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2023.09.27『罪悪感についての考察』

だんだん涼しくなってきたので、
今日 洗濯したヒヤッとシーツの
「強」を裏返して 「弱」に変えてみた。

「強」に飼い慣らされた身体は
ひんやり感が物足りず、今このnoteを書きながら
裏返して再度「強」に戻そうか悩んでいる。

毎年、衣替えの正しいタイミングが掴めない。


朝起きて、洗濯出来そうだったので
小躍りしながら洗濯を干す。

家事の中で一番、洗濯が好きだ。
洗濯がしたいがために、家中の布製品を
かき集める時すらある。

理由は単純。
綺麗になった感じがしてスッキリするから。
そして、目に見えて成果が分かるから。

今日は旦那さんが在宅だったので一緒に干す。
ありがたいけど、細かい干し方を指摘されたり
逆にやり方の違いが気になったりするので
1人でやった方が気が楽なんじゃ…?と思う。

多分 旦那さんもやりたくてしているのではなく
家事を私ひとりに任せっぱなしでは悪いなぁと
思って一緒にやってくれているんだろう。
エッ、そう思うと優しい……。

実際、いつもより早く干せたしありがたい。
もっと褒め合えばよかった。
最近 一緒にいることに慣れてきて素直になれないのが悩みである。ツンツンツンデレだ。


お昼の間に、
恒川光太郎さんの『化物園』を読む。
もともと好きな作者だけれど、今作の構成は
日本昔ばなしみたいで どタイプだった。

両親に沢山読み聞かせをしてもらったせいか、
グリム童話や日本昔ばなしのような
おとぎ話っぽい小説が堪らなく好きだ。

なんなら、未だにグリム童話とか
日本昔ばなしとかも好きだ。わくわくする。


夜は毎週水曜日に企画している哲学対話。
今回のテーマは『罪悪感』。

むずくね?と思いつつ、
事前に色々調べたけど
それでもよく分からないから、
掴みきれないまま参加した。

・罪悪感を抱く対象は、自分?社会?
・反省、後悔、罪悪感のそれぞれの差について
・各々の罪悪感を感じたエピソード
・「あるべき姿」に戻すための矯正力が罪悪感?
など、今回もめちゃくちゃ面白かった。

ニーチェが「罪悪感は人類の間に蔓延る病だ」
的なことを言っていて、
ごりごりにディスっているけれど、
罪悪感があるからこそ道徳があったり
良心があったりするよな……とか
今なお、色々考えてしまっている。

(ニーチェは道徳についてもディスっている。
 ルサンチマン論がしっくり来ない私なので、
 もっと本を読みたい、と改めて思う。)


共同企画の方が感想で、
罪悪感を感じるのってめちゃくちゃ辛いから
全力で罪悪感を感じないように
行動を選択している気もしてきた。
と仰っていて、なんか分かる気がした。

もしかしたら、旦那さんが洗濯物をするのも
突き詰めていけば 罪悪感を感じないように
するためかもしれないし、
私が素直になりたい、と思うのも
罪悪感を減らすためかもしれない。

となると、いろんな行動の原動力は
「罪悪感を感じたくない!」という感情?

まだグルグルと思考が回っているけれど
回しっぱなしで良い。
多分、今後 感じる罪悪感や 無視する罪悪感に
今までよりは敏感になれるはずだ。

哲学対話のいい所のひとつは、
目につく物や言葉が増えること。
今までは流してしまっていた感情が
輪郭を伴って感じられることだ。

世界の解像度が少しだけ上がる気がする。
(大きく出過ぎると、また罪悪感を感じる結果に
   なってしまうかもしれないので、
 「少しだけ」と控えめに言っておく。)

今日も日記をかけたので、罪悪感ひとつ回避。
羊を数えながら眠ろうと思う。

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