【後編】世の中から寂しさをなくしたい ほぼホームレスだった僕が代表取締役になるまでのストーリー
こんにちは、トピカ代表の麓(ふもと)です。
今回のnoteは自己紹介の後編。
前編はなかなか波乱万丈のストーリーでしたが、ここから僕が大手ゲーム会社の社長へプレゼンをし、年商20億円のサービスを開発したり、トピカを創業したりと好転します。
前編と合わせて、ぜひ後編もご覧ください。
ホームレス麓 転職活動は開口一番に「なんでもできますけど、雇いませんか?」
家なし無給労働、リボ払いと散々な生活をしていた僕ですが、ここである転機が訪れます。
その頃海外でFacebookが流行りだし、日本ではミクシィが第三者のデベロッパーにアプリ開発をオープン化するタイミングでした。
「これはチャンス!」と思い、ミクシィが日本のFacebookになるかもしれないと感じました。
当時勤めていた会社でゲーム開発のプロジェクトが始動しており、そこではなんと、昔作ったゲームのユーザーは3人でしたが、今回は数千人ものユーザーが。
「この市場は今後伸びる」、そう思ったものの、全くマネタイズは出来ておらず。
ついに僕はやっと気づきました。「なんで給料も貰わずに、こんなことしてるんだろう?」と、一本の糸が切れました。
ソーシャルアプリ(今のソシャゲ)の市場は熱い、自分がゲームを作れる、でも今の会社は給料がない。
そうなると答えは一つ、「ソーシャルアプリの開発で伸びる会社を探そう」。
当時はもう借金が200万円ほどになり、出社はズボン1本とシャツ2枚のローテーション。
僕はさまざまなニュースを漁り、一つの会社を見つけました。
それが僕の前職、ポケラボです。
当時ベンチャー企業が1,000万円調達したら良い方なのに、ポケラボはシリコンバレーのファンドから10億円を調達していました。
僕は「間違いなく、ここは巨大なIPOかM&Aに着地する」と感じ転職を決意。
しかも従業員数は8人、絶対的なビッグチャンスだ。
すぐさま連絡をして面接を調整してもらいました。
面接が始まってからは猛アピール。ここでチャンスを逃したら人生終わりだと思ってました。
21歳の社会人経験もまともにない子供でしたが、なんとか面接をしてもらい、プログラミング、デザイン、営業から企画、何でも出来ます。
むしろ、家も給料もない環境で働いているので何も望みませんとアピール。
幸運にも面接していただいた共同代表の二人が気に入ってくださり、無事内定をいただけました。
前職の初任給が30万円に対し、ポケラボは16万円。
「少ないな。いや違う、今の僕、給料ゼロに加え借金200万円だろ」と思い直し、プログラマー兼ディレクターとして第二の社会人人生をスタート。
ひとまず2,000万円ほど予算を預けるから。とのことでゲーム制作を開始。
当時の社長が「めちゃくちゃすげえ企画考えたぞ!」と、自信満々に企画書を僕に手渡してくれました。これでゲームを作ってくれと指示が来ました。
21歳の入社すぐの人間に予算を渡して、ゲーム作りを指揮しろだなんて今思えばすごく大胆な発想だったと思います。
企画書には、
「海賊のゲーム、
海賊王を目指すために船をカスタマイズ」
「え?たったの2行ですか?」、と思いましたね(笑)
自信作の企画書が、まさかのテキスト2行。
それでもどうにか、アイディアを膨らませリリース。
しかし結果は大すべり。
1週間でクローズの判断となりました。
正しくは、初速が悪すぎたのでこのまま続けても意味がないと思い、自分で作ったゲームを自分でクローズ。
経営陣に直訴しましたが、それが原因で他のメンバーからの風当たりは強くなり、結果的に干されてしまいました。
結局プログラマーとしていちからやり直しになった僕ですが、その後1年ほどでiPhone4が市場に出回り、新たなブームが。
そこで僕は、本格的にゲームディレクターとして成功を収めることとなります。
「若造、早めに終わらせてくれ」 アウェイのプレゼンをひっくり返した一本の企画
ポケラボに入社したものの、当時10億円の資金をほとんど使い果たし、もう次はない。
そんな時に大手ゲーム会社が、「資金はあるものの、ソシャゲ市場に攻め込みたい」と、提携先を探していました。
社内公募だったため、もちろん立候補。
「とりあえず、1週間後プレゼンしといてね」といった温度感。
当時の僕は、全く期待されていませんでしたね(笑)。
それでも1週間寝る間も惜しみ、企画を作り上げました。
そして当日プレゼンを行うため会場に行くと、そこには見るからに上層部であろう人が3名。
後から知りましたが当時の社長、役員、子会社の社長でした(笑)。
プレゼン先からすると、そこに来たのは自らのゲームを1週間でクローズした経歴しかないほぼ新卒の若造。
もう空気感で伝わってきていました。「何をしに来た」と。
部屋に入るなり、「うちらみたいなゲーム会社の期待を上回るような企画あるの?早めに終わらせてもらっていいかな?」
なんだか、僕の人生ってこんなことばかりですね(笑)。
これくらいのことは予想していたので、動じずにひとまずプレゼンを開始。
超大手のゲーム会社に対して、ゲームのシナリオを提案する気は毛頭なく、僕が持っていったのは”ソシャゲを使って稼ぐ方法”でした。
当時の企画書のタイトルはSuperGame。タイトルも、デザインも、ストーリーも0のゴリゴリのロジックだけの企画書です。
はじめは僕に興味がなかった経営陣が、ソシャゲの歴史やロジック、マネタイズについて語ると目の色を変える。
最終的に「このロジックと御社のエンジニア、デザイナーがいればどんなゲームでも売れるようになります!」と伝えると、会場は大盛りあがり。
そこで初めて「本当に面白いアイディアだ!そういえば、自己紹介していなかったね」と、3人が自己紹介をしてくださり、初めてお互いを認識。
そして嬉しいことに感銘を受けて下さった社長が、その日の社内報で僕のことを取り上げてくれました。
タイトルは、「今日はとんでもない若者と出会った」みたいなニュアンスです。
その結果当時まだ僕は22歳でしたが、プロジェクトリーダーに抜擢。
ゼロからチームを作り一つのサービスを展開。
4,000万円ほどの予算を預かり、最終的に20億円の売上を記録するサービスを作り上げました。
そのときに作ったSuperGameのエンジンを他のタイトルにも転用することで、ポケラボは数タイトル連続のヒットを記録し会社は急成長へ。
そこからポケラボは1年半で200人の増員、売上も数十億円を突破。
ちょうどその時グリーがポケラボを買収したため、コアメンバーだった僕はストックオプションを買っていただき借金返済、人生をリセット。やっとひとり暮らしができるようになりました。
そして次のステップへ進みました。
23歳で振り返る人生 自分が求めていたことに気づいた瞬間
次のステップとして、僕はグリーグループに入り3年間勤務しました。
当時グリーグループでは年収も同世代より多くいただけましたし、優秀なかたが周りに多くいました。不自由はなかったのですが、ある事に気づきました。
やることがなくなり、やる気を失っていたのです。
僕がポケラボに入るときにたてていた目標のほとんどは達成してしまっていました。
貧乏から脱出したい、拾ってくれた創業者を幸せにしたい、お世話してくれた先輩を担ぎたい、ユーザーが喜ぶゲームを作ってゲームクリエイターとして認められたい。
それらが満たされたときに、無気力になってしまったのです。
自分が辛かった時、一生懸命頑張ってたときに周りにいた”嫌な奴”。
今の僕はその”嫌なやつ側”に足を踏み入れている。
年収も高いし周りも支えてくれる人も多い、正直悪くはないです。
何をやっても、言っても許されるような環境。
でも目標もなく、「このままで楽しいのか?」と自問自答する日々に。
このままでは腐ってしまうと思いやりたいこともないけれども、グリーグループを退職。
その後は気の向くままに国内外様々なところを旅したり、いろいろな起業家に会っていました。
人生をリセットし改めて考えた時、「起業とかビジネスとかって、目的が大事だ」と再認識。
そこで「僕は何のために働いてきたのか?」と過去の自分と向き合い、未来を決めるために一度立ち止まりました。
結局僕は、お金を稼いで遊びたいわけではなく、「世の中の寂しさをなくしたい」と、自分の中で一つのビジョンを発見。
前編で言った通り僕は震災を経験し、理不尽な寂しさの中で幼少期を過ごしました。
そして学校にも行かず友達もいない、そんな中で出会ったのがインターネットとゲーム。
そのエンターテイメント性に惹かれ、ゲームディレクターとなり自己肯定感が上がりました。
つまり、自分がこうしてサービスを作ることは、どこかで寂しさを感じている人を救っていることに気づきました。
僕は、自分が持っているインターネットとエンターテインメントの能力を使って、あのときの自分のような社会に不満を持っていたり、寂しさを持っている人の気持を救うために生きてるんだ、そう気づきました。
その瞬間、改めて自分が貫いてきたことが正しいと認識。
インターネットを通じて、人と人をつなぐビジネス。最高だと思いませんか?
結局僕は、ただのゲーム好きではなく、「人同士を繋げ、寂しさをなくしたい」。
そんな思いが根底にあることに気付かされました。
そして、動画の領域でトピカを立ち上げ、多くのコミュニケーションが生まれるプラットフォーム上で情報発信に関わるビジネスを提供しています。
これが27歳のときのこと。
最後に。
ここまで僕の自己紹介を読んでくださりありがとうございます。
学校にも行かず、友達もいない。入社初日に追い返されそうになり、さらにリリースしたゲームも1週間でクローズ。
いろいろ苦しいことがあったからこそ、トピカを立ち上げ、今の僕があると思います。
次回は「なぜ動画領域で会社を立ち上げたのか」「トピカでは何をしているのか」など、今の自分にフォーカスした内容でnoteを書いていきます。
ぜひご期待下さい。
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