『アリスとテレスのまぼろし工場』感想その3 「狼少女」
囚われの少女を紹介された正宗は、彼女が何に見えるかと睦実に問われ、狼のようだと答える。すると睦実は正宗に言った。
なぜ彼女は、そのように自虐的に言ったのでしょうか。今回は佐上睦実について書きます。ところが彼女について書くと長くなり、ひとつの記事にするのが適切ではないため、2回に分けます。今回はその前半。
睦実の自称「嘘ばかりの狼少女」から感想を述べることとします。
☆狼少女
正宗の言う“狼少女”とは、「狼に育てられた」とされて来た、アマラとカマラの逸話でしょう。
この逸話それ自体も作り話、つまり“嘘”だったという指摘がなされているのですが、そのこともおそらく意図的に今作に組み込まれていると思われます。
今作において、“狼”は“嘘”というコードがあるようです。
例えばどう観ても龍蛇の神である見伏の神を“狼”に印象付けることもまた“嘘”の一例であるだろうと感じてます。
そして睦実の言う“狼少女”はイソップ寓話の方の“狼少年”のことだろうなと。
「羊が全て喰われた」とするものに対して、日米では派生的に「少年が喰われた」というものもあるらしく、今作の小説版では、睦実の自称から正宗が思い浮かべたのも後者でした。
※自分を嘘ばかりの狼少女だと言う睦実に育てられた沙希は、その意味で「狼少女に育てられた少女」とも言えるでしょうか。
しかし睦実は、映画本編でも小説版でも、嘘ばかりついているようには思えません。本音をひた隠しにして、その場しのぎのことを言っていることも多かっただろうことはわかるのですが。
彼女は何をそこまで、自分のことを「嘘ばかり」と言っていたのだろう?
☆受け入れられない現実
端的に言うと、睦実の言う「嘘ばかり」とは、幻である自分自身の存在を指していたのではないかな、と感じるんです。
そして幻なのは自分だけではなく見伏の全て、そこに住まう幻の人々も含まれているはずで。それは睦実にとっても百も承知だったはずですが、何故か彼女は自虐に向かう。
そうなったのは、沙希の存在だったのではないかと。
睦実は、正宗が気を寄せる前から彼のことを好きだったのかどうか。もしかしたら、沙希を紹介されて、その身の上を聞かされたのは確実だから、それ以来、正宗を意識するようになった可能性も無くはない。
ただし女というのは、自分の恋愛対象(ことに性愛対象)ではない男と夫婦になって、その男との間に子まで成して産んでいることに対して、極めて強い生理的嫌悪感が走るものではなかろうか?
睦実には、その気配が全く感じられない。だから睦実は、正宗が彼女を意識するより前から想いを寄せていたと思えるんですよ。
だとしたら、自分たちは現実の幻影に過ぎず、今後は何の変化も無いと知った時、どう感じたろう。
目の前に突きつけられる、沙希という現実。通常の「現実を受け入れられない」を超えた、幻影であるからこその拒絶感、虚無、やがては諦観...それが彼女を支配していたのではなかろうか。
小説版で彼女は、沙希と初対面した正宗に対して、沙希の名についてこう言ってます。
その少女が「菊入沙希」であることを知っておいて、そんな“嘘”をつく。
認められないのでしょう。“沙希”と名付けたのが、現実世界の正宗なのか、現実世界の自分なのか...いや違う、現実世界の“菊入睦実”は自分ではない。それは冷徹な“現実”だから。
これは、正宗が園部“裕子”の名を全く意識してなかったことと対比になっていることは前の記事に書きました。
ただし、睦実にとってどうだったか。正宗の自分への視線、そこにある正宗の(本人は内心で否定していた)好意があることを、既に彼女は気付いていたわけで。
今さら正宗の自分への関心に気付いたように言うが、それも“嘘”。
むしろ逆に、虚しさを感じるのではないか? 両想いだとして、だからどうなるというのか。
まして正宗から発せられた「現実だろ」...いや現実じゃないけどね、そうした想いが冷ややかな笑みを浮かべた理由ではなかったか。
「菊入正宗は佐上睦実が嫌いだ」
一方で正宗は、そう自分に言い聞かせるかにように感じていました、大好きなくせに。小学生男子でもあるまいに何故。睦実の様々な言動が気になるからこそ、彼女を見聞きする。しかしそこにある“嘘くささ”に正宗は敏感でした。
上履きの隠し合いの時、睦実が裕子に寄り添い慰めの言葉をかけ肩を抱くのも、正宗は冷たい眼差しで見る。
そこにある“嘘”を彼は見逃さなかったわけで、こうした一々が気に障り不快だったのは事実でしょうね。
☆臨界点
睦実が常に正宗を見ていたことは、序盤の屋上のシーンからも容易にわかります。
睦実はスカートをたくし上げて下着を見せつけるが、睦実の心の内を思えば、そこに心の底からの性的挑発を感じられない。行為としてはそうなのですが、心からオンナとしての挑発や誘惑だったでしょうか。
睦実の“嘘”には、内心の裏返しの面も強く感じます。正宗を誘った理由を「女の子みたい」だと言うのですが、「笹倉君に胸揉まれて喜んでた」と言うことは、正宗を見ていたということでして。
睦実は、限界に達しつつあったのではないか。沙希が自分と同年代になり、体を洗うのでも一苦労だと言うのはひとつ事実でもあるでしょうけど。
「君も手伝ってよ」
「現実世界の正宗の娘だよ」
そういう思いが芽生えて止まらなくなっていたように思えます。睦実の心の内には、そうした相反する矛盾した感情もあったのではなかったか。
もう沙希の存在を、その子を軟禁し続けていることを、自分独りで抱え込めなくなっていたのではないかと。
“見伏の神の妻たるべき女だ”とする養父の衛の言うままに行って来た。衛は睦実の跡取り娘としての存在が不要になったので、自宅から放り出した(と睦実は語る)が、それでも沙希の世話を律儀にやって来た。
放り出されて、どれほどあの侘しげな低層アパートに独りで暮らして来たのか。
正宗の父・昭宗も、叔父・時宗も、衛の協力者にしか睦実には見えなかっただろうから、誰にも頼れない。
☆男女差の部分
沙希を正宗に引き合わせた時からずっと、睦実は沙希の正体を正宗には明かしませんでした。
同居することになった菊入家で、割れた結界の向こうにいる現実世界の正宗睦実夫婦の姿が見えるまでは。その時の睦実の言葉を拾ってみます。
ここには深い罪悪感と諦念も吐露されていますが、睦実の罪悪感については次回に書こうと思います。
「きっと優しい母親」…自分はそうなれなかった自己像。
沙希を紹介された時に、沙希が駆け寄って抱きつきます。その時の睦実の表情が全てを語っているように見えます。
男女差、ことに“母になる/である”と“父になる/である”の差は顕著ですよね。
睦実にとって沙希は自分のお腹にいたこともなく、死ぬ思いで産み落としたわけでもない。ましてや成長しない世界において、彼女は普通に女子中学生でしかない。何年経っても。
男の正宗は肉体感覚ではなく観念から「俺たちの娘」だと思えたし言い切れた。そう感じる。しかし睦実には無理だったように思えてなりません。
※こうした男女差について、作品内では別の描写もありました。「退屈を誤魔化す遊び」として、男子は肉体的苦痛をして実感を得ていたのに対して女子は精神的苦痛を得て実感を得ていました。
睦実にとって沙希は、自身が孕んで産んだわけでもなく、自分が幻でしかないから「血は繋がっていない」。
そのことを、亡き母親の墓参りをして来たのであろう場面で吐露していました。
これは睦実にとって…というかある意味で誰にとっても、実のところ嘘ではないと言えるかと。
☆性差ではない部分
あるいは男女の性差ではない視点もあり得ます。
「異世界にいる“もうひとりの自分“は自分なのか?」とか「異なる世界線の同一人物は、真の意味で“同一人物”だと言えるのか?」という、SFや都市伝説などでしばしば見られる命題での視点になります。
A「異世界や異なる世界線の自分(たち)もまた、自分(たち)である」
B「異世界や異なる世界線の自分(たち)は、他人であって自分(たち)ではない」
正宗はA、睦実はBということになります。
この違いそのものは性差ではありません。
もちろん上記のように、今回のケースは背景として性差から来る身体感覚の影響もあるでしょうが、本質的には性差に由来するものではないですね。
これは2人のものの見方が違うということかもしれませんが、あるいは「自分たちは現実世界の幻影だ」という真実に接してからの時間差もあるのかもしれません。
正宗と違って、睦実は少なくともそれを知ってから10年という歳月がありますから(沙希の世話をするよう言われてからの歳月)。
ここに居る自分は幻影だった。現実では自分と正宗は大人になり夫婦になって娘が出来てて、その娘が今ここに居る(記憶喪失の状態で)。
睦実が先に正宗を好きになっていたのだろうと思えるのですが、この状況は希望を生むでしょうか?
絶望や虚無を生んでいたのだと思えるのです。
やがて、そんな睦実の凍りついていた思いも、次第に正宗によって時ほぐされて行くのですが。
睦実は、沙希を正宗に紹介した時に名を問われ「無いわよ、そんなもの」と言っていた(小説版)。
また、正宗が沙希に顔を舐められている場面では激昂し「“いつみ”って何、この子の名前⁉︎」とも言った。
彼女は沙希の名を呼ばず、これまで、どう呼びかけて来たのだろう。
しかし正宗に名付けられた“五実”という名については、最初こそ激昂の流れで激しく詰め寄ったのですが、投げ飛ばされて泣いた後は、すぐに受け入れて“五実”と呼びました。
現実世界で“沙希”と名付けたのが夫婦のどちらであるにせよ、それは幻想世界の自分の預かり知る話ではなかった。
同じ幻想世界の正宗が名付けてくれたからこそ、受け入れられたのではないでしょうか。
睦実は“五実”のことを、最後まで「沙希」とは呼べなかったのです。
そんな睦実を“母”と呼べるか否か。
そこは人によって受け止め方に差が出る部分ですね。
これについては正宗も含めて改めて記事にしたいと思っています。
実は、“五実”の正宗への想いは『エヴァンゲリオン』における碇シンジの綾波レイへの想いとも重なる要素があると感じてますので、そういった話をしてみようかと。
その件はまた別として、次の記事では睦実の罪悪感について書きます。
★追い越されていた年齢(追記)
ここからは2023年秋の上映中にではなく、2024年1月から配信されたことによる新発見or確認の話になります。
相互フォロワーさんが確認したものになりますが、“五実”は成長して最終的に佐上睦実たちの年齢を越えてしまっていたということがわかりました。
睦実と“五実”が菊入家に同居するようになった夜、昼間の現実世界の菊入家が結界の割れ目の向こうに見える場面のことです。菊入睦実(“五実”こと沙希の生母)が広げる新聞の日付なんですが、2016年7月16日土曜日なんです。
沙希は2000年6月15日生まれと思われ失踪時に5歳だったこと、製鐵所の原料投入が10年振りと言われていることから年数は合っています。
幻影世界の見伏の正宗や睦実たちが中3のままだったと考えられるのですが、沙希は16歳(本当なら高1)になっているわけです。
上記で「睦実はもう限界に達していたのではないか」と書きましたが、ますますそうではなかったかという思いが強まりました。
「このまま彼女が成長していったら…」
睦実はずっと中学生のままです。
沙希はこれからどんどん身体だけは大人になって行く…
正宗は2月26日生まれで「季節からも閉じ込められてしまった」「終わりの見えない14歳の冬」と冒頭で語っていました。睦実の誕生日はわかりません(睦実の“睦”が睦月にちなんでるなら正宗と同じ2月生まれですが)。
冬は12月〜2月ですし、安見んが「一緒の高校に行くと気まずいとか言ってたけど、一緒の高校に行けることはなくなったんだしさぁ」と原ちんに言ってたことも合わせると、彼らは中3の冬で成長が止まっていたと思われます。
正宗が睦実によって沙希に引き合わされたのがいつ頃で、どれほど沙希と一緒に過ごしていたのでしょう。
“五実”と名付けられて以降、発語もままならなかった彼女が、次第に発語が出来るようになっていくのにどれくらいの期間を要したのでしょうか。
急激に発達していったのかもしれませんが…
物語は外の現実世界の2016年前半、その短い間の出来事だったのかもしれませんし、あるいはそれなりの年月の出来事だったのかもしれません。
ちなみに“五実”が沙希に戻って現実世界に帰るのは送り盆の時なので、彼女が菊入家で正宗と睦実と一緒に暮らしていたのは、少なくとも丸ひと月はあるのだなと思いました。
※私の感想や考察は自分で見つけたことや考えたことだけではなく、主にX上でのいろいろな方々の考察や発見などを自分の中に取り入れたりもしています。なので、今回コリューンさんのポストだけ紹介するのは不公平なようにも思ったのですが、私の自宅のTV画面では画像解析度がショボく自分で視認できなかったため、直接引用させていただきました。
無遠慮ご容赦ください。
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