仕立て屋のサーカス@UrBANGUILD 京都
GWは多忙だったため、遅ればせながら〜、の感想です。
仕立て屋のサーカスは、「音楽家×裁縫師×照明作家による音と布と光の現代サーカス」とされています。
行ったのは初日のプレビュー回。
雨の日、とっつと。
会場のアバンギルド(ライブハウス)に入ると、通常客席として置いてあるテーブルと椅子の半分以上が奥のステージ上に移動していて、その通常は座席がある場所が舞台センターとなって布の紐と天幕で覆われていた。
天幕の下の床には、白い綿やレースがぐちゃぐちゃに敷き詰められている。客は奥のテーブルや壁際の棚や天幕の周りの好きなところに座する。
始まりはどこからともなく聞こえてくる音楽。ウクレレののどかで楽しげな調べ。
演者が音楽を奏でながら回遊して、やがてセンターの天幕の中へ、音楽にかぶって中からミシンの音が響いてくる。
曖昧に始まっていく感じがめっちゃいい。
以下、断片を記録。
途中↓
きらきら↓
詩の朗読↓
仕立て屋は旗を作っていく。
この旗が作られていく過程で、旗を揺らし続ける役を仰せつかった。数いる観客の中でなんでわたしwww
これは他の人にもやってもらったほうが楽しいんじゃないか?と思い、途中で隣の人に代わってもらった。
↑写真ではわからないけど、揺れている。
最後は演者が演奏しつつ回遊しながら消えていった。
終演後、照明がついたときの景色↓
床↓
いやあ興味深かった。
いろいろ思うところはあるけれど、一つ挙げておくと、「仕立て屋のサーカス」では舞台と客席が曖昧、というところが興味深かった。
私は以前から、劇場で舞台と客席がくっきり分かれている形にもどかしさを感じていて、特に日本では観客が客席に固定されて静かに鑑賞しなければならない状況をとても窮屈に感じていた。
いや、大昔から舞台と客席は分かれていたけど、昔は自由にヤジ飛ばしたり、隣の人と喋ったり、それなりに自由があって一体になっていた気がするんだけど、今劇場に行くと、ときにはみんなと同じタイミングでみんなと同じリアクションを強いられる芝居やライブまであってひどい。
なにこの全体主義、軍隊か、って思わされる。
そういうのやめて、客席を移動しながら自由に見たりできないのかなとか、観客が舞台に上がっちゃっても許容できるショーって実現できないのかな、なんていつも思っているのだ。
野外の音楽パーティなどではそれが自由で、だから最高に楽しいわけだけど、音楽と違って何かしらサーカス的なパフォーマンスするとなると、危険もあるし、全く自由に境界なしというのは難しい。
チームラボの猪子さんが、「映画やテレビはカメラで視点が固定されている」「境界面から解放したい」「動いて鑑賞してもらいたい」とか言っているのにもすごく興味がある。
仕立て屋のサーカスはそこんところが自由で、ある程度コントロールもされていて、愉快だった。
客席で瀬戸内サーカスファクトリーの田中未知子さんとお会いして、「アクロバットなどが展開されるものがサーカスだと思ってたんだけど、こういうのがサーカスとなると、サーカスの概念とは?ってなりますよね」と、ちょっとだけだけどお話しさせてもらえて良かった。
もしかしたら「現代サーカス」にはそういう既存のジャンルに捉われないものも多いのかもしれないけど、まだよく知らないので、これからもいろいろ観ていきたい。
と、この終演後、巨匠カメラマンのマンべちゃん御一行が仕事でちょうど京都に来てるってことで、三条木屋町で合流して呑み呑み。
みんな池田屋行ったことないって言うから、池田屋で呑み呑みしたよ。「御用改めである!」
「銀ちゃーん」と何度も連発する監督のおすすめは「エドワード・ヤン」の台湾映画ということをここにメモメモ _φ(・_・
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