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【SAMPLE】『ブラックロッド[全]』試し読み(その1)

このページは、
復刊準備中のライトノベル『ブラックロッド[全]』の
本文試し読みページ(その1・第1部『ブラックロッド』)です。

・『ブラックロッド[全]』世界観・ストーリー
 
★第1部『ブラックロッド』試し読み
 
・第2部『ブラッドジャケット』試し読み
 
・第3部『ブラインドフォーチュン・ビスケット』試し読み




『ブラックロッド[全]』
第1部『ブラックロッド』
「02 黒杖特捜官」より

「異形の下層市街」「犯罪者を追う〝黒い捜査官〟」「呪術的戦闘」など、『ブラックロッド』の基本イメージが提示されるシーン。


 異形の街。
 全身に真皮層写経ダーマスートラを施し、念仏を唸りながら歩く少年僧侶ボーズキッズの一団。重格闘用に身体成型された下級力士マクシタたち。人形嗜好者ピュグマリオンを当て込んだ球体関節娼婦。そこここにうずくまり、街路の地下に埋設された霊走路から漏れ出す霊気をすする地縛霊。
 最下層市街。陽光も、階上で毎秒五〇メガ祝福単位クライストの祈りを上げ続ける祈祷塔の金切り声も、ここまでは降りてこない。
 そして、異形の雑踏を掻き分けて駆ける男。荒い呼吸、追われる者の表情。振り返るその視線の先に、黒い男。
 黒杖特捜官ブラックロッド
 黒革のコートに黒いブーツ。黒い制帽の正面には眼を象った徽章エンブレム。その瞳に埋め込まれた、青く光を放つ疑似水晶体。魔術師の象徴「第三の眼」、霊視眼グラムサイト魔導特捜ブラックロッド達人級アデプト以上の位階の魔術師によって構成される。
 そして、右手にたずさえられた巨大な黒い呪力増幅杖ブースターロッド。冷たい光沢と身の丈を越える長さを持つそれは、権力ちからの象徴であり、呪力ちからの源であり、威力ちからそのものだ。人は「力」に対する畏れを込めて、それを持つ者を〈ブラックロッド〉と呼ぶ。
 ブラックロッドはゆっくりと歩く。その視線が逃げる男から逸れることはない。
 男は全力で駆ける。喉の奥に粘膜がへばりつく。空気が粘る。
 壊れた街頭表示板の横を駆け抜ける。残留思念濃度計ラルヴァカウンター。アナログの表示針は何十年も前からレッドゾーンに振り切れっ放し。
 粘る空気を掻き分け、人間と、人間に似た者たちを押し退けて、男は駆ける。だが、黒い男との距離はじりじりと縮まっていく。
 畏怖、好奇、嫌悪。ブラックロッドの周囲にはさまざまな感情が渦を巻く。だが、渦巻く感情の中心に存在するのは、台風の目のような無感情。
 ブラックロッドをさえぎる者はない。彼の纏う威圧感が、ほとんど物理的とも言える圧力となって周囲の者を押し退ける。混沌の海を渡る聖者のように、黒い男は平然と歩を進める。
 ブラックロッドは急がない。ゆっくりと、だが確実に獲物を追い詰める。
 なぜ、と男は思う。なぜこんなことになっちまったんだ、と。
 オースン・D・ベイカー。ケチな裏通りの、ケチな安売り呪具屋アイテムショップの、ケチな店主。しかしてその実体は――やっぱりケチな呪紋彫り。非公認もぐりの呪術行為は違法とはいえ、身のほどはわきまえている。特捜に追われる覚えはない。
 だが、現に奴は来た。なにかの間違いだ、と言いたいところだが、奴らは絶対に間違えない。俺はいったいなにをやらかしたんだ?
 腰の辺りになにかがぶつかった。蛍光イエローのレインコート。ベイカーは姿勢を崩すが、あとも見ずに再び駆けだす。
 ベイカーに突き転ばされたレインコートの少女が、埃を払いながら立ち上がった。
 年のころは一二、三。不釣合に大きなゴーグルが顔の半分近くを覆っているが、残りの部分から整った顔だちが見て取れる。
 少女はベイカーを見送りながら口を尖らせた。
「失礼ね」
 そして、すぐ後ろまで追い着いた黒い男を振り返って、ニッと笑う。
「ね」
 だが、ブラックロッドは笑わない。視線さえ向けずに歩き続ける。少女はふんと鼻を鳴らし、雑踏の中に歩み去る。

 ベイカーは背後を振り返った。ブラックロッドとの距離は、さらに縮まっている。表情すら読み取れるほどに。
 だが、その顔にはなんの表情も浮かばない。まるで、死人の顔。
「オースン・D・ベイカー」
 死人の声が、ベイカーの名を呼んだ。文節ごとに、念を押すように発音。聞く者の意識に直接介入する、呪式発声ハードヴォイス。心臓を氷の手につかまれる感触に、彼は思わず立ち止まる。
「ランドーは、どこだ」
 ランドーという名に聞き覚えはない。だが、ベイカーの脳裏には突然、長身の東洋人の姿が鮮やかに浮かび上がった。共感効果フレイザーエフェクトによる強制記憶喚起――まさに名が体を顕す。
 影のような男。瘤のように盛り上がった背中。不可思議な身のこなし。見慣れぬ軍服。蒼白な細面に、細くつり上がった右眼と、ぽっかりと肉の落ちた左の眼窩。
「その男だ」
 ベイカーの表情を読んで、ブラックロッドは言う。
 芋蔓式に、さまざまな記憶がベイカーの脳裏に蘇る。
 隻眼の男……呪紋複写の依頼……黒い記録符……O2の封印……自壊構造を仕込まれた難物……一三枚の水蛭子ミスコピー……法外な報酬……それから……。
 ベイカーの顔に、引きつり気味の愛想笑いが貼りついた。
「なあ、あんた、見逃してくれよ……」
 不毛の極み。死神に命乞いをしてなんになる。
「金ならあるんだ、ほら……」
 ベイカーは懐からドル入れを引っ張り出した。おざなりにはみ出す海賊紙幣。非公認市民の溜まり場であるこの街では、信用通貨クレジットなど相手にされない。
 だが、どのみちブラックロッドに買収は利かない。ブラックロッドにはいかなる欲求も、個人的な利害も存在しない。彼らは公的な義務と必要によってのみ行動する。
 だが、ベイカーがドル入れから取り出したものは紙幣ではなかった。複雑な印形を記された封紙。もぞり、とかすかに動く。ベイカーは不器用に封紙の一部をちぎり取った。印形によって設定されていた小結界が破れ、封紙の裂け目からなにかが飛び出す。
 肉眼には見えない、「気配」の塊。だが、ブラックロッドの霊視眼グラムサイトはそれを捉える。「式鬼シキ」と呼ばれる人造霊オートマトン。死人の顔をめがけ、矢のように飛んでくる。
 だが、ブラックロッドは怯まない。左手の甲を、すう、と額にかざす。
 前方に向けられた掌が青く光る。左掌の皮下に貼り込まれたディスプレイフィルム、自在護符ヴァリアブル・タリズマン。選択印形は『悪魔罠デーモントラップ』。
 式鬼シキは光る掌に吸い込まれるように収まった。霊視眼グラムサイトを通してイメージ化された姿は、鼠とも蜥蜴とかげともつかない小動物。細い声で、キイ、と鳴く。
 ブラックロッドは左手で式鬼シキを把持しつつ、低い声でなにごとか呟いた。
 式鬼シキは「式」、一定の呪式によって起動する霊力場。対抗呪式を入力され、霧散する。掌には式鬼シキコアになっていた一枚の呪符が残るが、それも一瞬後には埃のように分解し、指の間からこぼれ落ちる。
 式鬼シキを放つと同時に駆けだしたベイカーは、再び一〇メートルほどの距離を得ていた。
 だが、ブラックロッドは焦らない。指に残った粉を払うと、なにごともなかったかのようにあとを追う。
 ベイカーは二枚目の封紙を取り出した。一枚目と同様、「仕事」の報酬と共に隻眼の男――ランドーに手渡されたものだ。
「追わるる身とならば、これを」
 ランドーはそう言って、薄く嗤った。
「呪的逃走だ」
 わけも分からずに受け取って財布に突っ込んでしまったが、使い魔の類は所持しているだけで公安に引かれる理由になる。
 はめられた。だがこうなってしまっては、奴の置き土産に頼るほかない。ベイカーは再び封紙をちぎる。
 ベイカーとブラックロッドの間を横切りかけた女の頭部が、風船のように弾け飛んだ。血煙の中から、二体目の式鬼シキが飛び出してくる。女の血肉を喰らい、式鬼シキは加速する。
 だが、ブラックロッドは動じない。自在護符タリズマンを『呪盾シールド』に設定。左掌を前方に突き出す。手首を弾き飛ばすに足る速度で飛んできた式鬼シキは、掌の数センチ手前で不可視の障壁に弾かれ、大きく右に逸れる。
 右後方にいた男の頭が爆ぜた。式鬼シキは大きく弧を描いて反転。軌道上の人間を次々に弾き散らし、矢のように、弾丸のように、稲妻のように加速し、再びブラックロッドを襲う。
 ブラックロッドは怯まない。式鬼シキを「眼」で追いつつ振り返り、再び掌を突き出し、今度は上方に弾く。同時に右手でロッドを起動、式鬼シキに向けて高く掲げる。
 キュン、とロッドが鳴った。高速詠唱クイッククライ。ほとんど超音波の領域にまで加速された圧縮呪文ノタリックが、式鬼シキに向けて解放される。
 呪力増幅杖ブースターロッドは単なるテープレコーダーではない。魔術師と霊的に接続チャンネルし、魔術師の言語中枢から言霊を汲み取り、増幅、加速、放出する。
 選択呪文は『呪弾ブリット』。充分な速度と衝撃力を持った魔力塊が空中に組成され、上空で反転しかけた式鬼シキを撃ち抜く。
 式鬼シキの霊体は飛沫しぶきとなって飛び散り、やがて周囲の雑念に溶け込んだ。空中には硬貨大の穴の開いた呪符が残されたが、それも路面に落ちる前に分解し、埃の中に紛れていく。ブラックロッドはロッドを下ろし、追跡を再開。
 もつれる足を無理に動かし、ベイカーは全力で駆け続ける。逃げれば逃げるほど、自分の首が絞まっていくのが分かる。
 なぜ特捜の噂を耳にした時、即座に公安に出頭しなかったのだ。罰金、懲役。それがどうした。命あっての物種だ。
 だが、使い魔をもって特捜を攻撃したとあっては、もはやそんなものでは済まされない。死刑ならまだましだ。社会奉仕に対する強迫観念を植え込まれ、菩薩ボサツとして一生を過ごすか、三重絶対精神拘束アジモフ・ゲアスを掛けられて、生きたままゾンビイにされるか……。
 とにかく、今はただ全力で駆けるのみ。
 体が妙に重い。ふと袖口を見ると、薄いもやのようなものがまとわりついている。目を凝らす。何体もの浮遊霊。まだ人の形を保っているものからなにやらどろりとした塊にしか見えないものまで、無数の霊体が腕のみならず全身に貼りついている。ひと声叫んで振り払おうとした瞬間、地縛霊に足を取られ、転倒する。
 ベイカーは立ち上がろうとするが、路面から伸びた何本もの見えない手が彼を地面に引きずり倒す。沈殿した埃と霊気の中を、彼は必死に這いずりまわる。
 下水の匂い。砂埃。街のざわめき。すべてが遠くかすむ中で、ただひとつ確かなものは、死神の時計のように規則正しいブーツの足音。体内で、秒刻みに恐怖がふくれ上がる。
 ブラックロッドは急がない。街の灯を背に、ゆっくりと歩いてくる。
 やっとのことで半身を起こしたベイカーは、懐から三枚目の封紙を取り出した。前の二枚と型は同じだが、より複雑な印形が書き込まれ、禍々しい緋色に染められている。
「赤い呪符ふだは最後に使え」
 ランドーはそう言い、それからもう一度念を押した。
「一番、最後だ」
 今がその時だ。ベイカーは赤い封紙をちぎる。
 掌の中で圧倒的な存在感が膨張し、封紙が破裂した。左手の指がちぎれ飛ぶ。
 常人においても、死の予感が一時的に霊感を高めることがある。ベイカーは一瞬、ナイフのような牙を何列にも生やした、巨大な口腔のイメージを見た。
ブラックロッドの目の前で、ベイカーの上半身が、消えた。一拍遅れて、左右の手が腰の両脇にぼとりと落ちる。
 前の二体とは桁違いに大きな式鬼シキ。人間の子供ほどの大きさ。身長の三分の二を占める巨大な頭部。どことなく人間に似た顔が黒い男を振り返り、巨大な牙を剥き出してにたりと笑う。
 ブラックロッドはうろたえない。式鬼シキに向かって無造作にロッドを構える。
 ベイカーが死んだ今、この式鬼シキは重要な手掛かりのひとつだ。破壊せずに捉える必要がある。脳裏に『捕捉ホールド』の呪文を呼出コール。一瞬のタイムラグ。
 式鬼シキはブラックロッドには目もくれず、上方に跳び上がった。ベイカーの屍体に群がる浮遊霊が式鬼シキの代わりに捕捉呪文に呪縛され、キュッと鳴いてびちびちと地を跳ねる。
 捕獲が叶わないなら打ち砕くまで。ブラックロッドは呪文設定マインドセットを再び『呪弾ブリット』に戻し、たて続けに圧唱クライ。『呪弾ブリット』は『捕捉ホールド』より有効射程レンジが広い。より単純で、強力だ。
 狙いは正確。式鬼シキは呪弾が当たるたびに霊気の飛沫を散らし、子供ほどあった霊体が赤子ほどに、胎児ほどに縮んでいく。だが、コアに損傷はない。目に見えぬ顔で嘲笑い、聞こえぬ哄笑をまき散らしながら、さらに上昇し、呪弾の射程を離脱する。
 突然、式鬼シキの哄笑がやんだ。
 どこからか飛んできた霊体が式鬼シキをくわえ込んでいる。青白く輝く鳥類のイメージ。
 光る鳥は目の前に降りてくると、式鬼シキを放した。ブラックロッドは自在護符タリズマンを作動、逃げだす式鬼シキをトラップ。封印式を唱え、呪符を凍結。コートの封印ポケットにしまい込む。
 鳥は漠然とした人型に姿を変えた。ゆらゆらと、笑っている。
「……ジニー……か?」
 死人の顔に一瞬、表情のようなものが現れた。
『そう。でも、違う』
 公安局の交霊経路チャンネルを通じて、人型は答える。
『待って。依代からだを取ってくる』
 人型はそう言い残すと、再び鳥に姿を変えて飛び去った。

 三分ほどして、こちらに駆けてくる者があった。少女。黄色いレインコート。大きなゴーグル。黒い男の前で立ち止まると、
「おまたせ」と軽く息を切らして言う。
「このたび公安に派遣リースされました、降魔局A∴S∴C妖術技官ウィッチクラフト・オフィサー、ヴァージニア・ナイン。稼働中のヴァージニア系列の中じゃ一番の『末娘』よ」
 そう言って、V9はゴーグルを外した。
 人形めいて整った顔に、瞳孔のない青い瞳。霊視眼グラムサイト
 黒い男は無意識に目を伏せ、制帽の霊視眼グラムサイトでV9を認証した。
 ブラックロッドはおのれの眼を信じない。怪しいものはすべて、霊視眼グラムサイトを通して認識する。
 V9はその「視線」に気づき、黒い制帽と自分の眼を交互に指差して、
「あはは、おそろいだね」と笑い掛ける。
 だが、ブラックロッドは笑わない。足元を見やり、
「これは、君が?」
 足元に転がるベイカーの残骸。流れ出す霊気と血液に群がる地縛霊。
 V9は肩をすくめ、
「まあね。さっきあたしにぶつかったせいで、運勢ツキが落ちて地縛霊に引っ掛かったってわけ」
 そこまで言ったところで、親指で腹に横一文字の線を引き、
「これはあたしのせいじゃないけどね」と、白目を剥き、べろりと舌を出して、おどけた死相を浮かべてみせる。
「やはり、ランドーか」
 V9はうなずいた。
「抜け目がないね。この男を使って時間を稼いで、あげくにこれ。これじゃ尋問もできないでしょ」
 降霊尋問インクエストの際には残った触媒となる屍体の割合はさほど問題にならない。死にたての完体がベストだが、条件さえ揃えば髪の毛一本からでも死霊は呼び出せる。
 しかし、この場合は呼び出すべきベイカーの霊自体が、中枢神経のほとんどと共に、式鬼シキに喰われてしまっているのだ。
 ブラックロッドは血溜まりの傍らに膝を突き、血液や肉片のサンプルを採取し始めた。
 正午の聖水散布が始まった。建築物の谷間に張り渡された格子の随所に取りつけられたスプリンクラーが、聖別された希アルコール溶液を一斉に振りまき始める。
 立ち上がったブラックロッドの足元、ベイカーの下半身と両前腕部のまわりでは、聖水の小雨に打たれた地縛霊が溶け始めている。あるものは呪縛を解かれて雨の中を漂い、またあるものは泥水に混じって下水口に流れ込む。
「申し遅れたけど、はじめまして……かな?」と言って、V9は右手を差し出した。「よろしく、ブラックロッド」
 ブラックロッドは応じない。軽くうなずくのみ。表情のないその顔を雨滴が伝うさまは、教会の屋根に据えられた、物言わぬ守護魔像ガーゴイルを思わせる。
 V9は肩をすくめると、いささかの皮肉を込めてポケットに手を突っ込み、それからもう一度、
「よろしく」と言って、ニッと笑った。
 だが、ブラックロッドは笑わない。
 ブラックロッドは、笑わないのだ。



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