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063 虫のうた

灰色が混ざったような青色の空気の中、私は川に沿って歩いていました。
お日さまはすでに帰ってしまったようです。

10月にしてはぬるい気温で、風の気配はするのにちっとも吹きません。
私は歩いている自分の足をみて、上を見上げて(そこには木の葉が広がっています)、また自分の足を見ました。

私は歩いてゐる自分の足の小さすぎるのに気がついた
電車位の大きさがなければ醜いのであつた

尾形亀之助さんの詩の一節です。
私は、その通りだな、と思いました。

ひとりでいる時間はとても大切です。
その時間があるからこそ、人といる時間も大切にできます。
そう、思っていたけれど。

最近、ひとりでいると、いやなことを思い出してしまいます。
秋のせいでしょうか。

いやなことというのは、私がだれかにいやなことをされたのではなくて、自分で自分をいやだな、と思うことです。自分の小ささやつまらないところをふと思い出してしまうのです。

私の足は小さい。もっと大きくて、目的に向かって堂々と前に進む電車のような足がほしい。立ち止まっている場合でないのです。

私は、私の足をきちんと見るために止まりました。
そして足を見ていると、どんどん小さくなっていくような気がしました。

そのときです。

ふよふよふよ

へんな声が聞こえます。
その途端、いろいろな声が聞こえてきました。
りんりんりんりん
みーおみーおみーお
じりじじじじ
ふよふよふよ

草むらに、あるいは川の近くにたくさんの虫たちがいるようなのです。
私は、足元の近くにしげっている、草を見ました。
しゃがみこんで、ゆっくりと草をかき分けてみました。

そこには、なにもいません。
でも、声は聞こえます。

りーんりーんりー
りりりりりりり
ふよひよふよ

私はしゃがんだ姿勢のまま、目を閉じて虫たちの声を聴いていました。
そして、いろいろな声があるものだなと思いました。

虫たちの生きがいはなんでしょう。
私よりも、ずっと短い生涯で。
美しい声をあげること。
パートナーを見つけて子孫を残すこと。

私よりも数は多いのでしょうが小さな小さな足で、どこに向かうのでしょう。
そこで、ふっと気づきました。

彼らにとって、距離は大きな問題ではないのかもしれない。
そもそも、目標に向かっていくことを距離として捉えていないのかもしれない。

今できることを一生懸命すること。
どこに行くかではなくて、何をしていくかということ。
虫たちの足は私の足よりもずっと小さく、でも電車くらい堂々と進んでいるのでした。

私は立ち上がりました。
風がいつのまにか吹き始めていて、ぬるい空気を動かしてくれています。

そしてにぎやかな虫の歌の中、足取り軽く家路につきました。

今回も最後まで読んでくださって、ありがとうございました。


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