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企業ファンサイト2.0-08

『企業ファンサイト2.0-07』からの続きである。
「ブランドとは何か?」について語る前に、ブランドが生まれた背景、つまり今日の消費社会に至る流れをざっと確認したい。

そもそも市場(資本主義)を支える根本的な原理は、より良いものをより多く、そしてより安くという人間の欲望に基づいている。
この欲望を充足させる仕組みが準備されたのが、19世紀後半イギリスでの産業革命である。
この新しい技術の開発・導入、政治・経済そして民主主義的な社会と消費社会の出現を近代(モダン)デザインの視点で捉えたデザイン史家、柏木博によれば下記のような特徴を持っていると言及している。

・予算立て、つまり「経済的計画」を前提にしたエンジニアリングが進み、大量生産を前提としたデザインが確立した。
・デザインによって人々に新たな生活様式を提案した。
・「普遍性=ユニバーサル」、「インタナーショナル」なデザインを創出した。
・「消費への欲望を喚起する」デザインが実施された。

その完成形を示す事例が鉄道網(グレート・ウェスタン鉄道やリバプール・アンド・マンチェスター鉄道)の整備であり、鉄道エンジニアの先駆者として、ロバート・スティーブンソン(蒸気機関車の技術者ジョージ・スチーブンソンの息子で、土木技術者)やイザムバード・キングダム・ブルネル(鉄道車両設計者)、そしてとりわけジョセフ・ロックの功績は見逃せないと言う。
”いやむしろ、(ジョセフ・ロックは)今日につながるという意味では最も大きな影響力をもったエンジニアだった。それは、彼が「経済的計画」という正確な見積りを提示する方法を生み出したからである。工事にかかる時間・労働者数・材料原価など、経済的に裏付けられた計画を立てることが、この後あらゆる「生産活動」に反映されていった。(中略)この顕著な例として、ヘンリー・フォードがT型モデル車をベルトコンベア方式(組立工程や労働作業の組み込み)で生産した。このフォードのシステムは、社会全体を巨大な生産工場にしただけではなく、消費社会をも同時に作り出すこととなった。” 『デザインの教科書』柏木博著より、一部引用

すでに、資本主義のスタートのときからコモディティ化(大量生産と大量消費社会)という萌芽は埋め込まれていたのだ。

より少ないコストで、みんなが欲しがるものを作る人が、一番大きな果実を得る。
そしてそのことが、人間の欲望を満たし、社会をより良くする原動力にもなる。
だから、大多数が現在に至るまで、最善ではないにせよ少なくともいまのところマシな方法として、資本主義を採用してきたのだ。
しかし、同時に商品やサービスの差がなくなり、価格も限界を超えた競争を生みコモディティ化が起きてくる。
コモディティ化から逃れるための方法は、1つしかない。
差別化である。
しかし、それは機能や性能といった表層的な優位性によるものではない。
機能や性能はいずれキャッチアップされる。
では、なにを持って差別化するのか。

それは、企業としての志である。
他者(顧客)に対する矜持を持った所作といっても良い。
していいこと、してはいけないことを守ること。
例えば、雨ざらしになった牛乳を悪びれもせず市場に出したメーカーも、客にだした料理を当たり前のように使いまわして提供していた料亭も、最近の事例でいえば、老人をカモして不利益な保険を売りつけていた金融機関も、これまで多くの時間を使って積み上げてきた、ブランドを毀損した。
それは、取りも直さず「約束を違えた」からに他ならない。
平たく言えば「他者との約束」である。
僕は、ブランドとは?と問われれば、こう答えてきた。

これは規模の大小の問題ではない。
自分たちの、振る舞いと身の丈の有り様に対する矜持のあるか、なしか。
現状を見れば、いまだに多くの企業は、すべからく拡大再生産という欲望の拡張に加担することを正解としている。
欲望は、本質的に模倣から始まり連鎖する。
誰かが食べているから、自分も食べたくなる。
他人が貰っているから、自分も貰いたくなる。
隣の会社が拡張したから、張り合って大きくする。
1つの欲望を手に入れたとたん、新たな欲望の渇望が疼く。
まるで、映画『千と千尋の神隠し』(宮崎駿監督作品)に出てくるカオナシとそれに群がる湯屋の人々のように・・・。
もともと欲望は他者の模倣であるから際限もなく、そして満たされることもない。
だから到底、欲望では自分の心を満たすことなどできない。

”子曰く、由や、女(なんじ)に之を知るをおしえんか。之を知るをば之を知ると為し、知らざるを知らずと為す。これ知るなり。”『論語』

知性ある人とは、何かを知っていると吹聴する人ではなく、何が知らないのかを知り、そのことに謙虚になれる人のことである。

いまや「集まったお金とモノを自由にやりとりすることを、市場にまかせておけば自然と上手くいく」というイデオロギーが、軋みはじめている。
加えて、富裕層と貧困層の格差があまりに拡がり看過できない状況になっている。
オックスファムリポートによれば、2020年現在10億ドル保有者2153人(平均保有額は4400億円)の富は、世界の下位6割の46億人(平均保有額は14万円弱)の合計より多い。
さらに言えば、先進国と開発途上国の格差だけではなく、先進国、開発途上国をとわずそれぞれの国内における格差もますます拡大している。
これまで、私利の追求という考え方が肯定されることで、最善ではないがセカンドベストな仕組みとして資本主義が機能してきたことも承知している。
しかし、これから人やエネルギーを(これまで、いわば地球資源を無限に搾取して成長してきたが)持続可能なものとして担保しながら、拡大と成長の一本道を歩き続けることが出来るのか?

このことに関して、刺激的な言及をしている水野和夫著『資本主義の終焉と歴史の危機』から引用する。
”もう資本主義というシステムは老朽化して、賞味期限が切れかかっています。しかも、二十一世紀のグローバリゼーションによって、これまでの先進国が享受してきた豊かさを新興国も追い求めるようにまりました。そうなれば、地球上の資本が国家を見捨て、高い利潤を求めて新興国と「電子・金融空間」を駆け巡ります。その結果、国民経済は崩壊して、先進国のみならず新興国においてもグローバル・エリートと称される一部の特権階級だけが富を独占することになるはずです。非正規雇用者が雇用者全体の三割を超え、年収200万円未満で働く人が給与所得の23.9%(1090万人)を占め(2012年)、2人以上世帯で金融資産非保有が31.0%(2013年)に達している日本の二極化も、今後グローバルの規模で進行していくのです。”

さて、ここまでブランドについて触れてきたが、いま、世界が新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の拡大のなかで、揺れ動いている。
この事態が私達に突きつけているのは、これからも拡大再生産の仕組みを続けるのか否かの選択ではないか。

コロナ禍の最中にあって「ブランドとは何か?」について語ることは、ことの本質について考察する上で、緊張感をもって向き合えるテーマでもあると感じている。
いまこそ、表層の(羞恥心なき)豊かさに流されることなく、約束を守るべき相手とは誰なのかを考え、しっかりと向き合い対話することこそ、自分たちのブランドを守ることができる最良の方法ではないか。

『企業ファンサイト2.0-06』・『企業ファンサイト2.0-07』、そして今回とブランドについて書いてきたが、一旦このテーマから離れる。

さて、次回の予告である。

総務省は8月5日、住民基本台帳に基づき人口動態調査結果を発表した。
それによると、国内の日本人の人口は、前年より50万5046人少ない1億2427万1318人(前年比0,40%減)と11年連続で減少した。
今まさに少子高齢社会へと突き進んでいるなかで、いまだに拡大・成長の神話(トリクルダウンにより富が分配され、経済成長がすべての問題を解決する)にとらわれている。
次回、「人口減少と持続可能性について」について考えてみたい。

『企業ファンサイト2.0-09』へつづく。

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