最近の記事
#01 暗い80年代と得体の知れないノイズ ~ Pink Floyd 『A Collection Of Great Dance Songs』 (1981)
暗い80年台がやってきた 何らかの意図を持って、声がこちら側へ発せられているのを感じると萎える。逆にどこに向かって鳴らされているのか、にわかには判別できない音楽の方に惹かれる。どこかで音が鳴っている、どこにも向かわずにただそこで鳴っている、そのようなものに。 多くの示唆に富む音楽批評を送り出している若尾裕氏は著書「奏でることの力」の中で、資本主義の発展とともに「誰にでも分かり、誰にでも簡単に情動を短時間に惹き起こすことが可能な音楽が目指されるように」なり、それらの音楽は「
#01 暗い80年代と得体の知れないノイズ ~ 暗黒大陸じゃがたら 『南蛮渡来』 (1982) - その1 付属ソノシートについて
ツチクレの中にて 江戸アケミは胸まで土に埋もれている。歌いながら泥を吐いている。有明海のムツゴロウを干潟から引きあげて、ぽつんと水槽の中に留め置いたとしたら、それは最早ムツゴロウではありえないように、むしろ干潟そのものに目玉と背びれがついたものがムツゴロウであるのと同じように、アケミが浸かっているその土塊も含めてじゃがたらなのだ。 そのような不合理がじゃがたらの音楽には最初から含まれている。だからアケミがただ歌うだけで、たとえそれが楽しげであったとしても、時として不気味な
#01 暗い80年代と得体の知れないノイズ ~ Public Image Ltd 『Flowers Of Romance』 (1981)
ラジオから漏れ出す とりあえず霧散するのが前提なのだろう。「こうしろ、ああしろ、そうしろ」と、四六時中せき立てられる世界からするりと抜け落ち、受け身に流れ、最終的には消え入ってしまう。そのような身のこなしに憧れを抱かずにはいられない。意味のあること/ものを日々、積み増してゆくのが真っ当な生活者としての態度であるならば、それとは逆の方向へとリスナーの目を向けさせるような音楽に親しみを覚える。 霧散する音楽は往々にして安物のラジカセのスピーカーから漏れ出してくる。ハイレベルの
#01 暗い80年代と得体の知れないノイズ ~ The Pop Group 『For How Much Longer Do We Tolerate Mass Murder?』 (1980)
追悼 マーク・スチュワート 人間とはあるとき世界への窓が開かれ、そして閉じられるようなものだ。そのタイミングを選ぶことはできない。あらかじめ不可能性と有限性を抱え込んだまま、なんとか生きていく。 小説家の保坂和志氏はこう記している。「駆動とは翻弄されること」であると。ひとつの表現が立ち上がろうとする場所で起きていることを、ここまで端的にとらえた言葉があるだろうか。それは、ときにぬかるみにはまり込んで悶えるように声を絞り出すマーク・スチュワートの姿を言い当てているようでもあ