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055 やさしさをどうぞ

朝、家のドアを開けたら、からりと乾いた風が体を包んで秋を感じました。
こんな風に、いつも次の季節は不意にやってきます。
そして、気温が下がるにつれてみかんが食べたくなり、みかんが食べたくなるとおばあちゃんのことを思い出します。

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私のおばあちゃんのイメージは秋から冬です。
それは、いつも編みものをしていたからかもしれないし、おばあちゃんの好物がみかんだったからかもしれません。よく、どんぶりいっぱいの-汁が今にもこぼれそうな-うどんを作ってくれたからかもしれません。お年玉をたくさんくれたからかもしれません。
あるいは、冬に亡くなったからかもしれません。

おばあちゃんが作る毛糸のくつしたは、ごわごわで大きいので、くつしたなのに靴の下にはけません。すこしぶかぶかで、へんてこな模様が入っていて、でもとてもあたたかいくつしたでした。

いつからか、おばあちゃんは編みものをしなくなりました。
毛糸玉と編み棒が部屋にころがっていることもなくなりました。
うどんも作らなくなりました。
私を見ても、誰だかわからないようでした。
おばあちゃんは、認知症になっていました。

認知症になってから叔母の家で暮らしていたおばあちゃんは、あまり話しませんでした。にこにこして椅子や床にちょこんと座っていました。私がときどき話しかけたら、敬語で返事をしました。それは、身のすくむようなかなしさでした。

高校生最後の晩秋に、叔母の家に行きました。
おばあちゃんは、自分の力で立つことも歩くこともできなくなっていました。
叔母と母がおしゃべりをしている間、私はおばあちゃんの隣に座っていました。何をするでもなく、ぼんやりとしていました。ふと、テーブルに置いてあるかごにみかんがいくつか入っているのを見て、おばあちゃんがみかん好きだったことを思い出しました。

そこで、みかんをふたつ手にとって、おばあちゃんにひとつ差し出しました。
「おばあちゃん、みかん食べる?すきでしょう?」
おばあちゃんは、みかんを受け取り、
「ありがとうございます」
と言いました。私は胸の中がぐらぐらと揺れました。
今、おばあちゃんにとって私は何者なんだろう。

すると、おばあちゃんは震える手でみかんの外皮に爪を立てようとしました。
私はあわてて、
「あ、むいてあげるよ」
と言いました。しかし、おばあちゃんは難しい顔をしたまま、みかんを渡そうとしません。そのまま、みかんの中心部の少し引っ込んでいる部分-ヘタのない方-に爪を立てて、左右にひっぱり、ぱかっとふたつに割りました。
しゅっと透明な汁が細かく散って、すっとした柑橘のにおいがしました。
そして、半分は自身のひざに置き、もう半分は私の手の上にのせてくれました。
にっこりと笑って
「どうぞ」
と言って。私は、泣いてしまいそうでした。
渡された半分のみかんを見つめて、自分用に取っていた、もうひとつのみかんをそっとかごに戻しました。
おばあちゃんの手はからからに乾いていてあたたかく、渡されたみかんは少しすっぱくてあまい味がしました。

おばあちゃんが亡くなった冬の日は、すっきりときれいに晴れていました。
私は、たくさん泣きました。でも、焼き場で最後のお別れをするとき、棺桶の中のおばあちゃんは、微笑んでいました。みかんを半分こした、あの日と同じ微笑みでした。
やさしさを忘れずにね、と言われた気がしました。

今年もたくさん、みかんを食べましょう。
いくつかは大切なひとと半分こして食べましょう。
渡すときはもちろん、微笑みを添えて
「どうぞ」
と言って。


今回も、最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

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