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戦後復興したから今がある

こんにちは、こんばんは。船橋屋noteチームの田中です

こちらの記事は創業者の初代勘助のお話でした。

船橋屋は江戸時代に創業し、今もなお亀戸天神のお膝元で商いをしています。

くず餅を売り続けて216年、震災と戦争から二度復興できた理由とは…?

一度目の復興

明治23年、3代目は店を亀戸天神境内から現在地へと移します。この頃には亀戸の名物菓子として親しまれていました。

しかし、大正12年に相模湾北西部を震源とする巨大地震が関東を襲いました。
賑わう亀戸の船橋屋本店は、この地震により被災したものの、ここで一度目の復興をします。

一難去ってまた一難

船橋屋が震災から復興したのも束の間、今度は戦争の影が忍び寄ります。
亀戸のある江東区は東京大空襲により、甚大な被害を受けました。船橋屋も空襲により本店が焼失し、命からがら職人や店の人々も逃げたといいます。

焼け野原から二度目の復興

焼け野原になった亀戸で、船橋屋は二度目の復興をします。
一面の焼け野原からどうやって?と疑問に思う方も少なくないはず…

その理由は、当時の船橋屋人が空襲前に"くず餅の原料"の入った大樽に水を張り、土をかぶせておいたからです。
この船橋屋人の機転により、くず餅の原料を戦争から守ることができました。焼け跡の中から掘り起こし、奇跡的に残った原料が今のくず餅につながっています。

くず餅ひと筋真っ直ぐに

戦争で焼かれた亀戸で、営業を再開した船橋屋。
街には高騰する物品がある中、公正価格での販売を続けました。
東京大空襲のあと、原料調達にも苦戦しながら営業を再開した船橋屋人の話は、今でも会社に受け継がれています。

今日もお店に並ぶくず餅は、当時の船橋屋人が命懸けで守ったくず餅を後世へつなぐという"想い"です。

船橋屋の歴史を少しお話しました。
いかがでしたでしょうか。またお会いしましょう😊

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