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八方塞がりの春休み

2024年も3か月が過ぎようとしている。今は年度末で、私は先週のうちに自分に課せられた仕事を全て提出して、今週は春休みに入っている。

実はこの春休み、最初は昨年8月に続いて台湾に行く予定だった。
しかし、昨年末の時点で円安が進み、LCCもフルキャリアもエアチケットが信じられない額になり、諦めざるを得なかった。それでも近年稀に見る激務だった自分を慰労したいと思い、久々に関西でも行こうかと母に声をかけたら「和歌山の田辺から熊野古道に行きたい」といい出したので、田辺も含めた1週間の関西旅行を年初に計画して、あれこれリサーチしていた。
(母には言語障害があり、障がい者割引が効くため、18きっぷではなく新幹線利用で行けることを提案してくれた。そこは有り難かった)

その後、私はとてもひどい3か月を過ごした。
多くの業務に忙殺される中で、重要書類を紛失しかけ、統計をやり直しさせられ、年度末に向けての数多くの文書発送で本来の仕事が全く進まなくなった。これらの失敗のみならず、人前業務でも数々の問題が発生し、非常に辛い日々であった。
その中での最大の失敗だったのが、右手首の橈骨遠位端骨折であった。

2月のある金曜日の夕方4時ごろ。
翌週に迫った期末作業の文書を作成している時、その週初めに発送した封書が2通戻ってきた。1通は住所入力ミスだったが、もう1通は転居先不明であった。いずれも至急再発送が必要な案件。
ともかく早く済ませたかったので、事務方に転居先を聞こうと2階の仕事場から1階の事務室に行くべく駆け降りたところ、階段の中ほどで足を踏み外した。最後の1段ではない、中ほどの段だ。当然、下へ落ちていく。この間に思ったのは、このまま落ちて腰を打ったら確実に腰をやられる!ということ。尻餅ついて腰を痛めるくらいなら何とか体勢を直して落ちないようにしたい!と咄嗟に判断して上半身を前に出した。
目の前にあるのは踊り場の壁。そして無意識に右手が前に出た。このお陰で激突は免れたが、今まで経験したことのない痛みが右手首に走った。

痛みを堪えながらも仕事をしていたが、いくら冷やしても痛みは引かなかったので、仕事を全て中断して荷物を持ち、5時ごろ整形外科へ行った。
市内には整形外科が少なく、初診でも3時間以上は待たされるような病院なのだが、当日は夜に予定もなかったので、小説を読みながらずっと待った。
6時50分くらいになってやっと呼ばれる。先生に触診され、一番痛む手首を掴まれた時には涙が出た。その後レントゲンを撮影して再び診察。手首の骨折を告げられるが、手のひらの骨にも異常があるかもと言われて、休み明けの午後にMRIを予約した。
労災認定されるまでは全額負担。次の診察の時に支払うようにと言われ、キャスト(サポーター型ギプス)と痛み止め、シップを処方された。キャストは24時間装着、なるべく動かすなと言われた過ごした週末は辛かった。
週明けにMRIを撮影して出た結果が橈骨遠位端骨折。手のひらの舟状骨には異常なしで手術にはならなかった。10割の支払いはキツかったが、職場から労災も認定されたので、後に全額返ってきた。

この間も仕事は通常通り、右手の五指は違和感なく動かせたのでPCも操作できたのだけど、文書の作成には時間もかかり、ミスタイプも増えた。普段使っている身体の一部が思うように動かせないのは辛く、提出した文書はミスばかりで上司から怒られた。
このようにあまりにも失敗が続くので、プライベートまで小さな失敗をするようになり、くよくよすることが多くなった。
これは病院に行ったほうがいいのかもしれない、とまで思い詰めるほどだった。
でも、そこまでは考えすぎじゃないか、と自分に言って思いとどまった。

別に厄年じゃないのに、なぜこんなに災難に見舞われたり失敗ばかりするのだろう、と思いながら神社の前を通り過ぎたら、「八方塞がり」の文言を発見。そうか厄年じゃなくても、こういう悪運もあるかと調べたところ、

見事に私の生まれ年がそれに該当していた。

しかも大厄。

ああ、そうか。そういうことか。それなら仕方ない、と腹を括った。
そして相変わらず上司に怒られながら何とか今年度の業務を終わらせた。
そんな感じで複数の業務をこなしつつ、なんとか休日出勤分の振替休日と有休を年度末にまとめて取ることができたが、関西行きのホテルどころかスケジュールすらも決められないまま、関東の実家に帰ることになった。

そして帰省してすぐ、天気が悪くなった。関東だけじゃなく、関西も東北も。
母は田辺にだけ行きたかったようで、この天候じゃ行きたくないと言う。
もう仕方がなかった。関西旅行は諦め、春休みいっぱいは実家で過ごすことにした。

老親は二人とも80歳を迎えているが、とりあえず日常生活は不便なく過ごせている。
9年前に脳動脈瘤と脳梗塞で手術をし、言語障害になった母だが、言葉以外は通常…と言うか、若い頃より気が荒くなって、毎日父と喧嘩している。それでも平和に暮らせているから特に家族の危機は感じていない。
天気も悪いので無理に出かけることもせず、朝は5時半に起床してストレッチ、8時に朝ドラを観ながら朝食、本を読みながら高校野球を観る父のおしゃべりに付き合い、母の用事にも付き合い、空いた時間を見つけては30分間オンライン筋トレをする、というように過ごしていた。就寝は日付が変わる前。食事は母が用意するが時々自分でも作る。外に出ず、読書と筋トレやって過ごす他はゴロゴロしていたわけだが、これってTwitterでよく回ってきていた「おうち入院」ってヤツか?と気づいた。
向こうで一人で暮らしていると、どうしても常に気が張ってしまう。加えていくらのんびりしても家事や雑務を気にしてしまうので、こういうのは実はなかなかできない。

とはいえ、毎度の休みの帰省同様、両親の健在を確認して安心した。
親も私が帰ってくることで安心してくれるだろうと思う。

実家近くの公園の桜


さすがにずっと引きこもっていてもしんどいので、天候の良い日は外に出た。
東京まで出なくても、近隣には名画座もシネコンもあるし、郊外まで行くのが面倒な無印良品もターミナル駅のモールに入っているので、買い出しもできた。
駅のモールや百貨店ではウィンドウショッピングもしたが、必要なもの以外は特に購買意欲はわかなかった。でも、それでいいか。

思えばこの4年間は気も張り詰めていたし、50の声を聞いて、いろいろとしんどくなったことも多かった。
今年で30年になり、残り時間も少なくなった今、こうして休めてよかったと思う。
八方塞がりのお祓いはまだ行ってないけど、改めて新年度は気を引き締めて臨みたい。



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