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2024.02.05「それぞれの生活に運ばれる」

随分とnoteを書くのをサボってしまった。
特に理由もなく、「忙しかったから」。

日々の生活の中で目の前のことを
こなすことに必死になって、
その時の感情や出来事を書き残すことへの
余力が生み出せなかった。

ところが、実は今年に入り手書きの日記を
つけ始め、これが意外と続いている。
「書く」ことの思考整理効果と、
ヒーリング効果のようなものは無視できないな
と改めて、身をもって感じている。

2024年が始まり、既に1ヶ月が過ぎたけれど
今年は少し「書き残す」ことを
意識してみたいな、と思っているところです。

noteも無理なく、余力がある時に
更新して行けたらと思いますゆえ、
どうぞ、よしなに。


私の生活は、ゆるめの2拠点生活というか
自宅と 島根の実家を行き来して
仕事やイベントや主婦をしている。

その時、どうしても公共交通機関を
利用するのだけれど、
私は本が好きなので 毎回バスを選択する。
(乗ってる間に一冊くらいなら読めちゃう)

ゆっくり本が読めるから、というのも
バスの魅力だけど、
同じ空間に 色んな人々が乗り合わせて、
普段交わることの無い人々が
つかの間交わり 同じ方向に運ばれるのに
その先に バラバラの人生があることが
なんだか不思議な平和さで好きだ。

誰かに逢いに行くのか、もしくはその帰りか
はたまた実家に帰省するのか…
同世代かもっと若い世代の人が一人で
乗っていたかと思えば、

その後ろの席には 年老いた母とその息子
のように見える、旅行客風の2人がいたり。

仲睦まじく 小声で窓の外の景色について
話している壮年の夫婦がいたり。

休憩で寄ったサービスエリアでは
降りる派の人と車内に残る派の人が
パックリ分かれたり…

こんなにも別々の人生が同じ乗り物に
詰め込まれて、同じ方向に運ばれている。
カオスだ。
でも、そのカオスっぷりがなんか良い。

同じ理由で、銭湯も好き。
裸の人間たちが揺らめいて同じ湯に浸かり、
何事も無かったかのように
それぞれの日常に戻っていく。

どうしても非日常的な感じがして
なんだかワクワク、ソワッとしてしまう。
そもそも「そういうもんだ」と
裸で他人と同じ湯に浸かることを認識している
ことって、改めて考えると結構 変。
その辺も考え始めると楽しくなってしまう。


公共交通機関のなかで唯一、
そうでも無いのは「電車」。

座れるかどうか分からないし、
パーソナルスペースが確保されない不安定さと
カオスを楽しむ感情を天秤にかけたら
余裕で不安定さに対するマイナス感情が勝つ。(結構、パーソナルスペースって大事よね。)


ということで、今日もバスに揺られて帰る。
私は私の生活へ。それぞれの生活へ。

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