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【SAMPLE】『ブラックロッド[全]』試し読み(その2)

このページは、
復刊準備中のライトノベル『ブラックロッド[全]』の
本文試し読みページ(その2・第2部『ブラッドジャケット』)です。

・『ブラックロッド[全]』世界観・ストーリー
 
・第1部『ブラックロッド』試し読み
 
★第2部『ブラッドジャケット』試し読み
 
・第3部『ブラインドフォーチュン・ビスケット』試し読み




『ブラックロッド[全]』
第2部『ブラッドジャケット』
「05 修羅」より

『ブラッドジャケット』の主人公、死体蘇生業者アーヴィング・ナイトウォーカーの虚無的日常。


 背中にリュックサック、肩に屍体袋を担いだアーヴィーは、コンクリートの斜面から突き出た赤錆びたステップを踏んで、作業場の裏の巨大な排水溝に降りていった。
 排水溝の底は、減水期には堆積物の砂州に挟まれた溝川になっている。暗い灰色の廃水には虹色の油膜が流れ、足元には空き缶やビニール袋や小動物の死骸の交じった泥が溜まっている。発酵した汚泥から出る熱のため、水面や州の表面から瘴気まじりの白い湯気が立ち上っている。
 泥の中に、いくつもの白いものが見えた。作業場から廃棄した人体屑。水に晒された白い肉や、白骨化した人体の欠片だ。
 アーヴィーは、州の比較的乾いた場所を探して屍体袋とリュックを下ろした。
 袋を大きく開き、中身を剥き出しにする。
 中から出てきたのは、奇妙な屍体だ。
 汚れた長い髪に、無精髭の生えた顎。しなびた乳房を持つ左胸。筋肉質の右肩の先に、女の細い腕がついている。左右の脚も、長さがちぐはぐだ。
 男なのか、女なのか。若者なのか、老人なのか。
 確かなのは、それが屍体であるということだけだ。
 正式な保全処置をしていないため、アーヴィーが普段扱っている屍体には稀薄な、屍体としての自己主張をしている。
 ある部分には死斑、またある部分にはガス壊疽。
 人の形をした汚物の塊。
 それが全体の印象だ。
 アーヴィーはリュックから極太の白いマーカーを取り出した。
 カコカコと音を立てて数回振ったのち、屍体の青黒く変色した額に、大きな円を描く。
 続いて、賦活剤の入った小瓶と注射器とを取り出した。
 青白く光る液体を注射器に吸い上げ、心臓に打ち込んでから、胸に手を当てて数回心臓マッサージをしてやった。
 屍体が何度か軽く痙攣したのち、ゆるゆると呼吸を始めるのを確認すると、リュックを持って、中洲と浅瀬を辿って対岸に渡った。
 壁面に、排水溝に合流する大きな下水管が、丸い口を開けている。今は水が通っていない。
 アーヴィーは下水管の口に腰掛け、リュックからEマグを取り出し、一発ずつ弾を込めだした。
 拳銃やミリタリーに関する本を何冊か読んで、一応、基本的な扱い程度は覚えた。
 装弾は、以前ヒューイットに連れられて行った、最下層の怪しげな銃砲店で買った。
 ソフトノーズとかいう種類で、五〇発で三八〇〇ワーズ。はたしてこの値段が高いのか安いのか、アーヴィーにはよく分からない。だが、最初に装填されていたのと同じミスリル製のものは目玉が飛び出るほど高かったので、それに比べたら大分安いのは、まあ確かだ。
 弾を込め終わった。
 アーヴィーは、灰色の溝川を挟んで対岸にある屍体袋を見ながら、Eマグを両手で握り、何度かグリップを確かめた。
 そして、待った。

 ヒューイットがいなくなってから、すでに二ヶ月が経っている。
 一度だけ、なにか心当たりがないかと所長に訊かれたが、知らないと答えたら、それきりもうなにも言われなかった。
 ひとりの人間が完全に消え去るために、ほかになんの手続きも要らなかった。
 いつか自分がいなくなる時も、きっとそうなのだろう、とアーヴィーは思った。
 ここに銃を撃ちに来るのは、六度目だ。
 標的には、屍体を使う。
 最初は空き缶などを使ったが、なにかしっくり来なかった。
 そこで、屑屍体を集めてマンターゲットを作ってみた。
 次に、賦活剤を注射して動かしてみた。
 部品が足りない時には、バラ落ちのパーツをごまかして当てたりもした。
 伝票をごまかすのも、備品を失敬するのも、やってみると簡単だった。
「七人の侏儒こびと」というパズルがある。
 何枚かに分かれるパネルに、おとぎ話に出てくる大きな頭巾を被った侏儒が、横一列に描かれている。パネルの組み合わせ方で、侏儒の数が、六人になったり七人になったりする。
 月、火、水、木、金、土、と屍体を処理するたびに、少しずつパーツを浮かすとあら不思議、日曜にはどこからともなく七人目が現れる。
 そのようにして、週に一体の標的を作り、撃った。

 薄もやに霞む天井は、巨大な格子状の梁と、さまざまな角度に傾いた鏡面の配光板になっている。 アーヴィーは視線を天井から対岸に戻し、再び待った。
 死んだ芋虫のように、屍体袋が転がっている。
 配光板からぼんやりと供給される自然光のため、辺りには雑霊もあまりおらず、もの・・の憑きが悪い。
 目の前を、脚の生えたサッカーボールみたいにふくれたぶち猫の屍体が、口からこぽこぽとガスを吹きながら流れていった。
 やがて、白いもやの向こうで、屍体袋から立ち上がるものがあった。
 いびつな人型のシルエットが、ひょこりひょこりと揺れながら、近づいてくる。
 右肩を狙い、引き金を引いた。
 外れた。
 銃声がコンクリ壁に反響し、幾重にもこだました。
 もう一発撃った。
 また外れた。
 外れた弾丸は壁に当たり、銃声のこだまに硬く鋭い音を加える。
 膝上までを廃水に突っ込み、溝川を突っ切るように、人型は一歩一歩近づいてくる。その足が川底を引きずるたびに、泥の中から掻き出された新たなガスが、ごぽりと水面に浮かぶ。
 先ほどより、やや中心寄りを狙って、もう一発撃った。
 脇腹に当たった。
 広く飛び散った臓物が、たぱたぱと飛沫しぶきを上げた。
 生きた人間ならばもんどりうって倒れるところだが、屍体は脇腹を大きく弾き飛ばされながらも、よろめくだけだ。すぐに体勢を立て直し、再び歩きだす。
 もう一発。
 左腕がちぎれ飛び、どぷんと落ちた。
 屍体が川幅の中ほどまで来ると、ようやくディテールが見えてきた。
 額に白い丸を描かれた青黒い顔は、泣いているようにも、笑っているようにも見える。
 ひょこひょことした足取りは、ふざけているようにも、傷ついているようにも見える。
 嬉しいのか、哀しいのか。
 アーヴィーには分からない。
 楽しいのか、憂鬱なのか。
 自分のことだって、分からない。
 ふらふらと揺れる白い丸を照星で追いながら、考えた。
 こいつはいったいなにものなんだろう。
 いかなる生者であったこともない死者。無から現れ、無へと帰っていく。
 そういう自分は、いったいなにものなんだろう。
 どこから来たのだろう。どこへ行くのだろう。なぜここにいるんだろう。
 なにも分からない。なにも考えられない。
 空白ブランク空白ブランク空白ブランク
 銃声に意識が引き戻された。
 ざあ、と雨のような飛沫が水面を叩いている。屍体の頭部は破裂していた。
 無意識に、引き金を引いていたのだ。
 首のない屍体は、ゆっくりと廃水の中に倒れ込んだ。
 アーヴィーの手の中に、反動とはまた別の、手応えのようなものが残っていた。
 その感覚だけが、虚ろな心の中に、確かな実感を持って存在した。
 それを確かめるように、また反芻するように、アーヴィーはグリップを握り直した。



ハードカバー書籍『ブラックロッド[全]』は、2023年5月刊行予定。
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■ 『ブラックロッド』2023年復刊 ■
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