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ことばを使うのは、こわい

ことばは諸刃の剣。
本当にそうだと思う。

ことばを愛する者がこんなことを言うのはおかしいかもしれないけれど、
でもわたしは、ことばを使うことがこわい。

きっかけは、件の戦争だった。
ニュースで目にし、生死というものを、わたしは人生初めてはっきり身にしみて感じた。

それから考えるようになった。
今この赤信号の横断歩道を一歩踏み出せば、わたしは車に轢かれる。
今ここから真っ直ぐ歩けば、わたしはホームに落ち、電車に轢かれる。
今ここから飛び降りれば、わたしは地面に打ち付けられて潰れる。

たった今のその一歩、たった今のそのしぐさで、わたしはいとも簡単に死ぬじゃないか。
その時、わたしは死を隣に感じた。

それで、『ことばを使うのがこわい』だ。

ことばはすべてのはじまりで、土台だと、わたしは思う。
何をするにも、ことばが必要だ。
ことばにしなければ言いたいことは伝わらない。
風も音も動作も、聞いた瞬間にことばになる。
頭の中で、擬音語や音階になる。
この世のすべての事柄はことばで表さなければならない。

もちろん、『口より先に手が出る』とかいうフレーズもある。
けれど手を出すその瞬間に感じた怒りは、絶対脳内でことばになっている、はずだ。

ことばはすべてのはじまりだ。
どんな行動もどんな物事も、わたしたちが何かを認識する時に使う手段は、ことばにすることだ。

ことばにすることはすべてのはじまり、
わたしたちが一番最初にすること。
せざるを得ないこと。

だからこわい。

たった一言で、傷つく人がいる。
自分のたった一言で、人を傷つけることが出来る。

ことばにする、という『せざるを得ない』営みで、
わたしは人を切り刻むかもしれない。

そう思ったとき、わたしは本当におそろしくなった。
わたしはいとも簡単に、他を傷つけることができる。
いつも隣にある死に、追いやることだってできる。

わたしはいとも簡単に死んでしまえて、
他の人間もそれは同じだ。

死へと、他の人間の背中を押せるのだ、わたしは。
押してしまえるのだ。
たった、たった一言で。せざるを得ない営みで。

ことばを使う時は細心の注意を払う。
他を不用意に傷つけぬようにしなければいけない。
そのためには絶え間のない努力と、意識が必要だ。
ことばを丁寧に選びとることが必要だ。

一瞬でも意識を途切れさせたその瞬間、
わたしは他に剣を振りかざしてしまうかもしれない。

だから、ことばを使うのはこわい。




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