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161 言葉にできない気持ちに音楽が寄り添う

ふとんに入り目を瞑っても深呼吸をしてもねむれないので、ねむらないことにした夜。

夕方まで降った雨のせいで、空気がつめたくなっている。季節が曖昧になるつめたさ。窓をあけると、まだ潤いを帯びた空気がたっぷりあり、ほのかに甘い匂いがした。

ふるふるとした夜の空気を吸っていたら、ゼリーを作りたくなった。

冷蔵庫をあけたら、オレンジジュースがあった。
残念ながら、はりきって毎朝飲んでいたので、残りは少ない。
今度は戸棚を探す。みかんの缶詰めがあった。これでオレンジゼリーができそう。

台所の照明だけつけて、控えめな音でクラシックを流す。
ゼラチンを溶かして、みかんの缶詰めはシロップと果肉に分ける。
小さなあかりに照らされるみかんは、つやつやと輝く。
今宵、月は出ているのだろうか。

片手鍋に缶詰めのシロップとオレンジジュースを入れて火にかける。

その時、ベルガマスク組曲の三曲目「月の光」が始まった。
最初の数秒で曲の美しさに惹き込まれる名曲だ。
何度聞いても、曲の透明感と音の響きの豊かさに驚いてしまう。

作曲したのは、フランスの作曲家クロード・ドビュッシー。
ドビュッシーは、昔から受け継ぐ音楽の形式や規則にとらわれず、自身が美しいと感じる音と響きを追求した。それは、フランスで最も伝統と格式を誇るパリ国立音楽院で音楽を学んだ彼が、当時の音楽は「決まり」に縛られたものだと感じたためだろう。

ドビュッシーの
「言葉が途絶えたところから音楽ははじまる」
という言葉は、とても印象的だ。

言葉では表現し得ない気持ちを音にする。そんな彼の音楽への姿勢が読み取れる。


ゼラチンを片手鍋に入れて、粗熱を取る。
それから容器に缶詰めのみかんを入れ、ゼリー液を流し込む。
とろとろと液が落ちて、みかんを閉じ込めていく。
静かな時間に音楽が寄り添う。

「月の光」は、フランスの詩人ポール・マリー・ヴェルレーヌの詩から着想を得ている。

ヴェルレーヌの詩(詩集『雅な宴(艶やかな宴)』の「月の光」)は、仮面舞踏会を舞台に、悲しみを抱えながら踊る人々を表現した作品だ。

美しい仮面をつけ、華やかな衣装を纏い、リュートの音に合わせて踊る彼らは、幸せそうに見えるかもしれない。踊っているのだから多少は楽しいのだろうが、その仮面の下には拭い去れない悲しみがある。

そして、人々の口からこぼれる短調の歌が月あかりに溶け込み夜に包まれていく…。

舞踏会の賑やかさと月の光の静けさ、踊りの楽しさと内に秘めた悲しみ。こういった相反する情景と気持ちが描かれている。

この詩を踏まえて、改めてドビュッシーの「月の光」を聞くと、美しい響きの中にしんとした悲しみを感じる。

いつも笑顔が絶えない人でも、誰にも言えない悩みや辛い過去を抱えていることもある。きちんとくたびれているのに、なぜかねむれない夜もある。
それは「悲しい」という言葉だけでは、とてもあらわしきれない複雑で繊細な心象だ。

「月の光」の静かで穏やかな調べの中に、見え隠れする切なさ。
それは、だれでも抱えている言葉にできない感情に優しく寄り添う。

ゼリーはラップをして冷蔵庫に入れていく。
朝が訪れる頃には、冷たいデザートができあがっているはずだ。

オレンジジュースと缶詰めのシロップは一対一の割合にしたが、もしかしたら酸っぱいかもしれない。このジュースは、とにかく酸っぱいのだ(だから目覚まし代わりに飲んでいた)。

すぐに冷蔵庫を開けて味見をしようかと思ったが、結局やめた。
まったく甘くないこともないだろう。
甘いだけでなく酸味もある方がおいしい良いデザートになるかもしれない。

窓をあけたら、白い月が出ていて、穏やかな光がふんわりと夜を照らしていた。


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今回のイラストと小さなおしゃべり

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暑くなってくると、ゼリーをたくさん作ります。
つめたくてさっぱりしているので、たくさん作ってもぺろっと食べちゃいます。意外とお砂糖をたっぷり使っているので、気をつけなくちゃ…と思っても食べちゃいます。

困ったものです。

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