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158 レモン色のあわ

先日、レモンをいくつかいただいた。
くださった方の実家で実ったものだそうだ。

明るい黄色がまぶしく、鼻を近づけるときゅっと酸っぱい香りがする。

私の祖母の家にもレモンの木があった。祖母は十年以上前に亡くなり、すでに家は取り壊されたので、レモンの木がどうなったのかわからない。ただ、確かにあの場所で暮らしていた祖母とレモンの木を思い出して懐かしくあたたかい気持ちになった。

その日の夜、早速はちみつレモンを作ることにした。

キッチンの明かりだけつけて、レモンを洗っていく。
水道水のつめたさが心地よい季節になった。
少し前まで水のつめたさに手がじんじんしていたのに。
停滞しているように感じる日々だが、季節は容赦なく進んでいく。

これから雨の時期を味わって、雲が晴れたら夏が広がるのだろう。

洗い終わったレモンを切っていく。
しゅわ、とん。
と音を立てて、薄い輪切りができていく。
黄色い香りにキッチンが包まれる。

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初夏。
この時期に仕事である生徒によく相談されたことを思い出す。
彼女は好奇心旺盛でやりたいことがたくさんあり、進路を決めかねていた。幼い頃から多種多様な習い事をしてきたおかげで、興味の幅が広がったらしい。
ピアノに習字、公文、バスケットボール…。

「素敵なことじゃない」
と私は言った。やりたいことにあふれる日々は活気がある。

「でも、この前ふと気がついたんです。結局、どれも中途半端なんじゃないかって。どれも中途半端だから進路にも迷うんだって」

彼女はそう言って少し笑った。顔に落としたまつ毛の影が寂しそうだった。
窓の外はまだ明るくて、わずかに風の音が聞こえる。


「中途半端は悪いことなのかな?」
と私は訊いた。

彼女は目を見開いて私を見た。

「例えば、私は読書が好きだけど、色んな本を読むよ。小説も好きだし、詩も。歴史や言葉の意味や花、ミステリーや海外の作品も。でも、全作品を読んだ作者なんて数えるほどだし、日本史でも室町時代はやや疎い。完全に理解した分野なんてないよ。どの分野も奥深いもの。でも、中途半端だから読みたい本もある。少し得た知識からさらに興味がこともある。それは豊かなことじゃないかな。いつか自分が納得できる瞬間がきたら、それはそれで輝かしいことだけどね」

私はそう言って、窓の方を見た。風は止んでいた。
夏に向かう夕焼けと若葉をたくわえた木が見えた。曖昧でとろとろな時間。

「なんだか、私焦っていたみたいです。習わせてもらったことは全部プロにならなくちゃ、とどこかで思っていたのかも。」

彼女に目を向けると、少し微笑んでいた。
自分の中にあるもやもやの正体に気づいた時のほっとした笑みだった。
私は、彼女の目を見て話した。

「意外と関係ないと思っていたところがつながることもあるよ。スティーブ・ジョブズはカリグラフィが好きだったの。だからマックのフォントは美しいでしょ?だから、プロにならなくても、これまでやってきたことは無駄じゃないよ」

外はどんどん夜の幕を下ろす。
あの若芽もこれから膨らんで、大きな木を彩るだろう。

「今はやりたいことに向き合う時なんだと思うな。家でやりたいことを紙に書き出してごらん。なぜやりたいかも一緒に。その中で一番やりたいことを考えてみる。もしくは、やりたいことの共通点を探してみる。どうしても迷うなら、その紙をお母さんに見せて話すのもいいかもね。話すと頭が整理されるから」

彼女は
「やってみます、ありがとうございます」
と言って席を立った。まだこびりついている不安を表情に残して。
窓を開けると夜の静かな匂いがした。

数日後、彼女は進路調査書に○大学教育学部と書いて提出したことを教えてくれた。
その時は、すっきりしたようないきいきとした表情だった。
高校一年生のころ、「見てください!」と言いながら、バスケットの大会で表彰されたときの写真や97点と書かれた数学の答案を見せにきた時の笑顔を思い出した。

「数学(算数)もピアノも絵も書道もバスケも諦めないことにしました。どれも楽しんで、それぞれの良さを子どもに伝えたい。そこから子どもがやりたいと思えることを見つけてくれたらいいなぁと思います。」

彼女は明るく笑った。もう、まつ毛は影を落とさなかった。
そして、ポケットから携帯電話を出して写真を見せてくれた。
そこには、やりたいことをたくさん書いた紙が写っていた。

ピアノ→音の美しさ。あまり好きじゃないはやりの歌もピアノでひくと、曲の良さがわかる
書道→集中する瞬間が気持ちいい。練習すればするほど上手になる…

好きなものを羅列した一番下に「これらを楽しみ続けたいし、楽しさを人に伝えたい!」と大きく書いてある。その横に赤ペンで花丸がしてある。

「この写真はお守りにしようと思います」

彼女は一つの答えを見つけたようだった。


卒業式の日、彼女はお母さんと一緒に私のところに来てくれた。
その時、お母さんが私に話してくれたことは今でも宝物だ。

「あの子が書いたやりたいことリスト、私も見ました。小さいころから習いごとをたくさんさせたので、もしかしてキャパオーバーだったかな…なんて思ったこともありましたが、あの子はちゃんと楽しんでいたんですね。将来の仕事に直接つながらなくても、いろんな世界を見せたのはよかったのかなと…。ありがとうございました」

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冬の大地は草も枯れて、なにもないように見える。
でも、春になった途端あおあおとした草に明るい色の花が咲く。去年はいなかった花もなぜか芽を出すこともある。虫も出てくる。なにもないように見えた土の中でさまざまなことが起こっている。種や根、小さないきもの、しみこんだ雨や雪。それらは一見関係ないようだが繋がっている。そんな小さな繋がりが広がって春という季節とともに壮大な景色を生む。


切り終わったレモンを瓶に詰めてはちみつを落とす。
とろとろとろとろ。実際に音がしているわけではないのに、なぜか聞こえる音。
蜜をたっぷり入れて蓋をする。

昔、猫の額くらいの庭に生えるレモンの木を見ながら祖母に尋ねたことがある。
「おばあちゃんが植えたの?」

これを訊いた途端、祖母は大笑いをした。
ひとしきり笑ったあと、
「ううん。なぜか突然生えたの。」
と言った。

祖母の笑いのツボは独特だなと思ったことを覚えている。今でも何がそれほどおかしかったのかよくわからない。自然の不思議やいたずらに、びっくりした時のことを思い出したのかもしれない。レモンに気づいたときに、何か物語があったのかもしれない。

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いろいろなことに興味を持ち、やってみる。
何が起こるのか、何が動き出すのかはわからない。
どんな種子が育つのかは花が咲くまでのお楽しみ。

レモンはそのまま食べると酸っぱいし、皮は苦いけれど、蜂蜜に漬けて時間を置いたらとびきりおいしくなる。

悩んでいるこの時間もずっとずっと先には素敵な時間になっている。

あの子は今ごろどんな風に過ごしているかな。
留年をしていなければ、今大学三年生。
もしかしたら、また悩んでいるかもしれない。
でもきっと大丈夫。

悩みと迷いが渦巻く時期に自分と向き合って考えたことは、後になって辛い時期とぶつかったときに乗り越える武器になる。
自分の心の底にある思いを掴もうとする勇気は、青春を過ぎて大人になってからも何度でも湧くものだ。


翌朝、冷蔵庫からはちみつレモンを出して炭酸水で割る。
しゅわしゅわと生まれては消えていく泡と、さわやかなレモンの香り。
一口飲むと、細かい泡ははじけてこっくりと甘いはちみつが広がったあと、どこか懐かしさを含みながら苦味を残して消えた。


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今日のイラスト

画像1

大人になって黄色から元気をもらっていることに気づいた。
レモンスイーツ食べたいなぁ…。

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