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我忘れる。ゆえに我あり。

「そんな辛い事、早く忘れたほうがいいよ。」
そう。忘れようと意識すればするほどに、忘れてしまいたいことは脳の中ではちきれんばかりに膨らんでいく。対して忘れてはならないことほど脳内にとどまらない。忘れることが身を切るような苦痛を伴うものであったのなら、僕はいくらでも忘れないのに。たぶん忘れるという生理反応は人にとって生きていくための正常な快楽なのだと思う。

僕の脳と指はどこまでも仲たがいを止めない。メモの最中に何を書くのだっけと忘れる。メモを書き上げても書いたメモを自宅に忘れる。精霊に選ばれし者としての優越感すら感じる。

トイレットペーパーとティッシュとキッチンペーパー。よし、紙シバリで3個だ。こんなの3歳児だってできる初めてのおつかいレベルだ。3つくらいなら覚えておけるだろうという慢心とともにルンルン向かうドラッグストアも、その明るい照明と能天気な店内音楽によって僕の脳は初期化されてしまう。
帰宅するとキッチンペーパーはなぜかウェットティッシュに変換されている。

お題目として唱えるかミュージカル仕立てでいく。というのも手間がかかる…。あるいは外国童話の賢い少年がパンくずを撒くように…。あ、小鳥さんが食べちゃった。ううむ現実的ではない。スケジュールアプリも入力途中に内容を忘れるし見ることすらも忘れるし見ても思い出さない。主治医なら穏やかにこう言うだろう。「落ち着いて聞いてください。いいですか?もう、末期です。」

せめてキーワードだけでも書き込もう。黒いマジックで手の甲、手のひら、すぐに目につく身体の部位に。これが一番性に合っている。ノーラン監督のあの映画、気持ちがよーくわかるぞメメント!

思い出すということが自動的にスタートするような歯磨きのようなプログラムであったならなあ。そうだよ。家に帰ったら靴を脱ぐとかスリッパを履くとか習慣化されたものであったらなあ…

そうやって妄想しながら、今日も帰宅するやいなや僕は丁寧に手を洗う。



(183日)

#エッセイ #コント部 #僕なりの幸福論 #毎日note #忘れんぼう #メメント

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