見出し画像

鍛える春2023:また再び会うために

この街で働き始めて、30年目の春を迎えた。
と書いて、クラっときて気が遠くなった…。
ああ、この出だし、4年前の春とまるで同じではないか…

年々仕事の負担が増えるのに加え、これまでお世話になってきた(悪く言えばケンカしてきた)部署の元主任が嘱託となったので、自分が部署最年長になり勤務一覧の名札の位置に呆然としたりと、日々の暮らしは相変わらずなのだが、そんな中でも新しく始めたり、意識しなおしたりしたことが幾つかあるので、今日はそのことについて書いてみる。

筋トレを始める

これは自分でも驚いている。とはいえ今まで全く鍛えていなかったわけじゃないのは、昔こういうnoteを書いたからそこは繰り返さない。

それであっても、冬になると歩けなくなるし、寒いから縮こまり気味になるし、姿勢も悪くなる。そうすれば自ずと運動不足になるし、肩こりは酷くなるし、酷すぎて片頭痛も発症する。これまでは整体に行ってたけど、予約なしですぐ対処してもらえるわけではない。おまけにここ数年親指に腱鞘炎を発症するようになり、合わせて筋力不足も感じるようになった。
そんな時、お試しで職場近くのジムの体験クーポンをもらって行ったところ、わりといい感じでワークアウトできたのでとりあえず1年間頑張ってみることにした。
こういうふうに善は急げで決めて、自分を追い込まない限り運動はできないし、歳をとっても自分の足で歩きたいし肩こりがひどすぎて動けなくなるのならこうでもしないと本当に運動しない。しかも筋トレは夜やってはいけないそうで、就業時間内にとっとと仕事を片付けて夕方の隙間にさっと行ってさっとワークアウトしている。
本来は週3回行ければベストだが、とりあえず週1回は必ず行く。行けないときには朝にテレビ体操をなるべくリアルタイムで行うことを心がけているのだが、実はこっちの方が大変だったりして…ははは。
とりあえず、今のところはへこたれてません。鍛えてますから。シュッ〆

目指せるか、通訳案内士

コのつくアレが流行する前まで、中国語のレッスンではニュースサイトの読解をしばらくやっていたが、数カ月の休館の間にいろいろ考えて次に勉強しだしたのが、中国語の通訳案内士の過去問題だった。
人生の半分以上中国語を学んでいるが、実はHSKも受けたことがないし、中検も級を持っていない。どうだすごいだろう(威張るな)
こんなふうに威張っても、実際仕事に中国語は全く役立っていないし、咄嗟にしゃべる機会など全くない。語学力にだんだん衰えを感じてきたので、これも筋トレ同様、無理してなにか目指すべきかと考えた。
というわけで、3年前の初夏から、語学教室で中国語の通訳案内士のレッスンを始めた。

ええ、はい、これを検定代わりに受験することは非常に無謀だってのはよーくわかっているぞ。
ただ、かつての中国語学習の先輩たちは皆、これを取って語学教室を卒業している。なら自分も、大学から30年以上学んできた自分の語学力が、インバウンドの時代にどこまで役立てることができるのか試してみたくなったのだ。
だから今年の夏、これを腕試しとして受験することにした。今年は受験日まで集中的にレッスンし、受験後秋冬はレッスンを休む予定。
そしてその次に計画している学習が、台湾華語の指導法だったりする。
結局学習続けるんかい!といわれそうだけど、学習しないと鈍っていくからね、やはり…
体だけでなく頭も鍛えなければ。

英会話対面レッスンの復活

3年前、同じくコのつくアレのせいで語学教室に利用制限が入り、3人以上のクラスは1人のみ入室可、後はSkypeレッスンという状況になっていたので、ずっとオンラインで英会話をやってきた。SkypeはモバイルよりもPCの方がカスタマイズが効くのでPCを持っていって出先で参加したりしていたが、その一方でよく弾き出されていたので、早く対面で復帰したかった。
先に書いた中国語と同じ学校でのレッスンだったので、昨年くらいで復帰してもよかったのかもしれないけどね。
ただ、仕事がなくても土曜に用事が入ることは多いし、帰省もあったりするので、対面で行けないときはオンライン併用でということも申し出た。来月の連休の合間の土曜は帰省する予定なので、実家からオンラインで参加する予定。

久々のblog復活(ただしTwilogの代用として)

この記事を置いているマガジンのタイトル「In the groove for life」は、2004年5月から2020年の夏まで断続的に書き続けてきた日記blogと同名である。もう20年近く前に始めたので、いかんせん文体がくどくてウザくてオタクくさいのだが、そこは若気の至りということで(苦笑)
このnoteを始めたのがちょうど5年前。当時はもう一つやっている中華blogが前の代のPCに合わなくなったので、避難場所として記事を書いたのがきっかけ。今は中華blogの更新報告やzineの原稿連載などにしているし、実は今短編小説も書いているのだ。ふっふっふ…
こっちの方が(書き上げた記事数は多いとはいえ)書きやすく使いやすかったのだが、それでも3つblog的なものを持ってしかもSNSまでやるのはなかなか大変。一方noteは、特定のワードが一語でも含まれた記事には必ず巻頭に注意文が表示されるのが気に食わず、そのワードを入れて思いっきり叫びたいときは、日記blogの方に書いていたりした。でも、SNSを除くテキストメディアを3つ運営していくことはどうもしんどく、実質上1年半ほど放置をしていた。Twitterを使っているので、それをまとめたTwilogが日記代わりのライフログになっていたからというのも理由のひとつである。
ところが、昨年後半にTwitter社の代表がどこぞの大金持ちに変わった途端、どんどん使い勝手が悪くなった。古くからのフォロワーさんたちは別のSNSに移っていったが、そこまでやることは面倒くさくてできない(そんなわけで以前よりpostは減ったものの、まだTwitterにはいる)さらに、そのわからず屋の大金持ちがどんどん仕様を変更した上に、TwitterのAPI有料化によりこれまで使えた便利なシステムやアプリが次々に終了していった。いったい何してくれてんだイーロンよぉ、とサービス終了のお知らせを見たりや突然消えてしまったbotに気づいたりするたびに頭を抱える。
こうなったらもう手動でまとめるしかないか、とPCを立ち上げて日記blogにtweetを貼りつけて数日ごとにUPし始めた。完全に自己使用だが、更新頻度が増えたせいか閲覧回数が増えている様子。

ついでに書いてしまうが、映画鑑賞記録として使っていたcocoもAPI有料化の影響でサービスを停止することになってしまったので、地元映画館のオンライン予約で使っている映画ランドで記録をつけて感想を書くことにした。題名をつけるのとスコアをつけなければ投稿できないのが気に入らないが、新しくアプリを入れるよりも手間がかからなくていいのかなと思って。

そして、この春のこと

先月、大学時代の恩師が亡くなった。95歳だった。大往生である。
ご家族から連絡を受け、葬儀にも行った。3年ぶりに東京に足を踏み入れた。

恩師は私が盛岡に来るきっかけをくれた方だった。
とはいえ彼女自身は盛岡人ではなく、現職場の求人の仲介をしていただいたというだけだけど、就職難の頃に遠方でもご紹介いただけたのはとても有難かったし、なによりも台湾生まれであったことからお互いに様々な縁を感じたので、帰省時には必ず横浜にあるオフィスに足を運んだし、10年くらい前からしばらく、夏休みや連休時に泊まり込みで仕事の手伝いをした。
師匠と同じ職業に就いて30年近くになるが、彼女に語ったような理想が未だに実現できない。よい報告をできぬまま別れてしまい、悔しく思う。
しかし、師匠のおかげで今の自分がある。それに感謝している。
せめて、師匠からいただいた宿題と、お預かりした原稿は私が引退するまでにはなんらかの形にしたい。

我が街での別れ。来た時はデパートだった建物が、来年複合施設に生まれ変わる。

3年3カ月ぶりに東京に足を踏み入れてしまったので、今月初めに再び上京し、4年ぶりに親友と会い、日本橋でデートした。以前と変わらずおしゃべりに花が咲き、共に旅した頃の思い出話をし、今度は一緒に台湾に行こうと約束した(欧州方面が専門だった彼女だが、台湾は未知の地とのこと)
感染防止策を講じてあまり歩かないようにしたけど、それでも人混みが久々だったので疲れてしまい、この数年で失われたものの多さを実感した。
これも筋トレを始めるきっかけとなったのはいうまでもない。
というわけで冒頭の話題につなげて、この項を締めるのであった。

某カフェラテのCMの如く、マウントレーニア感あふれるマウントイワテ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?