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読書感想文(3.1)清水先生からのご返信に対する返信

題材:清水剛先生著「感染症と経営 戦前日本企業は『死の影』といかに向き合ったか」中央経済社

 前回のnoteをFacebookで公開したところ、著者の清水先生から丁寧なフィードバックをいただきました(いつもコメントはいただいていました)。とんでもない僥倖で恐縮です。読書感想文を書いたら著者の方から返信をいただける、ってなかなかないと思いませんか?読者冥利(?)に尽きます。嬉しい限りです。
 以下、寄せていただいたコメント(引用で表示、一部表記など修正)と、私の追加感想文です。

 実は、百貨店や雑誌社の通信販売の話とプラットフォームビジネスとの関係は本を書いた時にはあまり考えておらず、舟津さんや中園さんのコメントを見ながら、そういえば百貨店や雑誌社の通信販売もある種のプラットフォームなのかと考えていたところです。

 前回、私はしれっとプラットフォームという言葉を使っていましたが、当初、清水先生はあまり念頭に置かれていなかったようです。読者の二次的な解釈なのでした。プラットフォームと解釈するか否かで、文意も本書の価値も変わるものではありませんが、プラットフォームの議論は経営学でも盛んなので、議論の転用可能性は広がるかもしれません。

 さて、そのようなプラットフォームに対する信頼の構築の話ですが、百貨店や雑誌社の通信販売などでは①他の選択肢があり(三越だけが百貨店ではないし、「主婦之友」だけが雑誌ではない)、かつスイッチングコストもさほど大きくはない、という点と、②百貨店や雑誌社が販売しているものの品質について何らかの形で責任を負っている(例えば、百貨店で売っているものや雑誌に掲載されたものの品質問題がおこれば百貨店や雑誌社が非難されますし、それを避けるために真剣に目利きをする)という点で現在のプラットフォーマ―とは異なるかなあと思っています。

 なるほど、たしかに(実に平凡な感想)。先生も後述されるように、現代のプラットフォーマーは、おそらくは戦略的に、自身のスイッチングコストを高め、顧客を縛り付ける方向の努力を割いています。そして、そうでありながら、巧妙にリスクの移転、すなわち、消費者トラブルが起きたときの責任の矛先がズラされている。

 つまり、舟津さんもおっしゃるように、①についてamazonやgoogleを使わずに生きることは結構難しいわけです。まあ楽天市場を使えばいいとかいろいろありますけどね。また、②についていえば、amazonの業者が不良品を販売してもamazon自体が責任を取るという認識はあまりない気がします。
 製品ではないですがこれが問題になるのはfacebookで発信された情報(2チャンネルも同じですね)にfacebookが責任を負うかが議論されるときです。最近ではfacebookにも何らかの責任があるという認識も出てきているので、いずれamazonもテナントが売った商品についての責任を問われるかもしれません(amazonが直接販売するというのと、テナントの販売という形で切り分けられている気もしますが)。

 ①は、スイッチングコストの高まりで事実上の独占が起きているという状況によるもの(楽天があるじゃない、とも言えますが)。②の方がむしろ、私が前稿であまり検討できておらず、かつ核心的な点だと感じました。
 例えば雑誌に詐欺的な商品や業者が掲載されていたら、雑誌の責任は絶対的に問われるでしょう。世の中そういう風になっている。ところが、AmazonやFacebookは、必ずしもそうでない(と認識しています。現在までは)。
 2ちゃんねるも、あまり詳しくはないですが、そういう騒動があったとは記憶しています。2ちゃんねるに書き込まれた誹謗中傷について、2ちゃんねるは管理責任を負うか?責任を負うという司法判断もあったかと思いますし、もちろんケースバイケースですが、基本的には、それはプラットフォーマーの責任ではない、という認識のはずです。
 Twitterでの炎上という現象が生まれて久しく、自殺者が出たというニュースもあって、ずうっと問題視はされていますが、至極不思議なことに、(少なくとも日本では)「Twitterというサービス、あるいは企業が悪い」という論調がほとんど聞かれないように思います。

 何ででしょうね?考えてみると不思議です。雑誌は編集者がいて、検閲してるじゃないか。Twitterは編集者がいないから、書いた人間の責任になる。
まあそうだけど、じゃあ事実上検閲を放棄してるようなTwitterのが責任を取らなくて済むってことか?という理不尽を感じたりもします。
 いずれにせよ、現代のオンラインプラットフォーマーは、実に巧妙にリスクを移転しつつ、かつ自身のスイッチングコストを高めることには成功している。これは営利組織としてはきわめて優秀ですが、消費者にとっては必ずしも良いことではない。

 現代で百貨店や雑誌社により近いのは、ネット上のセレクトショップ的な形態(これって特別な呼び方があるのかなあ)ですね。私が知っている例はMONOCOというところ(ステマではありませんので(笑))ですが、まあこれなら競争も起こります。
 さらに、自分たちが商品を企画し、直接消費者に販売するD2Cビジネスは信頼やネットワークの構築という意味ではさらに先を言っていると言えるかもしれません(これは元教え子に教えてもらったのですが)。
もう一つ、信頼やネットワークの構築となりうるのは協同組合方式ですよね。これが資本主義における新たな価値になるのかどうかは考えなくてはいけません。
 ただ、信頼やネットワークを構築する手段は、このプラットフォーマーの時代だからこそ(そして、amazonの業者に騙されるリスクがあるからこそ)必要な気がします。

 ということで、実に未来志向のコメントで〆られていて、勉強になりました。巨大プラットフォーマーがもしかしたら消費者にとっては危うい形で繁栄している他方で、互いのクオリティを上げ消費者に選択肢を与えるという意味での適切な競争、および信頼やネットワークの構築に重点を置いたサービスもたしかにあるのだと。
 
 もしかしたら、GoogleやAmazonが「一周して」「飽和した」くらいになって、上に挙げられたような代替サービスが力を持ち、改めて競争と信頼といった側面が見直され、「適切な業者が消費者に選ばれるように」なっていくように業界が整備されていくかもしれません。特に法制度は、まだまだネット化に対応しきれていない感もあります(法制度の整備には慎重さが必要で時間もかかるので当たり前です)。
 環境の変動が激しくすぐに状況が変わるのがwebサービスの特徴でもあるので捉えにくさは間違いないのですが、色んな意味でまだ未成熟で途上の業界であるという気もします。雑誌や百貨店は、十分に社会において存在感を発揮し、活躍し、そして徐々に引退が近付いている。これは社会において必要な技術の新陳代謝であって、そしてwebサービスもそろそろ安定期に来るかもしれない。

 今はまだ、DXのごくごく初期であって、だから先行したメジャーが強いだけであって、業界が成熟するにつれ、消費者のための信頼やネットワークを構築する手段がもっと重視されかつ高度化する時代が来たらよいし、来る兆候もある、といったところでしょうか。と、感想を持ちました。

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