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183 まだ冬がそこにいるうちに

立春を過ぎたからといって、すぐに温暖な気候になるはずもなく、痛むような冷たい空気にさらされながら、そこかしこに漂う春の粒を見つける日々である。

春の粒とは、視覚的なものというよりも感覚的なもののことだ。数日前より日が長くなっているとか、蝋梅が馥郁たる香りを放っているとか、水道水が若干やわらかいとか。

冬色の日に春がにじんだ瞬間を見つけると、心にあかりが灯る。


2021年は仕事に追われてしまい、その忙しさに文字通り目が回った。
私は添削や書き物といった活字まみれの仕事をしているのだが、昨年依頼された仕事は、基本的にすべて引き受けていた。その結果、アウトプットが多すぎて自分の中身がスカスカになっていく感覚をもちながらも、機械のようにパソコンに向かっていたのだ。

それは、「仕事をいただけるのはありがたい」という感謝の思いと同時に、「いつ仕事がなくなるかわからない」といった不安感も持っていたからだろう。

年末、2021年最後の提出を終え、マンションの屋上に上がった。見上げると空は果てしなく広がり、星が明るく輝き、全ては美しかった。そして、自分という存在は有限だということを感じた。

年が明けてから、仕事量を少し減らすことにした。
先方へ説明したら、「また依頼はさせてくださいね」と言ってくださった。感謝の気持ちは懐に、不安はポイッと捨てたら、心がほどけるような解放感があった。

そして今。仕事をこなしつつも、なるべく自由な時間を作るようにした。
そうすると、日々繰り広げられる自然の流れを感じられるようになってきた。
陽光の暖かさ、風の温度、空気の湿度。それから空や土の色合い。
同じような色であっても、全く同じ色合いはない不思議さに感動することもある。

そうしているうちに、どれほど冷え込む日であっても、春の粒が存在しているような気がしてきたのだ。

十代のころは、春の訪れに緊張していた。
それは、変化が不安だったからだと思う。

今は、その頃よりいくらか知っていることと理解していることが増えた。
変化しない時はない。
何千年前も何百年前も十年前も一年前だって変化の時だった。
今この瞬間だって、常に動いている。

新しい春の粒が徐々に生まれているように、冬は最後の力を振り絞って街を冷やしながらも、少しずつ遠のいていく。

その不思議さと美しさ。

冬がまだそこにいるうちに、何か冬らしいことをしておこう。
毎年めぐる季節ですら、全く同じものではないのだから。


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私にとって、冬のスイーツはりんご。例えば、春に向かう日の中で香ばしいアップルパイと熱々の紅茶を楽しむのも良いかもしれない。

…取ってつけた感じがありますね。ご名答!テーマを決めずに欲望のまま描いたイラストです。

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