対条件みたいなのはあるでしょうしプレッシャーも半端ないんでしょうね・・・。

卒業してからはお互い忙しかったり遠かったりして中々会えていないのですが、自分の中では素晴らしい人です。


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②勲功華族のおばあさん

実はもう1人非常にお世話になった事のある華族の方がいます。

自分が新卒で仕事を辞めた時、あまりに残業と休日出勤で疲れてしまっていたので

休養&仕事探しのつなぎも兼ねて半年間の契約社員として働いた職場がありました。

職場は20人くらいでそこの一番のトップの方が今回お話する旧華族のおばあさんでした。


プロフィール的には

・亡くなった旦那さんは勲功華族(男爵家)

・おばあさんの実家も勲功華族(伯爵家)

・親戚縁者は政財界の名だたる方ばかり

で戦後の20代前半にご結婚されたそうです。

苗字を見た瞬間誰でもわかる感じなんですが、本当に素晴らしい方でしたね。

この方も先述の同級生と同様に決して自分の出自を自分から言わなかったですし、特別扱いが何よりも嫌いな方でした。

ご年配の方でしたが「自分でやれることは絶対に自分でやる、他人に絶対迷惑をかけない」というお考えの持ち主で

自分で職場の洗い物やトイレ掃除までもご自分の手でなさられていて、僕が「やりますよ」と言っても「いえいえ、自分にできることはこれくらしかないので大丈夫よ」と優しく笑顔でいつも仰られてました。

たまにお昼ごはんを一緒に取ることがあった時、旧華族の事など色々とお話してくれました。

「私の家はお金はたくさんあったけど、お殿様やお公家さんのような家柄はなかったから、成金とよく陰口を言われたものよ笑 爵位も一番下の男爵でしたしね。」

とさらっとすごいことを仰っていていたのが印象に残りました。

だけれどもノブレス・オブリージュをそのままにしたような方で、どんな人にも対等にそして気遣いを決して欠かさない方でした。

そんな中自分の出勤最終日に「ふぁんたさん、正直に生きること、嘘をつかないで生きれば必ずいい事が起こりますから、これからも頑張ってね」

と言われました。その瞬間涙が止まらなかったのと同時に人徳というのはこういうものなのかと感じました。


おわりに

旧華族の方と同じように「謙遜する・決して奢らない、自分を甘やかさない」というのはいつも自分の心に持っておきたいなと数年経った今もずっと思いながら生きています。

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