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八ツ橋にかける思いを詠んだこと|ふあんクリエイターの推理日誌

修学旅行にかける思い、それは

 修学旅行の話。

 中学生、はじめて訪れる京都。観光名所巡りはもちろん、あこがれの八ツ橋をいかに予算内で買いまくるか。当時、なぜか八ツ橋に並々ならぬ情熱を抱いており、お小遣いをほとんど投入する覚悟をかためていた旅行前日。運のいいことに、クラス別行動も、生八ツ橋作り体験に決まっていた。職人さんの体験もできるなんて!わたしの意思とクラスの多数決が一致した奇跡。

 生タイプも、カリカリタイプも好み。買って、かつ作れるなんて素晴らしい!待っていてね八ツ橋。行きの新幹線にて、武者震い。

 一つ、憂鬱があるとすれば、修学旅行後に感想文を書かなければならないことであった。遠足や課外活動が行われた場合、基本的に作文を課せられることはセットである。

 感動を後日、文章にしたためることが億劫だと感じていた学生時代。この旅も授業の一環なんだよな、と頭の片隅にあるだけで、どのエピソードを書くべきか自動的に考えながら景色を見てしまう。選びながら景色を見る感覚、その場に没頭できない。純粋に遊ぶことの難しさよ。

生徒、京都で「松島」を模倣する

 そんな中、経緯は忘れたが、修学旅行の感動を俳句にもしましょう、一句作りましょうと言い出した先生がいた。感想文だけでなく、俳句?ますます難しいよ。

そして、男子の中から俳人一号が現れた。

「ああ京都 ああ京都だよ 京都だよ」

何かの句に限りなく似ている。文字数の関係で、多少のアレンジは加えられているものの、元ネタはどう考えてもこの句である。

松島や ああ松島や 松島や

この手のおふざけは、一人が言い出すと、すぐに誰かが真似る。そして広がる。

「金閣や ああ金閣や 金閣や」

「銀閣や ああ銀閣や 銀閣や」

ぎゃはは!!!

止まらない。名所をそれぞれが思いつくままに詠みだしたところで、安易な模倣の禁止令が出された。

そんな様子を、黙って眺めていたわたし。しかし。

わたしの思いは、まさしく

「八ツ橋や ああ八ツ橋や 八ツ橋や」

 わたしは心の中で、詠んだ。今回の修学旅行への正直な思いを表すと、この五・七・五に集約されても過言ではなかった。

 はじめての京都。あこがれと、食欲と。感情のピークは、お土産屋で八ツ橋に散々目移りした時間と、納得の一箱を要所要所で買えた瞬間であった。数多の種類がある八ツ橋。生か、カリカリか。生も皮だけなのか、餡入りか。餡の中でも、通常の餡か、京都らしく抹茶か、はたまた変わり種に挑戦か。満遍なく味わいたい。お財布と感情と、冷静な判断力が求められる。ひー!!!

 ところが、旅行から帰る直前、京都駅にて最後のお土産タイムが設けられたときは、がっくりきた。駅の売店には、八ツ橋が豊富なラインナップで揃えられている。要領のいい生徒は、八ツ橋の購入は駅で済ませていた。

 わたしはあえて、駅でお土産は見なかった。お小遣いを既に使い切っていたこともあったが、万が一、買った八ツ橋が全て並んでいた場合、徒労感が押し寄せてくること間違いなし。心が耐えられそうにない。

 しかし、帰りの新幹線の中で思い直した。旅行の途中で悩みながら少しずつ買ったから、たのしかったのだ。それに、最後の京都駅で買うことにした場合、時間の関係で吟味できなかったであろう。

 旅行後、とりあえず作文を書いたはずだ。俳句の件も、最終的にどうなったかは、すっかり忘れてしまった。実際に提出を求められたのかもあやしい。記憶が失われている。

 覚えているのは、生八ツ橋作り体験のスナップ写真。おそらく、担任が巡回しながら一人ずつ撮ってくれたもの。各自がメインで写っているものがそれぞれ配られたのだが、そこには、うつむいてニヤけながら餡を丸める姿があった。旅行中、最も集中していた瞬間。こやつ、よほど八ツ橋が好きなんだろうな、という雰囲気。我ながら俯瞰して見てしまう一枚だった。

 その写真も、どこかに失くしてしまった。

[つづく]

うさぎのおやつ代になります。(いまの季節は🍎かな)