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池島

ふなよし放浪記です。
池島に行きました。
端島(軍艦島)には行ったことがあるので炭鉱の街の様子については知ってる気でいた。
しかし池島はなんと今現在も人が住んでいる島なのだ。

500円くらいのフェリーで行く🚢
天気が良い〜☀️
島の全容はこのような感じ

バスで島の1番上まで。100円ならば利用しない手は無い。
台風で結構崩れてしまってるそうで、炭鉱内への見学も営業してないらしい。とても残念だ、、、

なんの施設でしょう??


答えは小学校です。でかいですねー
第二問(いつのまにかクイズ大会になってる笑)
全校生徒は何人でしょう?
the answer is 2
2人です。

昔と今って全然違うんですね、、、と思いつつ島の1番上に着く。
降りたら静寂。その後耳を澄ますと波の音、風の音、鳥や生き物の音に気づく。
なんだ、音するじゃん!
建物の方に歩いていくと

廃墟しかない。その中に緑が覆い尽くされている。
とても不思議な感じで圧倒された。

決して空かずのとびら。もう2度と空かないのでは?という雰囲気さえ醸し出す。

中はこんな感じ(ドアの隙間から撮れた)
廃墟特有の生活の時間がそのまま止まった感じ。それでも時は立ち物は朽ちてゆく、、、
居た堪れない気持ちになる反面で美を感じます。
なぜ美を感じるのでしょうね?
桜が散る感覚ですか?

夜にお化けが1人で遊ぶんかな👻と思っていたらもう鎖だけになっている始末、、
近寄れませんでしたが、触ったら崩れそうですね。

炭鉱の運営会社である三井松島が、事故などで亡くなった人を弔って建てた碑になりますね。第一次産業に支えられて今日の日本があるわけです。忘れずにいたいなと思った反面、どこまでこの言葉がこの企業に根付いているのだろうかと思う気持ちもありました。

かぁちゃんの食堂で一休み。コーヒーとお菓子をいただきます✨島でほぼ唯一の食堂で、炭鉱閉山後に残った人向けに調理師免許を取ったりした後に開業されたそうです。

店内には一面のメッセージボードとこの島で取れたという石炭が。メッセージボードには日付と、また来たときにこの島、この場があって欲しいという願いから未来への意味を込めてます。

餌がもらえると勘違いしている店の前の猫を掻き分けて外に。かぁちゃんと猫ちゃんたちありがとう〜

お次に足を運んだ先は診療所。Dr.コトー診療所を思い出します。玄関先をウロウロしていると看護師さんが出てきてくださった。少しだけお話を伺うと、まさか池島に派遣されるとは。けれども先生(医師)はいい人だし、やりがいはあるそうです。
そして最後に忠告を。後ろから「ガラスが飛んでくるよ」早く言ってくださいという感じでしたが、その建物は写真2枚目。

お分かりいただけるだろうか?しっかりガラス片がありますね😱
サンダルだったのもあり、そそくさと立ち去りました。

お次は中央公民館のようなところへ。3千円くらいで一泊泊まれるそうだ。写真展をしていたので拝見した。自然と人工物との対比綺麗ですねぇ。

また、喫煙所に大学の研究が貼ってあるから行っておいでーとスタッフさんに言われ見に行った。阪大と京大の低年次の学生がこちらで合宿形式で調査したりグループワークしているようだ。書かれていることがどれも本当すぎて、「よくも本当のことをいってくれたな🥺」って島民の人は思いそうだけれど、学生ならではの素直な感性があるから許されるのかもしれないなと感じた。若者の役割は夢を語り、綺麗事を大声で言うことでそれは経験がなかったり無知であるからこそ堂々と主張できるとお世話になった人が言っていたのを思い出した。

また歩いて行くとヤギ🐐♑️に遭遇。餌あるのかな?

ついに降りていくと来ました。炭鉱関連の施設。遺跡の方が相応しいかもしれない。静寂を静かに微かな波音と鳥の音が覆っている。昔はこの場所はどんな音がしたのだろうか?人々の賑わい、機械の音たち、何れにせよ賑やかだったろう。どこかでそんな音も聞こえてくるような気がする。

近日の台風により更に破壊が進んだそうである。どんなに大きく立派なモノでも必ず終わりは来るのだろう。無常感と片付けるのは簡単だが、このときの流れを目の当たりにすると恐ろしさすら覚える。今私が当たり前だと思っている物事もこうなるのかもしれない。そしてそれは悲観すべき事だろうか?
答えは出ないしモヤモヤしたままこの島を経つ。
次は泊まれるといいし、炭鉱見学が復帰していたらまた来たい。
自分が何年生きられるかはわからないけれど、この島の行末がとても気になる。

さよなら池島。さよなら今日の日

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