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無関心でいてくれる人の中で暮らすのもいいものだ

父とはたぶん根本的に相性が悪いのだろう。

おそらく、家族としての煩わしさはお互いに感じていたのだが、あえてその部分に触れずに今まで来たのだと思う。誤解しないでいただきたいのだが、某ロシア文学のように、そこに生臭い事情は存在しない。たぶん普通の、血のつながった僕の父親なのだ。

我が家には「大きな声を出したら負け」という謎ルールが存在した。そもそも何の競技かは不明なのだが、理詰めでいってもエビデンスを示してもダメなのだ。父がダメなものはダメなのだ。そんな意味不明で言語の違う部族との会話の終盤にはそりゃあ声も大きくなる。いつもそうやって試合終了。いつしか同じフィールドに立つことを諦めた。

ちなみに、ある時あまりの理不尽さに思い余って胸ぐらを掴んでしまったことがある。思春期をとうに過ぎた大のオトナが取っ組み合いの喧嘩をするという事件は、我が家の真っ黒い歴史に刻まれている。

父は、家長の言うことさえ守っていれば人生間違いないのだという昭和の根性論信者だった。昔はどこの家庭にもこういうステレオタイプの父親は存在したのだと思う。しかたない。
じゃあ素直に従わなかった僕は不幸かと言うとそうでもなく、ぼちぼち幸福なのだと思う。

そんな我が家の「大きな声を出したら負け」信者も加齢とともに驚くほど耳が遠くなっている。「俺は困らないから」という理由で、買ったばかりの補聴器もほったらかしである。いや、困るのは一緒に暮らしている人たちだからという僕の言葉はその耳に届いているはずもなく、部族間対立は未だ解決できていない。
ただ、今でも「大きな声を出したら負け」ルールは健在なので、その時ばかりは競技に参加する。僕は思いつく限りの悪態をついているのだが、僕の声は父の耳に届いていない。

パーフェクトゲームである。


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