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文庫本と文庫箱

文庫本とは何だろうか?
                  一 文庫箱は知っている。


もしかして?
文庫本に入る書籍を文庫本と呼ぶのだろうか。と勝手に思い込んでいたら…眠っている間に世の中はタブレットとなるもので文字を読む事を読書と呼ぶ様になった。
スマホもタブレットも文庫箱に入る。タブレットで誰かが書いたものを読む事も読書と言うのだろう。

横書きに慣れましたか?
私は、縦書きの方が「読書の時間」という事を感じられたりするのは、横書きの書類からの逃避だろうかと自己心理を最近、発見しました。

故にタブレットだとしても縦書き、横書きは必要なのだろうかと、AmazonKindleを眺めていたら自由な世界を垣間見て、昔の気持ちを思い出そうとしてみたり、古びた紙の匂いを感じる為に本棚を置く事から卒業してみたり令和な時代は心が忙しいです。

令和な時代にタブレットで縦書きのモノクロの文字を追う事も、それはそれでそれなのです。

それはなんと不思議な感覚。
アナログをデジタルで味わうという。

ロボットに作らせた味噌汁の如き味を
味わう事が令和な時代なのかもしれないと
思えたりするのです。

半分引き籠もりを始めたので、ネット上で知人を増やすのも悪くはないでしょう。

スマホもこうしてみると文庫本に見えてきます。


NOTEは横書きです。

他人に見せる為のNOTEは本心は書いてないでしょう。

嘘だらけのNOTEの利用法は
「何かの宣伝」らしいので、利用してみようと思いました。

世の中には「宣伝」というものが至る所に目につき、不快な気持ちと有難い気持ちが混ざり合う憂鬱さと利便に溺れる哀しみを感じながら暮らしてはいます。

あっ?
すいません、文庫箱の中身が溢れ出した様です。

それでは、永田フミを宜しくお願い致します。


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