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『戦国策』が書かれた時代から目標の大切さは語られていた

たまたま先日、中国文学者の守屋洋先生の著された『完本 中国古典の人間学~名著二四篇に学ぶ』という本を読んでいました。

500ページ超の大部な本ではありますが、帯に「中国四千年の叡智が、これ一冊でわかる」と銘打たれている通り、中国の歴史上に登場するさまざまな思想を過不足なく、分かりやすく、不案内な者にも取り付きやすく、記されている素晴らしい本でした。

その中に以下のような面白くも、印象深い話(『戦国策』に記されているそうです)が載せられていたのでご紹介いたします。


(ここから)
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魏の国の安釐王が隣の趙という国を攻めようとしたときのこと。


魏の季梁という「説客」は、たまたま諸国遊説の旅に出ていて国を留守にしていたが、この噂を聞くと、慌てて帰国し、安釐王に面会を求めた。

季梁としては、なんとかこの戦争を中止させようと考えていたのだが、彼もなかなかの説得上手、初めはそんな素振りなど、おくびにも出さない。彼は安釐王に会うや、まずこんな例え話を始めた。


「今、帰ってくる途中で、1人の男に会いましたが、車を北へ走らせながら、『楚の国に行くつもりだ』と申します。『南の楚の国に行くのに、なぜ逆に北へ向かっているのか』と聞きますと、男は『馬はとびきり上等だ』と申します。

『良い馬かもしれんが、道を間違えている』こう言いますと『旅費もたっぷりある』と申します。『そうかもしれんが、道を間違えている』重ねて忠告しますと、男は『良い御者がついている』と答えます。

こう条件が揃っていれば、ますます楚から遠ざかっていくだけです」


安釐王が思わず膝を乗り出したところで、季梁はおもむろに本題に入る。

「ところで、今あなたは天下の信頼を得て覇王になり、天下に号令しようと考えておられます。国の大きいこと、軍の強いことを頼んで隣の国を攻め、領土を広め名声を得ようとしておられます。

しかし、今ここで下手に動けば、それだけ覇王の道から遠ざかりましょう。それはちょうど、楚の国に行こうとしながら、逆の方向の北へ車を走らせているようなものではありませんか」


季梁の話は、基本方針を誤っていれば、いかに努力しても、否、努力すればするほど、目的から遠ざかってしまうことを教えている。

我々もともすれば同じ過ちを犯しがちだ。

企業経営においても、人生を生きていく上においても、絶えず基本方針の確認を怠ってはならない。でないと、せっかくの努力も、骨折り損になりかねないからである。


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 (ここまで)


この話から得られる教訓は、まさに守屋先生が記されているように「企業経営においても、人生を生きていく上においても、絶えず基本方針の確認を怠ってはならない」というところに尽きるでしょう。


どれだけいろんな条件を揃えても、目指すべきゴールが曖昧であったり、定まっていなければ、めったやたらに頑張ったところで「頑張れば頑張るほど、どんどんゴールから遠ざかっていく」ことになるわけです。

だから一にも二にも、まずは目標設定を。そうしてはじめて、過去に学んできた知識やスキルを活かせるのではないでしょうか。あるいは、これから学ぶべき、無数にある学習対象の中から特定の分野を確定させられるのではないでしょうか。

そうでなければつまみ食いのような学習を繰り返し、努力の割にほとんど報われない、ということになりそうです。そういう人は少なくなさそうです。


何を学ぶか、どんなスキルを手に入れるかは「まず、あなたがどこに目指すのか」が分かっていてこその話であって、そこが明確でないのに一生懸命に学んだり、努力したところですべて徒労に終わります。

目指すべき方向や場所を持たなければ、周りの環境に流れ、流されの生き様にならざるを得ず「人生が漂流するより他なくなる」のです。


なにも「年収がいくら、とか、どこに住み、どんな車に乗っているか」といった目標を立てましょう、などと語っているわけではありません。

もちろんそれらを否定するつもりはありません(私も設定しています)が、その前にまず、自分が何者になりたいのか、どんな存在でありたいと願っているのかをハッキリと定める必要があるのでは、と問題提起したいのです。

あくまで収入や住環境、その他は目的を実現させるために必要なもの(手段)であって決して目的ではありません。


お金や物、名誉を無思索に追ってみたり、目につき、関心を持ったあれこれに無定見に飛びついているだけでは、目指す方向に近づいているという実感を持てず、一時の慰みにはなったとしても、深いところで喜びは得られません。仮に何かを得たところでやがて空虚な気持ちしか残らないのではないでしょうか。

あくまで「自分の生」を全うしている、そんな根源的な充足感あっての上の、あるいはその充足を満たすために必要な、お金であったり、物質的な面での豊かさであったり、立場なのではないかと思っています。


そんな、自分が没頭・没入して捧げることができる、存在レベルでの目標を、この年始に改めて設定する(あるいは、し直す)といった機会を持たれてみてはいかがでしょう。

私も一年に一度、この時期に更新しています。


この時間は、おそらくは「一年のうちで、100%、リターンが見込める、最も生産性の高い時間」となるに違いありません。

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