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渋谷文芸食堂の最近。と、『卒業ホームラン』について

久々のnoteの投稿です。とても反省しています💦
気がつけば、アカウントの開設から5周年のようで、恐ろしく震え上がっているのですが😭 近況報告も兼ねて、重松清著の『卒業ホームラン』という本を語りたいので、投稿します。

文芸食堂はじめました

さて、最近は自分の仕事とは別に(別といっても密接に関連しているのですが)子ども食堂に力を入れています。その名も渋谷文芸食堂。

子ども食堂に、せっかく場所に集まるのであれば、ワークショップしたり楽しいことをしよう!
でも、包摂的な居場所としても成立するように、一人できても楽しめるように本を中心にしよう
両方を満たせるように、文芸に関する文芸食堂としました。
これまでの活動や仕事でお世話になった方にご賛同いただいて、今年度から開催できています。こんなイメージです。

本のコーナーで紹介した本

ただの本を置くコーナでは味気ないので8月からテーマを設けて開催しています。8月は「夏」だったので9月は「スポーツ」にしました。
ボランティアさんもたくさん本をご紹介いただいたり、持参していただきましたが、私が紹介したのは重松清氏の『日曜日の夕刊』です。

 当日開催の子ども食堂が日曜日ということもあり、選びました。特に短編「卒業ホームラン」がおすすめです。初めて読んだ時は、国語の試験の時。号泣してそれどころではありませんでした。
 スポーツには勝敗や優劣がつきものです。仲間といえば聞こえは良くても、レギュラーと控え、一軍と二軍があります。指導する者/される者の違いもあるでしょう。スポーツに関わるといつかは悩むような事柄がキュッと詰まっています。そして何度も読むうちに私の中での1つの処方箋のなっていました。人生を支えてくれた本です。何度も読むうちに、気が付けば、大人側の立場(徹夫)にもなんとなく感情移入できるくらいになりました。
 他にも、逆上がりの話など、重松さんの日常の短編の中に自然とスポーツが絡んでいることに気づきました。特に、小中学生くらいの時期に読んでいただきたい作品です。

当日配布資料に書いたおすすめ評

あとは以前、FB上でブックカバーチャレンジなるものにのっかった際に1番に紹介しました。

コロナ禍が懐かしいものです

「スポーツに関わるといつかは悩むような事柄」とか「大人側の立場(徹夫)にもなんとなく感情移入できる」とか、4年前は「成長と共にこの物語に色々な感情を見出していった」とか思わせぶりなことは書いていたのですが、じゃあ何があったか全く書いていなかったので、ここに告白しようと思います。結構恥ずかしさもありますが、よろしければお読みくださいネ

私と『卒業ホームラン』

引退しきれなかった複雑な気持ち

ズバリ、結論から申しますと、僕も野球少年だったからです。小柄でそんなに力もなく、微妙な選手でした。肩も強くなかったので2番セカンドの役割でした。それなりに練習はしたし、小学校低学年から始めたので、途中からチームに入ったメンバーよりかは少しはうまいかなレベルでした。
ただ、中学受験を志すことをきっかけに、小学5年生の終わりの時にチームを辞めることになりました。他に13名ほどの同学年のみで1つのチームを組めていた中で、同じタイミングで辞める人は3名ほど。確か、次の年からは新6年生と5年生で合同チームとなる予定でした。
そして迎えた引退試合的な機会、スタメンを外されました。小学五年生になってからは基本的にスターティングメンバーだったこともありとても困惑したことを覚えています。代打からだったか。守備からだったかは忘れましたが、途中から出て、フォアボールを選んだ記憶くらいしかありません。グラウンドではかなり放心していたと思います。
帰ってから急に悲しくなりました。とにかく泣きました。それでも自分では消化しきれずに、後日コーチに相談しました。とても優しくしていただいたことを覚えていますが、申し訳ないことに雲は晴れませんでした。どうしても当時の監督を恨んでしまいました。言わば未練が残ったわけで、結局6年生になっても別のチームで、時たま野球をしました。勝利至上主義でなく、楽しく温かいチームだったことを覚えています。そんな中、『卒業ホームラン』と出会いました。

卒業ホームランのあらすじ(記憶をもとに書いているので不正確かも)

『卒業ホームラン』は監督目線から書かれていたことがとても新鮮でした。片や、実力が伴わず、引退試合まで一度も試合に出れなかった選手。しかも監督の息子。監督は、逡巡し、スターティングメンバーに名前を書きかけますが、父親であることよりも監督であることを優先し、結果的にその選手が試合に出ることはできませんでした。そのため、試合後に生まれた特別な時間が、卒業ホームラン(確か実際はショートフライ)でした。
その選手は、迷いもなく中学に入って試合に出れなくても野球を続けるよ。だって好きだもんと父に答えるような愚直な性格として描かれています。

涙の正体とは後々わかっていく

テクストを読んだ時の私の涙の正体は、単なる共感だけではありませんでした。非なるが似ている監督の心情を考えたことはふなよし少年にとって、初めてだったんでしょう。引退を迎える選手のスタメンを落として嬉しい監督はいないはずで、何かしらの重大な理由があったからです。また、自分と物語の主人公の違いというのも打ちのめされたのかもしれません。そこまで野球が好きと胸を張って言えなかったでしょうし、現にその後、個人競技をしたくて野球部に入っています。あとは物語の美しさ、悲劇ではない状態が、まるで腐ってるように気持ちを蓋して誤魔化していた自分との差があったのだと思います。

当然、読んだ直後はここまでのことをはっきり考えられませんでしたが、その後なんとなく、上記のように整理したのだと思います。その後中学校で1回ほど、高校で1回ほど読みました。毎回、涙が溢れました。毎回発見がありました。最後に読んだのはブックカバーチャレンジの時でしたが、その時はもう細かく読むことはしませんでした。あとはドラマ化されたのをいつだったか見たことも覚えています。

異なる立場への想像力が生まれた結果

その後私は、卓球という個人競技に打ち込みました。チームワークというよりも全て自己責任でできる自由さと、一方で団体戦の時のチーム全体での結束感(バラバラな時ももちろんたくさん)や、セカンドショートのような阿吽の呼吸が求められるダブルスに仲間と力を合わせる喜びを感じていたと思います。
高校生になって部長になりました。部長になると必然的に自分の練習だけでなく、部の雰囲気や大会への向き合い方などを必然的に考えるものです。それまであまりリーダーシップを発揮した機会はなかったので自然と自分の実力よりも部員が楽しく成長できるような部にできるように力を注いでいました。
ある時の大会で団体戦のメンバーを決める機会がありました。完全に私の掌中にあっわけではありませんが、自然と純粋に卓球が好きで努力していてこれからも続けてくれそうな人により応援したかったり、優先したくなる気持ちに気付きました。もちろんそれでも依枯贔屓はよくないと思いつつも、正直当時はその気持ちを隠せていなかったと思います。

振り返ってみると、当時の監督も同じ気持ちだったのではないかと思いました。引退する選手の満足より、今後チームを背負っていく選手の経験値を上げたいと思うのも当然です。私の代わりにスタメンで出た選手はどんどん上手くなり、実力的にはほぼ追いつかれていたような気もします。自分がオーダー表を書くような機会を経て、初めて心から納得することができました。

幸い、そのことが理解できた大学生になってからでしょうか。当時の野球監督のご自宅にお伺いし、非礼を詫び、笑ってお話しする機会を得ました。当時小学5年生だけのチームを作ることができたのも、その監督さんがお忙しい中、監督を引き受けてくれたからでした。今振り返ると、スタメンじゃなかったという経験もその後の人生に素敵な影響を与えてくれたのだと思います。

渋谷文芸食堂を続けていきたい理由

ということで『卒業ホームラン』という作品が、とても私の人生に影響を与えてくれました。中学に入ってから、当時の重松氏の作品を図書館で全て読んだ記憶があります。この本に出会わなかったらと考えると、案外同じような人生を送っているかもしれませんし、絶対に必要だったかと言われるとそういうものでもないような気もします。それでも絶対にあのタイミングで『卒業ホームラン』を読めた(読みきれなかった)ことはとても幸いでした。
どんなところに、どんな出会いがあるかは分かりません。影響を与えるのは本だけでないでしょうし、時には悪い影響の時もあるでしょう。それでもそんな偶然の出会い、セレンディピティから前に進んだり変わったり成長があるはずです。そして、本との出会いをもっと増やし、語れる気軽で開かれた場を作りたいと思うのが、渋谷文芸食堂をこれからも続けていきたいと思う根源的な理由です。




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