コロナ禍の日本帰国(友人編・超ストレスフル)

あれは2021年、一年遅れで開催された東京オリンピックの年だった。

我々夫婦は、彼女とパリ、シャルル・ドゴール空港でJAL出発ゲートで、知り合った。
そこで乗客の陰性証明書のチェックが行われる。
当時、出立地ベルリンの出発時間より遡ること72時間以内のコロナ検査陰性証明が必要だった。

彼女の検査、なんと72時間30分前施行という、悔やみようにも悔めない時間が記載されていた。

彼女のことを心配したのは、彼女の歳、全然そう見えない若わかしく美し〜い人であるが、古希に手が届きそうなお歳だったため。
そして、彼女がピアニストだったためである。

ピアノの方達は、幼少から長時間ピアノだけと向き合っている結果、「ピアノ馬鹿」(スミマセン!)が多い。
ピアノから離れると、世間知らず、常識はずれ(ホントごめんなさい!)、という人が結構居る。

彼女がそういう人だったら、果たしてこの危機を乗り越えられるか⁉️と思ったのである。
わたしの連れ合いは、JALの職員に彼女のアテンドを頼み、彼女とは連絡先を交換した。

1週間後、我々は、自宅で自己隔離を強いられていた。
思い立って、彼女に連絡してみた。
無事に入国できたかしらん?

彼女は日本の実家に居た!(万歳🙌)

我々と別れた後、パリの空港内の検査場に行き、検査数のせいか、ラテン系のチンタラした仕事ぶりのせいか、「検査結果が受け取れるのは1週間後」(普通は高い料金を払えば数時間後)と言われる。
仕方なく、パリの街中の検査場に行く。
彼女が解するのは、日本語、ドイツ語、英語(まあまあ)イタリア語(まあまあ)。
英語、イタリア語でなんとか意思の疎通を図り、検査にこぎつける。数日後の夕方、証明書を受け取れるとのこと。
その日はパリ泊。

数日後、検査場に行く。
指定された時間なのに、守衛が「今日はもうお終い。」と門を閉めようとする。
喧嘩して警察を呼ぶ騒ぎ(スゴ…)となり、無事、陰性証明ゲット。

そう。
彼女は、我々が心配したようなタマではなかったのだ。
お上品な立ち居振る舞いに反し、猛烈に強い人だったのだ!

やっと日本に到着。
しかし、また問題が。

当時、ドイツは感染者が少なく、ドイツからの日本入国には、強制隔離は無かった。
しかし、フランスの感染者数は多かった。
フランスからの入国者は、厚生省御用達のショボいホテルで、3日間閉じ込められて過ごさねばならない。

同じくベルリンから日本に向けて飛び立ったのに、30分の間違いでこの差。
彼女は、帰国時間のほとんどをパリ、日本での強制隔離と自主隔離で終えることになった。

後に、彼女がベルリン移住前、ウィーンに住んでいたことを知る。
極右の悪名高いイエルク・ハイダーが台頭してきた時代に当たる。
ただでさえ、外国人に優しくないオーストリアで移民排斥を標榜するハイダーが力を得る。
一時は、パン屋でパンを売ってもらえなかったこともあるそうだ。

お嬢さま育ちの上品さと、強さ。
しかし、72時間をキッチリ計れないおとぼけな彼女との交友はこうして始まったのだった。




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