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157 文字が音もなく記憶を呼び覚ます

雲はたくさん浮かんでいるけれど、概ね晴れた朝。
本棚の整理をすることにした。

私の家に本棚は四つある。
一つは画集や写真集、刺繍の図案など大型の本をしまっている棚。リビングのソファ横にあり、芸術棚と呼んでいる。棚の上には気に入った単行本もずらりと並べている。
二つめは文庫本だけびっしり入った薄い文庫棚。棚の上は辞書類や仕事の本を寝かせて乗せている。廊下に置いているので、そこで入浴のおともを探すことが多い。
三つめは絵本ばかり入れた絵本棚。これには引き出しが二つ付いているので、絵の具や文房具も入れている。テレビの横にある。
そして問題の四つめ。この本棚は主に単行本を並べているが、それ以外にもこれまで届いたハガキを入れたファイルや生徒からもらった手紙を入れたアルバムなど本以外のものも入っている。雑多棚と呼んでいて、寝室にある。

私は本屋に行くと無意識に本を数冊購入する上に、図書館でも本を借りてしまうので、今挙げた四つの本棚以外の棚にも隙間さえあれば本を詰めている(料理の本は利便性からキッチンの棚に並べている)し、ソファサイドやベッドサイドにも積んである。

雑多棚に関しては、もはやどんなものが入っているのか記憶にない。
ということで、雑多棚の風通しをよくすることにした。

雑多棚は我が家の本棚の中で最も収納力がある。
まずは背表紙のタイトルを見て仕分けをしていく。

夏目漱石、泉鏡花、森鴎外、太宰治といった中学生のころから愛読している作品たち…。紙の色はすっかり褪せて、開くとぱりぱりと音がする。この古い本がもつ特有のほこりは、とにかく手を乾燥させる。図書館員だったとき、乾燥して爪がわれてしまうので、エプロンのポケットにいつもハンドクリームを入れていたことを思い出した。
知っている人に会いにいくように何度も何度も読んだ本。隅々まで知っている人のはずなのに、会うたびに発見がある。私の人生に寄り添い続けている宝物だ。

村上春樹、安部公房、江國香織、小松左京、よしもとばなな、京極夏彦などなど…。これは高校生のころにハマり、当時出ていた作品全てを読み漁った記憶がある。電車通学だったので、必ず一冊は持ち歩いていて、読みながら電車に揺られていた。一度、本を持ったまま本格的に寝入ったことがあり、その時に持っていた本を落としてしまったことがある。私の向かいに座っていたさわやかな青年が拾ってくれたのだが、その時落とした本が京極夏彦の『絡新婦の理(じょろうぐものことわり)』だった。「あぁ…昨日までだったら『いつか記憶からこぼれおちるとしても』(江國香織著)だったのに…」と後悔した記憶がある(京極夏彦さんすみません)。さわやかな青年はさわやかな笑顔のままだったが、わりとむごい殺人事件を読む女子高生に内心引いたかもしれない。(表紙がまたインパクトのあるデザインだった。暗闇で見たら、表紙を知っている私でもぎょっとする。でもおもしろいんですよ。)
こんなほろ苦いことを思い出した。

ジュリアン・バーンズ、アリス・マンロー、サマセット・モーム、ミヒャエル・エンデ…大学生のころ貪るように読んだ。大学では日本文学を専攻していたため、基本的に日本文学と中国文学漬けだった。教養として書道や西洋美術史を学んでいたが、圧倒的に日本文学に触れる時間が多かったため、息抜きとして海外作品を読んだ。

他の国に遊びに行き、言葉も文化も違う人の話を聞く気持ちになり楽しかった。
フィッツジェラルドの作品は駆け抜けるように読み、その後何度も読んだ。
カミュの作品は心に刺さり、友人と討論した。
エンデは全く知らない世界に連れて行ってくれる案内人だった。
イギリス、ロシア、ドイツ、アメリカの作家のものを好んで読み、フランス文学は少し苦手だった。挙げるとキリがないくらい多くのことを学び、考え方に影響を及ぼしたと思う。
大学生の頃は、今はいない人の考えや思いを追いかけていた。

あとは主に実用書や自己啓発本、参考書が多い。
仕事に就いてからは、小説をゆっくり読めるのが連休のときだけになってしまい、それ以外は仕事に役立つ(と思われる)本を濫読していた。

エクセルやワード、フォトショップ、ビジネスマナー…即戦力になるために必死で勉強し、知識として頭に溶け込んだ数々の本。
大学時代に持っていた図書館法や教育関係の本も出てきた。司書時代にわがままな利用者に悩まされ勉強した心理学の本や教育関係の会社に入ってから手に入れた古典や現代文の参考書や面接、小論文関係の本も。

自己啓発本はカーネギーを最初に読み、その後さまざまな本を数え切れないほど読んだが、大体皆同じことを言っているので今は買わなくなった。やる気を出すには有効なので、へこたれそうなときにたまに読む。

仕事に追われながら、寝る時間を惜しんで頭に詰め込んだ日々。
浅い呼吸で一気に集中して読んだ後、窓から見える夜がやさしかった。
書籍の仕分けが終わった。結局、ほとんどの本は保管しておくことになった。
私は本を簡単に手放すことができない性分なのだ。

保管しておく本を本棚に戻そうとした時、棚に残っているファイルが目に入った。
開いたら夢中になってしまうことがわかっているので、手に取らない方がいい。
しかし、ファイルの中に一つだけ中身がわからないものがあった。
ハガキフォルダとほぼ同じサイズのずんぐりした形で、キナリ色のファイル。背表紙には特に何も書いてない。ずいぶん古そうだ。

私は手に取り、表紙を見た。表紙には何も装飾はなく、特にファイルのタイトルも書いていない。

開くと祖母の字が広がっていた。
ポストカードサイズの紙(おそらく壁掛けカレンダーをカットして作った紙)に料理のレシピがひとつ書いてある。
次のページも、その次のページも。紙一枚につきひとつのレシピ。
えびと蕗のくず煮、そらまめとアサリの炒め物、蓮根のひき肉あんかけ、鰯のつみれ汁…。
料理の絵も写真もなく、淡々と材料と作り方が書いてある。

そう、これは亡くなった祖母が母の結婚の時に贈ったレシピ集だった。
たしか、祖母が結婚してから人や曽祖母に聞いたレシピを記録したもの。
母は「このレシピは全部覚えたから」と言って、実家を出る前に渡してくれたのだった。
料理初心者だった私にとって、祖母のレシピは手の込んだもののように感じて、どれも作らなかった。写真がないこともハードルが高く感じ、レシピは全て六人前だったことも億劫だった。結局「一人暮らしレシピ」や「時短料理」を謳ったレシピばかり使っていた。

今、料理はだいぶ慣れて良い息抜きにもなっている。作ってみるのもいいかもしれない。
見返してみると、祖母の字だけでも丁寧に説明が書いてあるのでじゅうぶんわかりやすい。
たまごとじのところに「玉子液に牛乳を少しいれるとふんわりする」と書いてあったり、「あさりは三月や四月に○○(当時行きつけの魚屋さん)で買う。おまけもしてくれる」と書いてあっておもしろい。

そして、きつねうどんのところに「○○(伯父の名前)の好物。お八つがなくても煮た油揚げを出すと機嫌がよくなる」と書いてあって、思いがけず涙が出た。

祖母も伯父ももういないけれど、無口でぶっきらぼうなのにあまいおかずが好きな叔父と、いつもにこにこしていた祖母の優しさをありありと思い出した。

レシピ集を閉じて膝に乗せ、部屋を見渡した。
仕分けされた大量の本たちに囲まれている。どの本も基本的に背表紙を見ただけで内容が思い出せる。昔から読んでいる本は、好きな場面や言葉も思い出せる。本棚には思い出のファイル。

これまで出会った文字たちは、たしかに血肉になっている。
私だけでなく、もっと前に生きていた人にも。そして受け継がれている。

本を片付けると(大変だった!なぜ出す時より片付ける時の方が時間がかかるのだろう。量は減っているはずなのに)、お昼を過ぎていた。

「今日のお昼はきつねうどんかな…」
そう思って窓の外を見ると、雨が降っていた。
お日さまが出ている状態で降っているので、雨がきらきらと光っている。
あたたかくて、やさしくて、でも泣いているみたい。
私の気持ちとそっくりな空をしばらくながめていた。



今回も最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

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