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INFJ女の人生 Ep.11

年がら年中MBTIオタクしている私ではありますが、最近またまたその熱が上がってきました、みんみんです、どうもこんにちは。

MBTI協会が定期的に行っている体験セッション(オンライン)にて私のMBTIを認定ユーザーの方に見て頂こうと思っていたのですが、残念ながら定員割れで開催できず…

自分自身がINFJであると思う点と、これはどうなんだ?と思う点などを挙げてMBTI有識者の方に意見を募ったところ、「INFJで合っていると思う」との答えが返ってきました。

無料診断ではまあ無料なんで「外向(E)/ 内向(I)」とかの表面的な部分で診断されてるところがあると思うので、どうしてもミスタイプが出てくるし、やる度に結果が変わるなんて声をちょくちょく聞くけど、無料診断した後に心理機能についてまでしっかり学んでみると色んな選択肢が精査されていって、自分の本当のMBTIに近付いていけるんだろうな、と身を持って体験しました。


前回の記事で触れたんですが、今独学で心理学を学んでいる身としてMBTIについては感じることも色々とあるので、今回はそれについて少しお話していこうと思います。


心理学における性格検査


目に見えない「心」というものを取り扱う心理学では、今まで心や性格を測る性格検査がたくさん作られてきました。

そんな性格検査を大きく分けると類型論特性論の2つに分けられるそうです。

類型論とはMBTIや(科学的根拠はありませんが)血液型診断などのあらかじめタイプの枠が決まっていて、その中で自分はどれに当てはまるかを探す概念。

特性論は有名なものだとビッグ・ファイブがありますが、誰もが持つ性格特性が人によってどのぐらいずつ持っているかを調べて量的に判断する概念。
(ex. 社交性=4,誠実性=7…⇒その集合体がその人の性格)

日本の就活で使われるSPIや玉手箱などにおける性格適性検査や自動車教習所なんかで行われる検査も概ね特性論に基づいて作られた性格検査だと思います。(教習所の検査以外やったことないので詳しくは分かりませんが)

現在の日本では特性論の方がベターで、類型論はそこまで使われることがないそうです。


性格検査にもこうした種類があるので、MBTIに対して「全人類の性格を16こに分けるなんて不可能だし~!」みたいなこと言ってくる人たまにいるんですが、そういうのはなんかちょっと論点ズレてるな~~とモヤモヤしちゃいますね。はい。(真顔)
(内心では、「希少タイプの気持ち分からないヤツは黙っとけ~~~!!!
」って言ってる)(ヤメナ)


特性論への印象

ということを踏まえて私のMBTIに対する考えをつらつらお話しますと、

INFJの方なら分かると思いますが、生まれてこの方、学校やアルバイト、部活やサークルなど、色んな組織の中で生活してきましたが、一度たりとも自分が間違いなく、しっかりと馴染めていると心から思ったことがないんですよね!!(悲)

馴染むフリのスキルはどんどん上がっていきますが、なんというか「皆が当たり前だと思う感覚と少しずれてるなぁ~」「そんな私の感覚に共感してくれる人ってすごく少ないな~」という感じがずっとあったわけなんですよ

まともに話したことがほとんどない友人の友人から「なんか変わってるね」と言われたり、
留学中に仲良くなった年下の友人から「落ち着いた変人」と言われたり、
家族から宇宙人として育てられ扱われたり…

変わり者に思われたくて生活してるわけでもないのに、なんかズレる。

でも何で自分が浮いてるのか、ズレてるのか、特性論じゃ分からないんです。

INFJは自己分析大好き人間だと思うので皆さんも共感してくれると思うんですが、こういった特性論の結果を見ても別に意外じゃないというか「うん、まあそうだろうな」みたいな結果が出て、でも他の人と比べようがない

それが私の特性論に対する感想です。


類型論:MBTI


そんな中MBTIをやって、他のタイプに比べて人口が少ないことを知った、
今までの色んな経験や何故自分が常に他の人達と完全に分かり合えなかったのか、そういったことがぶわぁーーーっとまとまって答えになった、そんな感覚でした。

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出典:日本版MBTIマニュアル P.80
2011.10.3 (株)PDS総合研究所

もちろんアメリカに比べれば日本でのINFJの比率はもう少し多いのかもしれませんが、2011年時点では日本国内での比率はINTJに次いで2番目に少ないタイプですし、一番多いESFJなんてINFJの6倍もいるわけですよ。

こうやって人口による比率を割り出せるのは類型論ならではだと思うし、こうした部分にすごく救われたところがあるんですよね。

それに、特性論の例えば誠実性や社交性だとかそういう特性は数値が高いに越したことはないと思うので、こういった項目の数値が低いとすごく人間として欠如している気分になるというか、どうしても優劣をつけられてるような気になっちゃうんですよね…

でもMBTIを勉強しながら、「人にとっての得手不得手が違うだけなんだな」「理解できないのはタイプがこう違うからなんだな」という発見は、これから生きていく上で本当に大切な気付きになりました。


特性論も類型論も

私の母と姉はESFJなんですが、本当に全然違うんですよ、私と。
向こうはきっと今まで近くに同じようなものの考え方や価値観をした人がそこそこいて、生きているだけで感じるなんとも言えない孤独感みたいなものを感じたことがないんじゃないかな、と思うんです。
(本人に言ったら反論されそうだけど)

本人たちがどう思っていようと、まあ私は親子で同じタイプな時点で理解者が近くにいていいね、って思うんですが…(苦笑)

だから別にこうした性格診断に必要以上に心が左右されることもないし、私みたいにMBTIに救われるようなことも別にない。血液型診断を同じ感覚。


きっとこういう比較的人口の多い人には特性論が合ってるんじゃないかな~と思いました。たくさん似たような人はいるかもしれないけど、その中でも私はこうなんだ!というのが示されるので。

一方でINFJやINTJのような人口が少ない人は少ないっていうことが分かる類型論の方が気持ち的に向いてるのかな、と。


私は数年前、「結婚しても子どもは産みたいとあまり思わない。自分のような考えの子が産まれたらこの社会で生きていくには大変だから可哀想。」とよく友人に話していました(笑)

自分自身がINFJとして生きていることについては肯定的に考えられるようになりましたが、生まれ変わってもINFJでいたいかと聞かれたらそれはちょっともういいかな、って感じなので…ハハハ

血液型と違って遺伝するものじゃなくてよかったです(遠い目)


ということで、今回は特性論と類型論の違いから私にとってのMBTIについて書いてみましたがいかがでしたでしょうか?
多分INFJさんなら理解してくれるはず…!

それでは暑い日が続きますが、健康にはお気を付けてお過ごしください~!



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