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理由を求められるのはいつもマイノリティ

旦那さんと結婚して、3年目に突入した。
私たち夫婦には子どもがいない。

そうなってくると、よく聞かれるのが
「子どもはまだ?」
「親御さんも孫見たいんじゃない?」
「なんで子どもをつくらないの?」
とかいう、よくある質問。

正直、どうせ大した興味じゃないんだから
いちいち聞いてくれるなよ、と辟易するけれど
言ってきた人にとっては他人の人生を覗きたい
野次馬根性的な好奇心が止まらないから
聞くんだろうなぁ、気になるんだろうなぁ
とも思う。



私たち夫婦は、簡単に言うと
子どもをつくるぞ!というほどの覚悟もないし
今後絶対子どもはつくらない!という判断を
25歳にして下すほどの決断力がある訳でもない。

だけど、何も考えず悩まず
「可愛いから」と子どもをつくって
自分の選択に後悔したり、
最悪の場合 子どもにも生まれたことを後悔させるような親になるくらいなら、
中途半端な覚悟も判断力も要らない。
と、思っている。

(私はね。旦那さんの気持ちを言葉にすることは彼にしか出来ないので、もしかしたら違った理由から、今は子どもをつくらない という意見になっているのかもしれない。何度も話し合う中で、似たようなベクトルではあると認識している。)

冒頭の質問を本当に心配で聞いて来る人や、
自分なりのアドバイスしてくる人もいるけど、

「私はこう思うから子どもをつくったけれど
貴方はどういう考えを持って生きてるの?」

みたいに、先に自分の生き方の理由を伝えてくれる人は、ほぼ居ない。

どうやら、みんな幼稚園で

「お名前を聞く時は、
先に自分の名前を伝えましょうね〜」

と教えてもらわなかったらしい。


毎回毎回めんどくさくなってきて、
その場では

「今迎えても子どもが可哀想なので、
今のところ子どもは考えていないんです」

とサクッと答えるようにしているけれど、


なんで私、答えなきゃいけないんだろう?

なんで自分たちが子どもをつくった理由は
当然のように言わないくせに、
私には子どもをつくらない理由を
求めてくるんだろう?

一人の人生が始まることなのに、
子どもをつくることには理由は要らないの?

無意識な強者意識、多数派意識から?

少数派だったら、多数派に
説明して回らないといけないの?


など、帰り道やお風呂・寝る前のベッドで
モヤモヤしてしまう。
考えすぎなんだろう、と自分でも思う。
でも、どうしたって考えてしまう。

そして、ふと思った。
これって、他の問題にも当てはまるんじゃないかしら??

例えば、LGBTQについて。
最近は「ダイバーシティ」「多様性」などという
言葉が浸透して、何となくみんな受け入れる姿勢を見せよう、という態度を感じる。

でもさ、受け入れてもらわなきゃいけない話じゃないんだよなあ。

「私はこんな性自認です、それでも胸を張って生きていきます」

こんな風に多くの人が発言し、
それに対してまた多くの人が賛同して、
ひとつの大きな波になる。

この発言や賛同について反対したいのではなく
それ自体については素晴らしいと思うし、
どんどん自分が思うことを
本当の意味で素直に話せる世の中、
すごく素敵だと思う。

ただ、ここでも理由を求められるのは
説明を求められるのは、マイノリティなのか。
と、改めて気付きハッとして
なんだか重たい気持ちになる。

本来、自分の持って生まれた性や
ジェンダーに対して
理由も説明もカミングアウトも要らないよなあ。


他にも同じような

“マジョリティに対して
理由・説明を求められるマイノリティ”

の図は、多くあるんじゃないだろうか。

貧困の中に生きる人たち だったり、
日本に住む海外の方たちだったり、
障がいをもつ人たちだったり、
宗教的マイノリティの人たちだったり。

でも、理由を知りたいと思うことは
相手を知りたい、ということでもあり
そこから生まれるコミュニケーションや
他者理解は必ずある。

聞き方や、相手との関係性によっても
受け取り手の抱く感情は異なってくるだろう。
一概に「悪」だとも言えず、すごく難しい。

(この、一概に「悪」だと言えない部分が
人間味があって愛おしさすら感じる。)

私は生きていく上で、
コミュニケーションをとても大切にしている。
そして繋がっていく人々と、
何気ない日々を重ねていくのが
幸せでたまらない。

けれど、コミュニケーションとして
誰かに歩み寄ることは、
その誰かを傷付けてしまう可能性を
半分くらい孕んでいるとも思っている。

子どもについて理由を求められ、
こんな風に偉そうに憤っている私も、誰かに
理由を強いてしまっているかもしれない。
気付かないところで、
傷付けてしまっているかもしれない。


誰かから見たら私はマイノリティでも、
他の誰かから見たら私はマジョリティだ。

そのことを忘れずに生きていきたい。
たまに忘れて失敗しても、何度も思い出して
諦めずにコミュニケーションをしていきたいな〜
なんて、思ったのです。

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