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「愛」なんかでいいチームがつくれるものか

こんにちは。こんな荒んだタイトルなのにページを開いてくださってありがとうございます。

今回の内容について投稿はtwitterでもよかったのですが、「いいチームづくりは最終的には愛」のようなことを言われる方が結構いらっしゃるので、これは反対意見になりますから、タップして読む一手間のあるnoteに書くことにしました。twitterって他人の主張が不意に目に飛び込んでくるから、時々気持ちをかき回されて疲れますよね。この点noteは都合が良いです。

愛はツールではない

仕事で「とにかく愛」の人も「最終的には愛」の人も、いいチームづくりの方法論に「愛」をたっぷり持ち出してくる人の育成HOWTOを、私は信用しません。その方がこれまでいいチームができていると自負されるなら、それはその方の人間性が成したことであって、再現性のあるHOWTOではないからです。つまり、突き詰めると応用できることがありません。愛はツールではないのです。

いいチーム作りに「愛」を持ち出してくる人は、愛が伝わった経験があるのだと思います。それが『愛を持って接すれば、きっと分かってくれる時が来る!』というモチベーションになるのでしょう。しかし、愛はお互いの感じ方であって、相対的に測ることができません。どこまで愛したら伝わるんですか?

愛が伝わるとき、それは自分の努力が実ったときではなく相手の心が変わったあと

ここまででもうすでに12回も「愛」と書いていてちょっとこそばゆいのですけど、まだ書きます。(笑)

仕事を離れて、恋愛でも親子関係でも、愛のあるコミュニケーションについて考えてみて欲しいのです。例えば、「親孝行 したいときには 親はなし」なんていう有名なフレーズがあるように『もしかして愛されてたな?』と気付くのは、愛されていた側に何かしらの改心があったときです。

しかもその改心のきっかけは、親が愛して愛して愛し続けたから伝わったのではなく、同じ立場になったときや、全然関係ないふとした他人の一言だったりします。そこで気付いて初めて過去を振り返り、『あぁ、あのとき…』と、じ~んとするわけですね。

この愛の伝わり方の特性を踏まえると、仕事上のいいチーム作りに「愛」を持ち出す場合、実るタイミングがそれでいいのかという疑問がわきます。

上手くいかないのは愛が足りないからじゃない

なんでこんなことを書いているかというと、いいチームをつくっていそうな人たちが愛だ愛だと言うあまり、自分の仕事上のコミュニケーションや育成案件が上手くいかなかったときに、『よーっし、愛を注いで解決だ!』なんていうパターンに陥る人が数人はいるんじゃないかと思ったんですね。

これものすごく消耗して空回りして下手したら精神を病みます、本当に。愛で他人を変えようなんて、たまたま相手が何かの拍子に改心した経験のある人が自分の手柄だと思って言っているだけで、そんなにひとは簡単じゃないです。

じゃあどうしたらいいかというと、仕事仲間に対して愛は要りません。あってもいいけど、トッピングくらいなものです。あっても無くても大して味は変わらないです。

相手を尊重し目的をフラットに共有することが肝心

愛があるかどうかなんてどうでもよくて、むしろこじれるとお互い厄介です。肝心なことは、目的や目標がしっかりと共有されていることです。相手を自分の手でコントロールしようとせずに、目的または目標にコントロールさせるとよいです。

そのためには、目的や目標を誰しもに一次情報として与えること。相手が自分より下だと思うと伝える情報を勝手に減らして易しくしてあげる人がいますが、意味ないです。関係ないと思われてるんだな、下に見られてるんだなと伝わるだけです。

上の人たちが話し合って決めた目的はできるだけ薄めずに伝えます。そこで各自が立てる目標は、目的達成に繋がることなら何でもOKですよね。モチベーションなんてそれぞれバラバラだし、同じ人だってアップダウンがあります。でもチームの目的はそう簡単には変わらないはずです。揺るがない部分が共有できていること、全員が同じ方向を向いていることが、目的達成のためのいいチーム作りに必要なことです。

以上です。愛って何回書いたでしょう…。

おわり


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