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社会人野球から金融スタートアップへ〜挑戦し続ける男の軌跡〜【東條航】

社会人スポーツの最高峰のひとつ”社会人野球”の世界から、投資運用会社fundnoteへ。真剣勝負の一線で闘ってきた男はいかに金融の世界に飛び込んだのか。

---出身地や社会人になる前までの経歴を教えてください
出生地は大阪で、幼少期は神戸で過ごし、5歳から神奈川県川崎市で育ちました。両親が関西人の為、家庭では関西弁、外では標準語といういわゆるバイリンガルってやつですね。はい、すべりキャラです。笑
中学・高校は神奈川県の桐光学園、大学は早稲田大学文化構想学部になります。4つ上の兄の影響で野球を始め、小学校、中学校、大学と全国制覇を経験しました。チームが強かったので、野球エリートのように言われることが多いですが、常に試合に出れるか出れないかの瀬戸際だったので、実力は大したことありません。そのため、スポーツ推薦を活用し、入学できたことはありませんでした。
 
---早稲田大学時代はどのように過ごしていましたか
文武両道の模範学生のように過ごしたかったですが、野球一色と言っても過言ではない大学生活でした。
早稲田大学野球部は上下関係が非常に厳しく、生きた心地のしなかった下級生時代から始まりました。ありがたいことに3年生から試合に出場し、試合に出場するようになってからは24時間365日野球のことばかり考えていたと思います。
ただ学校はきちんと通い(当たり前ですが…笑)、野球部員が少ない文化構想学部ということもあり、学内では目立っていたと思います。そのおかげで野球部以外の友人もたくさんでき、特にゼミのメンバーが個性的だったのでキャンパスライフも充実していたと思います。

無双する大学野球時代

---新卒での就職について教えてください
JR東日本にスポーツ枠のような形で入社しました。早稲田大学野球部103代主将を務めたこともあり、諸々の事情を考慮し、社会人野球のステージへ進むことを決めました。それまで自分が社会人野球をするなんて、人生の選択肢に全くなく、大学3年生の頃はなんとなくフジテレビに入りたいと考えていたこともあったくらいです。
 
---社会人になってからの経歴を教えてください
社会人野球の舞台で6年間プレーし、社会人ベストナインや都市対抗優秀選手など様々な賞をいただき、現役最終年は主将も経験しました。選手時代から人材育成に興味があり、現役引退後は東京駅で駅員として従事しながら、筑波大学大学院にてコーチングの学位を修得しました。大学院卒業と同時に、fundnote株式会社(旧KxShrare)に転職しました。

社会人野球でも勢い留まること知らず

---fundnoteに入社した経緯を教えてください
弊社代表の渡辺がきっかけです。渡辺とは早大野球部同期になります。キャンパスも同じで、グランド・学校と常に一緒にいた仲でした。渡辺は新卒で野村證券に入社し、目覚ましい活躍をしていると聞いていました。渡辺に限らず、早大同期は社会人としてメキメキ成長をしていました。
私は社会人野球で中心選手として活躍するようになっていましたが、仕事においてはメールを打ったこともなければ、電話に出たこともない状況。もちろん高いレベルで野球に打ち込める機会をいただいていることに充実感はありましたが、プロ野球入りが難しくなってきたころから、心のどこかで「このままではまずい」といった想いが常にありました。人生を長い目で見た時、ビジネスマンとしてのスキルを身につけておかなければ野球しかない人生になってしまうと。
私は中学高校とそれなりに勉強をしてきました。その理由は広い選択肢を持ちたかったから。野球はもちろん好きですが、野球しか選べない状況で野球をするのと、色々選択肢がある中で野球を選ぶのは価値が全然違うと考えています。JR東日本も素晴らしい会社でしたが、大企業の看板に生かされる人生は自分らしい人生ではないと思い、大学院卒業が見えてきた段階で転職活動も始めました。
そんな状況で最初に相談したのが渡辺です。自身の価値観・転職条件はある程度まとまっていたのでそれを伝えると、「全部叶えるから一緒にやろう」と声をかけてくれたのがきっかけになります。30歳まで野球に打ち込んだという選択を、将来人生を振り返った時に良かったと言えるよう、これからを更に頑張りたいと考えています。
 
---現在の業務内容や役割を教えてください
営業部でセールスをしています。多方面で成功を収められた方とお会いさせていただいており、サラリーマンを継続していたらお話できなかったであろう方々の考えに日々触れさせていただいております。成功の理由はそれぞれあるかと思いますが、踏み出す勇気・圧倒的な行動量は共通しているところかなと感じています。
この先どんな人生になるかは分かりませんが、多くの刺激的な方々とお話させていただく機会は今後の糧になりうる貴重な経験だと感じています。

1人1人との出会いが世界を広げる

---仕事やキャリアに関し、大切にしていることはどんなことですか
アニメ鬼滅の刃のワンシーンを借りるなら、「心を燃やす場所にふさわしいか」というのは常に念頭にあります。fundnoteジョインのきっかけのひとつに親しい先輩の突然死があります。近いうちゴルフに行こうと話していた先輩の訃報を経験し、人生一回きりということを痛感しました。やりたいことがあるならやりきろう、攻め続ける人生にしようと心に決めました。
他には、割とポジティブ変換が得意な気がしています。物事って、同じことが起きても捉え方は人それぞれですよね。私の場合は野球の現役時代、ケガで戦線離脱した際にこの思考が身につきました。「野球ができない」とネガティブに捉えるか、「離れている間に自分を見つめ直す機会にする、強くなって復帰する」とポジティブに捉えるか。すべてのことに意味はあると物事をポジティブな方で捉えられるよう、良い自分で日々過ごすことは意識しています。まとめてみたところ”心身の健康第一”です。
 
---野球から金融業界へキャリアチェンジをされた経緯や想いを教えてください
私は「人生ドラクエ思考」と考えています。ドラクエの職業に上級職というものがあり、武闘家と僧侶を極めた者がなれるパラディンや、戦士と武闘家を極めた者がなれるバトルマスターなんかが僕は好きでした。
野球はプロ野球こそ行けなかったものの、それなりのところまでレベルをあげた自負があります。ただそのレベルでプレーできた人ってたくさんいるんですよね。そこに何かを掛け合わせることで自身のレベル(市場価値)が上がると考えました。ドラクエって深くて、強くなると倒せるモンスターの幅も増えて、お金稼ぐのって簡単になるじゃないですか。そしてお金が増えるといい装備が揃えられて、成長速度が加速しますよね。
リアルな人生も同じであると信じています。金融業界に転職し、まさしくレベル1からのスタートとなりましたが、日々成長を感じています。
またプロ中のプロがいる環境というのも、fundnoteへのジョインのきっかけとなりました。これは野球で学んだことで、上手い人の中にいると気づいたら自分も上手くなっている。早稲田でもJRでも、その組織で生き残ろうと食らいついていたら、いつの間にか周りから見ると一定以上の選手になれた。
渡辺と川合(弊社ファンドマネージャー)のもとで食らいつけば、一流の金融パーソンになっているのではないかと楽観的に考えていたこともキャリアチェンジの経緯です。
無論、キャリアチェンジを口にするのは簡単ですが実際はそう簡単なものではありません。現実としては日々勉強中です。ありがたいことに周りには一流のメンバーが揃っているので、彼らのルーティン・発している言葉を参考にしながら、「分からないことを放置しない」を肝に銘じています。お客さまとの会話の中でも分からないは多発します。これは転職して1年以上経った今でも変わりません。目まぐるしい勉強の日々ではありますが、野球で培った粘りの精神で食らいついていきたいと思います。
 少し長くなりましたが、自身が成長できる場所だと感じたこと、魅力的な人材が揃っていたこと、命を燃やすにふさわしい場所だと感じたことがキャリアチェンジのきっかけですね!

まだ見ぬ次のステージへ

---fundnoteを通して、実現したいことはありますか
ジョインを決断した理由のひとつとして「日本にインパクトのある仕事をしたい」ということがありました。
「1億総株主時代」は弊社が掲げているビジョンです。投資が当たり前になるだろう近い将来、全国民がfundnoteを活用している。そんな将来を思い描いていますし、実現に向けて主戦力として貢献したいです。そしてその先に、みんなでいい景色を見たいなと思います。
少し自慢げに聞こえていたら申し訳ないですが、僕は野球で日本一を5回経験しました。その時の景色って何物にも代えがたいものがありました。
渡辺の縁を中心に集まった当社メンバーは、なかなかいい味のあるメンバーだと思っています。このメンバーで、見たことのない景色を拝みたいものですね。

(完)


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