159 お茶と言葉と降り暮らす
雨の音が聞こえると心静かになるのはなぜだろう。
しとしとしと
ぽつぽつ
ぽちゃんぽちゃん
天から降る恵みの水は、降り立つ場所によって音が変わり、それが奥深い自然の音楽を生み出している。雨自体を見なくても、音を聞くだけで水滴の大きさが想像できることもある。
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新年度が始まり、四月からばたばたと忙しく過ごしていた。
新しい仕事内容に新しいメンバー、業務形態も少し変わった。
休日はなるべく気分転換をするようにしていたが、なんとなく仕事のことが頭から離れず、リフレッシュするふりをしていたような日々だった。
ゴールデンウィークが過ぎた頃から少しずつ新しい環境にも慣れた。
しかし、新しい環境は素敵な化学反応を生むと同時に、新しい問題とそれに伴う疲労も生産していた。
ある日、職場の先輩と連絡を取っていたら、事務連絡の後にこんなことを話してくれた。
「そういえば、雨があまり降っていないけれど、もう梅雨なのね。そして、梅雨ということは、一年の半分が過ぎようとしているのね。本当あっという間。毎日屋内でパソコンと向き合っていて空の色の変化も見ていないから、私は今がどんな季節なのかもかわからなくなっている…。たまにデジタルデトックスすることも大切ね。」
デジタルデトックス。
仕事の日もそうでない日もパソコンや携帯電話は必ず開いている毎日。
特に見たいものがなくてもテレビをつけていることもあるし、読書もこの頃は電子書籍に頼ることが増えてきた。
もちろんどの機械も便利だし、新しい情報もすぐに手に入る。
しかし、そのあふれるほどの情報は今本当に必要なものなのかわからない。そして、処理しきれなかった情報が脳を圧迫し、眼精疲労と肩凝りを悪化させ、息苦しくなっている気がする。
体を休めるためには必要かもしれない。
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次の休日は朝から雨が降っていた。
その日は一日中雨は止まないらしい。
こういう風に一日中雨が降り続けることを「降り暮らす」というと学生の頃に教えてもらった。素敵な言葉だなと思ったことを覚えている。雨だからと倦まず、むしろ味わうような雰囲気を言葉から感じた。パソコンも携帯電話もないころ、雨の日だからできることを楽しんでいたような風景が頭に広がる言葉である。
今日は鳥たちも飛ばずに羽を休めているだろう。
しばらく窓から雨を眺めていると、遠くに見える雨と近くに見える雨の違いに気がついた。淡い灰色を背景に遠くの雨は細かい線、近くの雨はもう少し太い線、そして欄干や葉っぱに乗っている雨はゆがんだ丸。
水が滴る美しさはいくら見ていても飽きない。
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そんな風景を見ていたら、近所にある和菓子屋さんのことを思い出した。和菓子は季節の風景を切り取った芸術品。今はどんなものが出ているか見に行きたくなった。
マンションから出て、傘をさすと部屋で聞いたものとは異なる雨の音。
ぽつんぽつん
ぽっぽっ
傘が水を弾いているせいか、ポップな印象の音。
水たまりを避けながら、道路も自動販売機も車も潤いを帯びた街を楽しんで歩く。
日本語の美しさであり面白さは、一つのものにちょっとした違いを見つけて違う呼び方をするところだと思う。
雨にもさまざまな名前がある。
例えば、糸雨はしとしとと糸のように細く降る雨のこと。
銀竹は夕立のことで雲間の太陽に輝きながら激しく降る雨のこと。(氷柱の意味もある)
糸雨は「雨」という字がついているため、想像しやすい。繊細で、ほとんど雨音が聞こえないような静かな雨。一方、銀竹は竹の種類かと思ってしまう。(私は初めて聞いた時そう思った。しかも、その後なぜか和食屋さんを思い出した)
しかし、銀竹は雨のことと知った途端、竹のように太い雨粒が夕陽に照らされて銀色に輝く姿が頭に広がる。ぼたぼたという雨音まで想像できる。この言葉を産んだ昔の人の感性の豊かさは目をみはるものがある。
今はまさに梅雨。梅の実が八百屋さんに並ぶころに降る長雨。
街路樹に降り注ぐ雨を見ていると翠雨という言葉も浮かぶ。
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和菓子屋さんに着いた。
淡く優しい色合いの和菓子が並ぶ。
紫陽花を模したものや水辺の花菖蒲をイメージしたもの、風吹く風景、日に日に短くなる夜を表現したもの…。
どれも美しく、見るだけで今が六月だと感じるものばかり。
悩みに悩んで愛らしい「青梅」と「なでしこ」を模した上生菓子を購入した。
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家に帰ってお茶をいれる。
お湯が沸く間、和菓子を乗せるお皿を選ぶ。
その間も雨の音はずっと聞こえる。朝よりも勢いは落ちたみたい。
お昼すぎなのに薄暗い部屋。電気をつけなくても周りは見えるけれど、物の輪郭がどこかぼんやりしている。
夏闇という言葉は、梅雨の暗闇や厚い雲で覆われた夜空、家の暗がりのことを意味する。暗いというとマイナスなイメージもあるが、時に暗さはやさしく心に寄り添う。
例えばこんな落ち着いた日。例えば考えごとをしたい時。
夏という果てしなく明るい季節に潜む闇は、どこか甘い穏やかさがあると思う。
抹茶を切らしていたので(痛恨のミス…!)、煎茶を淹れる。
ほとほととお湯を急須にいれたら、茶葉が開くまでのんびりと待つ。
夏に近づきつつ、手を緩めたかのような涼しい水の音、におい。
薄い灰色の雲や低い空、仄暗い空気が自分の内側へ内側へ誘う。
上半期はどうだっただろう。
忙しくて体調を崩すこともあった。新しい体制に混乱することもあった。くたくたになって、12時間寝た休日もあった。でも、笑顔で過ごした日も学んだ日も心あたたまる日もあった。
がむしゃらに走った毎日だけど、花丸をあげていいんじゃないかな。
煎茶と和菓子。
いただいているときは何も考えず、香りや甘さ、色の美しさなどを感じた。大切に五感で味わう。
その時間を雨が彩っていた。
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夕方、雨は止んでいた。天気予報は外れたらしい。
空はまだまだ曇っているが、少しずつ晴れ間も見えた。
今宵は麦星が見えるかもしれない。
梅雨の晴れ間に見える麦星。麦が熟れる頃に見える星。
自然の恵みとこれまでがんばってきた自分を労る頃に見える星。
雲と雲の間にぽつんぽつんと輝く星は、これからもがんばり続ける源になるだろう。
気がつけば、その日はほとんどの時間をデジタルから離れられていた。
今だからこそ味わえるものに集中していたら、一日はあっという間に過ぎる。
明日からまたデジタル漬けだけれど、きっと今日のような日がまた支えてくれる。疲労がたまったら、またリセットすればいい。
晴れの日には晴れの日の楽しみを雨の日には雨の日の楽しみをそれぞれ見つけていこうと思う。
今回は、そんな心安らかに降り暮らす休日の話。
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