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「小江戸の玄関口 FUNATSUKIBA」 外来者を大切にした栃木町人文化

次回 「観光、仕事、勉強、食事、運動はFUNATSUKIBAで」


ご存知でしょうか。
FUNATSUKIBAが隣接する「栃木駅」は、
栃木県|1日の利用者数が多い駅ランキング   がなんと 第3位! 
毎日、18,233 人の方がご利用になっているそうです。
※1位は宇都宮駅、2位は小山駅


両毛鉄道(現JR)が開業した時に「栃木駅」が誕生し、東武日光線が開業した際には同駅にホームが架設され、同名の名称になりました。

「栃木」の由来は、一説よれば、神明宮の社殿に10個の千木(ちぎ)がついていたのを「十千木」と呼んだことから、千木が10集まれば万になるという意味をこめて、木へんに万と書いて「杤木」となり「栃木」とあります。

開設年月日は、
1888(明治21)年 5月 両毛鉄道の駅として開業
1929(昭和  4)年 4月 東武日光線の駅が開業

2022年度(令和4年度)の1日平均乗車人員は、
JR東日本によると、4308人
東武鉄道は9617人


乗り入れ路線は、
JR東日本の両毛線と、東武鉄道の日光線が乗り入れ、接続駅となっており、東武日光線については、普通列車の概ね半数が、隣の新栃木駅から分岐する宇都宮線へ直通。
両毛・都心・日光・宇都宮方面への中核駅となっています。


都心へのアクセスとありますが、
これまでの回で、栃木市は江戸時代、舟運を担う商業の一大拠点として大いに栄えていたとお伝えして参りました。


気になるのは、江戸へのアクセス


ある資料によると、

「舟運による内陸の港町として、栃木への荷(日光御用荷物、塩、油、砂糖、干鰯など)は、下野だけでなく、会津若松など東北地方にも向かった。栃木河岸には、 50俵程度を積む都賀舟が上ったが、下流10kmほどにあった部屋河岸、斯波河岸で、 300俵程度を積む高瀬舟に積み替え、江戸に向った(積荷は、米、酒、木綿、麻、味噌、醤油、薪炭、木材など)。巴波川、渡良瀬川、利根川、関宿関所、江戸川、中川船番所、小名木川、隅田川、そして日本橋へと続く航路である。」とあり、
なんと
「江戸までの船路は約43里(172㎞)あり、急ぎで3日ほど、普通は7日かかった」そうです。

通常は一週間、急いでも3日

「舟運は大正期、材木筏は昭和20年代まで続いた」と言います。


現在は、栃木駅から浅草まで
東武線特急に乗れば、約1時間20分
話題の【スペーシアⅩ】では70分前後で行けます。

徳川家康、栃木町人が聞いたら、ビックリの好アクセスです(笑)。



栃木市が舟運で栄えたこともご注目いただきたいのですが、さらに、
当時の栃木商人は、
「文化、芸術を愛し、作家を育成する気風は、明治になっても続いた」とあります。
ある麻問屋の店先には「風流を解せざる者入るべからず」との看板が掲げてあったそうです。

町全体も「志のある人、外来者を大切にする」気風があり、
「江戸、東京で修業し、学問をした者も多かった。各地から、有為の人材が栃木町を訪れて活躍した。外来者にとって魅力のある町であったと思われる。経済的な繁栄と、自由闊達な空気、文化芸術を愛好し、志のある人を大切にする気風があった。幕末期、島津藩士だった町田大偏や、儒者の大橋義元、日高頼長など、私塾、学校が次々と設立された」ともあります。


交通のアクセス抜群
交流のアクセスも抜群

そんな気風を継承、発展させていきたい。

駅前の交流空間「FUNATSUKIBA」は、
蔵づくりの建物が並ぶ市中心部からは1kmほどで、蔵の街とちぎの表玄関となっています。
市街地へのアクセスも良好です。
栃木町人の気風を継承する役割を担う中核となっていきたいと思います。

もっと栃木駅周辺、栃木駅を楽しんでほしい。
ふっと休憩できて、集まれて、楽しめる場所、駅を目指して参ります。




次回は、「「観光、仕事、勉強、食事、運動はFUNATSUKIBAで」です。
ご一読いただけますと幸いです。

FUNATUSUKIBA 水先案内人より




FUNATSUKIBA 
instagram:@funatukiba

https://funatsukiba.jp/

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