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リモートワーク化に「笑い」という本を読んで

世界情勢の大事により、トフラーが「第三の波」で予測したように遠隔地にいても在宅で仕事ができるようになった。対面コミュニケーションの機会は減り、「リモートワー苦痛」なる言葉も生まれ(いま考えた)、テキストや画面越しに相手の感情の機微が読み取りづらい日々が続いている。

文字列コミュニケーションが疲れるとか、オンライン会議が疲れるという問題もあると思うけど、自分は「笑い」の拡がり具合の違いに大きな問題を感じていた(きっと他にも困っている人がいるはずだと思い、この読書感想文を書いている)。

そんな時に手に取ったのがベルクソンの「笑い」という本だ。

ベルクソン「笑い」

不勉強でアンリ・ベルクソンのことは知らなかったのだけど、20世紀の哲学者でノーベル文学賞を授与されていて、多くの哲学者に影響を与えている人物だそうな。

角川武蔵野ミュージアムの「むつかしい本たち」というコーナーで、僕はこの本と目が合って、数日後に近所の図書館でもまたもや目が合ってしまったので、観念して家に連れて帰ることにした。

「笑い」を引き起こす「おかしさ」はどこから生まれるのだろうか。

「笑い」裏表紙より

ベルクソンの「笑い」はざっくりと以下のような感じに分析されているのだと思う。

  • 人間的な生に対する硬直性がおかしさを生む

  • 「笑い」状態で人間は無感情・無関心になる

  • 「笑い」は集団の中で反響する

(大事なエッセンスを残しつつ、わかりやすく端的にまとめようとしたけど、かなり長文の支離滅裂な文章ができあがったので、ばっさりとカットして)超訳的な解釈を書くと

  • 普段は気にも止めないような常識的なことを、あえて常識外れに演出するすることで、人間は「そうはならんだろ!」とツッコミつつ、「常識を守ってる」自己を認識し、緊張がほぐれ、リラックスして、「よし常識を守っていくぞ!」という気持ちを持ち直しつつも、同じように笑っている他者に共感し、仲間意識によって社会性を強くする。

ということでは?と思ったのでした。

「笑いは孤立したところには生じない」とベルクマンは言っていて、「笑い」は場のようなもの中を反響しながら拡がる的なことも書いてあった。それは目に見えない仲間意識のゾーン的なものだ、なんか知ってるぞと思う。

「笑い」が作る仲間意識的なゾーン

見えない仲間意識的な笑いのゾーン、仮に「笑ゾーン」としますが、Slackのチャンネルや、オンライン会議の場に「笑ゾーン」が発生することは度々あるけれど、そこの境界をはみ出して「笑ゾーン」が拡まりづらいように思う。その辺りをデジタルはきっちりと分断してくる。

物理オフィスに人が集まることには、「笑ゾーン」をいい感じに自然と拡げていく機能があったということかなと思います。リモートワーク環境で「笑ゾーン」を拡げていく工夫がされていない場合、むしろ「笑ゾーン」が断絶して形成されて発生してしまい、そのゾーン内の滑稽味が強ければ強いほど、外側にいる人間は距離を感じている恐れがある。

僕は「通勤レス最高」な感じをわかりやすく満喫してしまい、リモートワー苦痛に気づくのが遅れ(普段はわりと環境の変化をいち早く察知して、すぐ体調を崩すカナリアタイプ)、あまりこれといった変化を環境に起こせもせず、フリーランスになってしまったところがあるのですが、もうちょっと早くわかっていれば、「笑い」の拡がりに対してもっとやれることがあったかなという後悔があります。

チームをやっている皆さんは、リモートワークで「笑い」をどう拡げるのか?という一見価値のなさそうな事に真面目にリソースを割いて、解決策を試し、上手くいったらバンバン世間に共有していってほしいなと願うばかりです。

ベルクソンなんて「笑い」の中で真剣に分析すれども、ひとつも自作のギャグいれてこないですからね。逆に滑稽でしたよ。

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