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043 ブルー・イン・ブルー

涼しくなってきたと思ったら、また少し暑くなったようです。
窓を開けて寝ていたら、明け方に暑くて目が覚めました。
私が目を覚まして「まったく」と思っていたら、それをフォローするように風が吹きました。それで窓を見たら外がなんだか青いのです。はて、と思ってベランダに出ました。

外は思ったよりも涼しくて、いちめんの青色。
ベランダから見えるビルも、向かいの白い家も、道路も青で染まっていました。
緑色だったはずの屋根も、自動販売機も、ポストでさえ青色に見えました。
そして、これは前にも一度見たことがある、と思いました。

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大学生のとき、幼なじみと数年ぶりに再会して二人で飲みに行ったことがありました。
中学で別々の学校に進みましたから、かれこれ六〜七年ぶりのおしゃべりでした。

久しぶりだったので、大学の授業やサークルやアルバイト、ボーイフレンドのことなど報告することがお互いにたくさんあって、次々と話題を変えながら楽しく話しました。

気がついたら23時すぎていて、そろそろ帰らなくちゃ、と思ったとき友達が
「ね、もう少しだけ話したい」
と言うので、深夜までやっているカフェ兼バーに行きました。

普段だったら、終電を理由に帰っていたと思います。
でも、その時はなぜか、その子の話を聞いてあげなくてはと思い、彼女を残して帰ることはできませんでした。

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友人の家は大きな病院を経営されているので、幼いころから彼女も医師になるよう、両親から言われてきたそうです。そしてそれに答えようと友人は一生懸命勉強しました。小学校のときから塾に通い(私はそのことをまったく知りませんでした)、中学受験を成功させ、その後現役で国公立大学医学部医学科に合格します。
大学でも優秀な成績をおさめているようです(これは私の推測ですが、話していてそう感じました)。

しかし、彼女はそれを鼻にかけることもなく、気さくでとても親切です。
また、博識で話題が豊富なので、話していてとても楽しいのです。

まさに完璧。
同い年とは思えないくらい、とても素晴らしい人です。

しかし、その日深夜の喫茶店で、彼女が最初にした質問は意外なものでした。

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「ね、私はどんな人に見える?」
彼女は甘いお酒を私はジンジャエールをお願いしたあと、そう訊かれました。
私はこういう質問にとても難しさを感じるので、少し考えました。

すると、友人は
「最近気づいたの。私は自分でなにも決めてこなかったって」
と言いました。私は彼女の顔を見て続きを待ちました。
「この前ね、大学の友達が私のいないところで話しているのが聞こえたの。「でも、ほら〇〇(友人の名前)は家のおっきな病院があるからさ。気楽なもんだよね」って」

友人は苦い表情をして、手元を見つめながら話します。
「気楽?私はずっと遊びたい気持ちを我慢して勉強してきたのよ。優秀な弟と比べられながら、両親だけでなく、親族にも圧をかけられながら。期待に応えられたときはほめられた。でもそれはほんの一瞬で、今度はそのほめられたことがプレッシャーになる。どこにも逃げられなくて、できる限り完璧な人になるしかなかった。それが自分を守るすべだった。誰も私の人生をほっといてくれなかった。」
と一気に言いました。そこに頼んだ飲みものが届きました。
ジンジャエールは透ける黄色で、細かい泡がきれいでした。甘いお酒はブルーでした。

彼女は一口飲んで、また話しました。
「でもね、そんな抗議が一気に頭の中を駆け巡ったあと、ため息と一緒にひとつの考えが浮かんだの。でも、私は実際に人生をほっとかれたら、もし遊ぶ時間があったら、なにをしていただろう。考えたけれど、なにも浮かんでこなかった。やりたいことってなんなのかわからなかった。もしかしたら何もできないかもしれない。いや、おそらく何もできない。だって私は何ひとつ自分で決めたことがないから。」
そして
「こんな私をどう思う?」
ともう一度訊きました。

私は生まれたときから職業が決まっているのは、どういう気持ちなんだろう、と考えていました。昔はそれが当たり前だったと思います。今は、家にもよりますがわりと自由で、またインターネットなどの普及により人の状況が見えやすい環境です。だからこんな風に思ってしまうのかな、と思いました。
そうだとしても、人生に「もしも」を持ち出すのはナンセンスだとも思いました。

そして、私は思うままに暗唱しました。
「たゞ所動的、器械的の人物になりて自ら悟らざりしが、今二十五歳になりて、既に久しくこの自由なる大学の風に当りたればにや、心の中なにとなく妥おだやかならず」
「舞姫ね」
友人は即答しました。
私は
「あなたはやさしいと思う」
と言いました。
自分で決めたことではないのに、努力をしてきました。
家からのプレッシャーに屈せず、だれかと比べられてもくさらずに、他の人の期待に応えようとしてきました。

「私は具合が悪くなったら、一番にあなたに相談したいもの」


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そのあと何を話したかは忘れました。
主に友達の将来に対する思いを聞いていたと思います。
私はうんうんと相づちを打ちながら、この子はきっと、この話をここまで深く他人にするのは初めてなんだろうな、と思いました。

お店を出ると、街はまだしっかりと深夜でした。
電車は当然動いていませんし、人も車も通っていません。

「たくさん愚痴っちゃってごめんね」
と友達に言われました。私はふと思い出して
「じゃあ始発まで付き合ってよ。行きたいところがあるの」
そう言って、お店から二十分ほど歩いたところにある川に行きました。

川沿いに伸びる道。その両端には生き生きと草が伸びています。
私は
「どうして、私に話そうと思ったの?中学・高校とほとんど接点のなかった私に」
と訊いてみました。友達は
「きちんと聞いてくれそうだったから」
と言いました。
「大方の人は、話を聞いたふりをしても結局私の自慢だと思う気がするから。家が大きな病院で経済的に恵まれていて、私自身勉強に関しては割とスムーズで。そういう目に見えることしかわかってもらえない。贅沢な悩みだと思われてしまう。あなたは、見えない部分も見てくれそうだったから。」

なんだかうれしくなりました。
私は、彼女の話を自慢だとは思いませんが、恵まれているとは思います。
でもだからといって、彼女の悩みが贅沢だとは思いません。
それぞれ、生まれた時の与えられた立場や自分で得られた立場は違いますから。

そんな風に考えていたら、いつの間にか朝の気配がそこにありました。
目の前の景色すべてが青くなっていました。

それは圧倒的な青で、川も草も空も建物も私たち自身もその色に染まっていました。
どんな立場の人でも、生まれ持ったものが違っていても、人でなくても、みんなひとしくブルーでした。

「なんか…すごいね」
彼女は言いました。表現と言葉を失うほど美しい景色でした。

たったの数分の出来事だったと思います。
朝日がさしこむなかで、友人は前を見つめたままこう言いました。
「みんな青くなっても、何かはわかるのね。同じ色でも、これは草。これは川。私は両親と全く同じにならなくてもいいのね。そこにあるレールに従って同じ職業についたとしても、私は私だもの。」

その後、私と彼女は元気よく別れました。
別れ際の友人の表情は、決められた人生の中で自分らしく生きていく決意が見えたように思えました。

私は帰りの始発電車の中で明るい青色の夢を見ました。


今回も最後まで読んでくださって、ありがとうございました。



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