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実践倫理学 -現代の問題を考えるために / 児玉聡

社会人になってからというもの、「どう行動するのが正解なのか」について自問することが多くなった気がします。今までも葛藤を抱えることはあったけれど、結局自分のことだから〜と気分や流れに身を任せてきました。

でも生徒や同僚ができるとそうもいかない。根が怠け者なのに一丁前に責任も感じるもんだから、適当なことをしたくないという焦燥に駆られ、悩む。でも悩むことのできる時間も限られている。趣味にだって時間を割きたい。結果やっつけになり納得のできないものばかりが出来上がっていく。もやもや。

こんな時にはいつも、十分練った上で構成された自分なりの行動指針が欲しいなあ、準備しておきたかったなあという気持ちに駆られていました。格率ってやつですね。入試問題を扱う時に哲学的な文章に心惹かれがちだったのはそういう背景もあったのかもしれません。

せっかくまとまった時間が目の前にあるので(もちろんやらなくてはいけないこともたくさんあるのですが)「倫理学」に本腰入れて取り組んでみようと思い立ち、読んだのが児玉聡さんの『実践倫理学 ー現代の問題を考えるために』です。

本書の目的は、水泳の泳ぎ方を身につけるのと同じような意味で、現代社会における倫理的問題について哲学的に考える仕方を読者に身につけてもらうことである。


書き出しです。まさにうってつけじゃん!と思いました。内容も


第1章 倫理学の基礎
第2章 死刑は存続させるべきか、廃止するべきか
第3章 嘘をつくこと・約束を破ることの倫理
第4章 自殺と安楽死
第5章 他者危害原則と喫煙の自由
第6章 ベジタリアニズム
第7章 善いことをする義務
第8章 善いことをする動機
第9章 災害時の倫理 ー津波てんでんこ
第10章 法と道徳

興味をそそられるコンテンツばかり。しかも本書は入門書のスタンスで、それぞれのテーマに関する議論について非常に明快に整理してあります。 その中でも特に僕がこれは、と感じたのが

①偽善 ②相対主義

についてです。

「あらゆる善行は偽善であるという発想は、道徳に対するシニシズム(冷笑的な態度)を生み出し、善行をすることを思い留まらせる可能性がある。」

なんか世の中こういう発想の人結構多くないですか…?本文ではこの姿勢を「利他主義への懐疑」と言っています。筆者はこれについて「至近因」と「究極因」という二つの動機を持ち出したうえで、「究極因が自己満足だからといって、行為に道徳的価値がないとは限らない」という旨の言及をしています。

僕は「道徳ってなんかカッコつけた振る舞いが多いけど、本心からその振る舞いをやっていないのってめちゃめちゃカッコ悪いよね」というように、「カッコいい/悪い」という価値判断が「善/悪」の価値判断とごちゃ混ぜになっているのではないかと思います。特に思春期の子供には。

「人からどう見られるか()」
×
「本心ありのままであるのがカッコいい」
×
「性悪説」

それぞれを解きほぐしていくことが必要なのかなと。

また相対主義について筆者によれば、「相対主義によって他の人になんと言われようと無視してよいという言説が導かれている。そして道徳は法と違って強制力がないから無視しても良いという立場が取られることがある。しかし法規範と同じく道徳規範にも、逸脱したものにはしかるべき制裁がくだる。」とのことでした。

相対主義の弊害はここ数年よく見かけるようになった気がします。何が絶対で何が許容されるのか、この線引きを間違えないようにしなければいけないのは再確認しました。

一方で、「制裁」に関してはなかなか難しいなと。コロナによる「村八分」や「自警団」にも似たような匂いを感じますが、道徳規範のズレから「不当」な制裁を受けることについて。本文にあった規則功利主義についてもう少しいろんな文献を読んで知識を深めたいなと思います。良い本あったら教えてください!


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