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好きなものと視点の話。

この文章の本題は「好きなもの」を見るときの「視点」の大切さについて。

僕は映画と音楽と小説とゲームなど、広く浅く色々なものが好きです。
自分ではやりませんがスポーツも好きだし、お笑いも好きです。

で、色々見ていると、考えることがあります。

あ!これはあんまり好きじゃない!と感じるものが。
好みにストライクではまらないものが。

世の中、これだけコンテンツがあふれかえっていれば、そりゃあります。
そんな、なんでもかんでも好きなはずありませんね。

普通の人はこの段階で、「あ、これは自分には合わないんだな」と思ってスルーします。なにも悪くないですね、それが普通です。

なんですが、ある時ふと思いました。

「これが理解できないのは、自分の視野が狭いせいじゃないのか?」

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自分の例で恐縮ですが、
具体的な話をすると、その時ミッシェルガンエレファントを聞いていました。
なんで聞いていたのかは思い出せませんが、初めて聞いたチバユウスケの歌声は、正直自分にはあまり響きませんでした。

今考えるとあの声が(良くも悪くも)響かないのはかなり鈍いな、とも思うのですが、とにかく何も感じませんでした。

あの時、私が主に聴いていたのはB'zとポルノグラフィティです。
非常にライトな音楽ユーザーだと言えるでしょう。

ですが、何故か当時の私はそのままミッシェルガンエレファントを聞き続けました。ゴリゴリのガレージバンドのしゃがれ声のボーカルを。2週間くらい延々と。

ずーっと。

ずーーーーっと。

すると、私の中で化学反応でも起こったのでしょうか。
ある瞬間、デッドマンズ・ギャラクシー・デイズという曲を聞いている時に、突如感じたことがないような衝動を感じました。

響いた。
チバユウスケのがなり声が。
アベの人を切り裂くようなギターが。
ウエノの無骨なベースが。
ライブのときにやたら早くなるキュウちゃんのドラムが。

さて、どんな心境の変化が自らに起こったのか、自分なりに分析してみました。

さっきも言った通り当時の私はB'zとポルノが好きでした。
たぶん、メロディ、それも歌メロが好きだったと思います。

きっとリードギターやギターソロはともかく、リズム側の音なんかはっきり聞き取れていなかったでしょう。

ですが、ミッシェルを聞き続けた2週間。
その期間で音楽を捉える耳が鍛えられたのに違いありません。

それによって、「わかりやすい音楽に求めていた良さ」とは違う「ミッシェルガンエレファントの良さ」に気づいたのです。

それは完全に自己の認識の問題です。
ミッシェルガンエレファント(CD音源)が変わるはずないので、自分の中でミッシェルに対する「視点(聴点?)」が変わったにすぎません。

そう、違う「視点」に立つことで、ミッシェルガンエレファントと向き合うことができるようになったのです。

ずいぶん遠回りしましたが、「好きなもの」を見るときの「視点」の話に帰ってくることができました。

ここで言う「好きなもの」とは、自分にとってではなく、誰かにとって「好きなもの」です。
当たり前ですが、自分は好きじゃないけど他の人は好き、というもので世界は溢れかえっています。

それに自分が遭遇したとき、もしかしたら最初は好きになれないかもしれません。
ただ、それが一定以上の人間にとって「好きなもの」であれば、そこには必ず好きになるだけの理由があります。
そしてその好きな理由は「視点」を変えることで誰でもたどり着くことができる、と思います。
この法則はたぶん音楽に限らず、すべてのコンテンツに適用できると思います。

もちろん、誰もがなんでもかんでも好きになれ、という話ではありません。

ですが、いろんな人が「視点」を変えることができて、色々なものを見れるようになれば、もっと多彩で雑多で変わったものが世界に増えるんじゃないかなと思ってます。

そうなったら私はとても楽しいですし、みなさんも今よりも楽しく生活できるかもしれません。

では。

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