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無言のうさ力|うさヒトてつがく #5

うさぎを観察する機会を得たのは、小学生のころであった。

当時、わたしの通っていた学校では、うさぎ と にわとり を飼育していた。校庭に設置されたフェンス小屋はちょうど半分ずつで仕切られ、それぞれに数羽ほど納められていた。うさぎ も にわとりも「羽」と数えるのだと教わって、なんだか不思議な気持ちがしたものだ。

にわとりも好きだが、うさぎの方がもっと好き。
というわけで、特に昼休み、少女ふり子は、しばしば うさぎエリアのフェンス前でかがみこんでいた。赤い目、白い毛のうさぎたちが、丸くなって休んでいたり、伸び上がったり。土の上でのんびりとしている姿を、何をするでもなく、ただただ眺めていた。

少女ふり子がこの行動をするときは、遊び相手がいない場合であった。
学級では、権力をふりかざす一部の子どもの気まぐれで、誰かがのけ者になり孤立することがあった。わたしがそのいらない人間の役回りとなったとき、当然のようにわたしとは口をきいてはいけないルールができて、遊ぶ相手がいなくなる。子どもは必ず無邪気、なんてことはないのだ。当時のわたしも含めて。

そうなると、一人で過ごす場所を探す必要が出てきて、昼休みが終わるまで図書室にこもったり、校庭をさまようことになる。

読書も好きだが、外の空気を吸いたいこともある。たとえ、校庭でつるんでいる子どもたちから邪気のある言葉を投げかけられたとしても、わたしが気にしなければ大丈夫。相手も興味をなくしていくから。

この、わたしは大丈夫、を守り抜くために、うさぎに会いに行った。
図書室にいては、逃げ隠れている気分になることもあった。堂々と、同級生たちの目の前で一人で有意義に過ごしてやるんだ、との反骨もあった。

わたしは、一人でも大丈夫なんだぞ。

目の前のうさぎたちは、フェンス越しに見つめるわたしにすり寄ってくることもなく、静かにうさぎとしてそこに存在していた。

うさぎの赤い目が、どこか泣き腫らしたようにも見えるな、と たとえたこともあった。けれど、持って生まれたものに わたしが勝手な意味づけをしたり、投影しているだけなのであった。

思えば、わたしは昔から うさぎに救われていたのだ。

[ 日誌はつづく ]

うさぎのおやつ代になります。(いまの季節は🍎かな)