世の中には二通りの「しょうがない」人がいる
世の中には二通りの「しょうがない人」がいるようです。
一つには、文字通り、何をやらせてもダメで、どうしようもない、という意味で用いられ、呆れられている「しょうがない人」です(汗)
もう一つは、あの人は、あんな(ダメな)人だけど、でも結果だけは出しているからしょうがないよね、、という文脈で語られる「しょうがない人」。
人間、どうせ、どれだけ頑張っても、万能、あるいは完璧な存在なんかにはなれません。ただし、限られた資源(主として時間)を「一点集中」するならば、ある分野において、当然、結果を出せる可能性は高まります。
ただしその場合、資源を均等に割り振っているわけではないから、人間として、あるいはビジネスパーソンとして、どこかに歪み、偏り、欠落が必然的に生じることでしょう。
その歪み、偏り、欠落が平均的なレベルを逸脱すると、圧巻の成果を出しているけれども、能力や人間性の凸凹が極端であり、ときに「?」、さらに極まると「ふざけんなや(怒)」と思わずにはおれないところもまた、必然的に出てくるものではないでしょうか。
あなたの回りにも、そんな人の一人や二人、いませんか?
(たとえば)
まったく会社に来ないけれども、
まったく会議に来ないけれども、
まったく時間を守れないけれども、
まったく空気を読まない
(読めない、読むつもりもない)けれども、
まったく事務処理能力が
欠落しているけれども、
まったく○○はできない人間だけれども、
「結果だけは出している」
そんな人(たち)が。
いろいろ、はた迷惑なところや、鬱陶しいところがあったとしても、とはいえ、それなりの成果、実績を挙げていて、周囲も多少なりとも、その成果の恩恵を蒙っていたりすると、いろいろあっても「彼なら(彼女なら)まあ、しょうがないよね、、」の一言で片付けられて、それ以上は突っ込みにくい、ないしは、突っ込めない、という人が実際にいますよね。
もちろん、その姿は完全肯定できるものではなく、決して褒められたものでもなく、出来得る限り、周囲に「?」と思わせるところ(短所、欠点)は、修正していく必要があるとは思います。
ただし、ある時期において自分が「(第一の意味で)しょうがない人間である」「何者でもない存在である」と自覚するならば、その評価から脱却するために、一点集中、資源を叩き込み「特定の限られた分野でいいので、それなりのレベルに達する」ことを目指すべき。
そこからさらに攻め続けると、やがて「(第二の意味での)あの人は、しょうがないよね」というところにまで引き上げる。
そんな戦略を立てるべきではないでしょうか。戦略とは順序、なのです。
そこに至ってから、はじめて「短所、欠点の中でも致命的と思われる部分を修正、矯正していく」という順番が正しいのではないか、と考えています。
、、、などと書きつつ、かくいう私(鮒谷)は、まずは「(第一の)しょうがない人」からの脱却が、最優先課題なのですが(汗)
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