見出し画像

10回目の3.11

久しぶりの投稿です。
いまの仕事は、相変わらず多忙で、
でも、毎日充実していて
時に苦しくて、いや、苦しいことばかりで。

春の訪れを感じさせる風に耳を澄ませ、
散りゆく梅の花びらを眺めながら、
一人、白湯を片手にほっとひと息つく。

もうすぐ30歳を迎える私は、いま、
本当に、人生っていろいろだな。
何が起こるかわかんないな。と
これまでの自分の人生を振り返り、
斜め上くらいの角度から客観的に自分を見つめている。

自分以外の「他」は
自分の力じゃどうしようもできない。
事件、事故、天変地異。
変えようたって変えられない。

自分と関わる方々、自分と関わる環境、自分に訪れるチャンス
これも、自分で判断して、選択することはできるけど、
ひと、環境、もの自体は変えられない。

だから、自分自身が
その物事をどう捉えるか。
どう解釈して、どう受け入れて、どう前に進むか。

「受け入れる」ことのできる力。
受け入れるってすごく難しいように思う。
自分の感情、体調、モチベーション。

自分が思い描く自分像と
そうできない、いまの自分との乖離。
そのギャップから生まれる自己嫌悪。
前、できていたのに、
いま、できない苦しみ。

それに立ち向かうのではなく、
ありのままの、等身大の自分を受け入れる。
いま、ここにいる自分を受け入れる。

それが、いまの自分に一番必要とされている力なのかもしれない。

3.11。毎年1分間の黙とう。
いろんな場所で、手を合わせてきた。
北海道、高知、山梨。。。
思えば、まだ地元で3.11を迎えてないことに気づく。
ひらひらと舞う梅の花を眺めながら、ふと思った。

「オレは、地元に何かできているんだろうか。」

私のいまは、正解なのか。
私の選択は間違っていないか。

友達にいつも言われる
「遠藤って、酔っぱらうと山田のこと語りだすよなっ!」と。
自分は、想いだけで、口先だけなのだろうか。

3年前のFacebookの投稿より-------

「震災の“悲しみ”を伝えるとして、
 自分は家が流されたけれども、当時そこにいたわけではない。
 だから、いくら故郷に想いをよせたって、当時地元の人たちが
 感じた悲しみは伝えることができない。
 被災した人の中でも、家を無くした人は、家族を無くした人の悲しみを
 伝えることはできない。
 東日本大震災で被災した人だって、熊本地震で被災した人の悲しみは、
 共感はできるだろうけど、伝えることはできない。

 と思うと、3.11は、
 当時、一人ひとり、各々が抱いた感情に真正面から向きあい、
 いまの自分に問いかけ、落とし込み、決意を新たに再び一歩を踏み出す
 キッカケになる日なのかな。。。」
---------------------

経験こそが自分にとっての真実であり
経験からくる言葉こそが、相手の心を揺らすことができる。

評論家は、世の中にあふれるほどいるけれど、
私は、自ら動く、実践者でありたい。

だから、私は、前職を辞め、
自分で動いて、自分で経験して、みんなに想いを届ける
その人生の道を選んだ。

震災から生き延びた自分にできること。
それは、全力で生きること。命を燃やすこと。

楽しいこともうれしいことも
つらいことも悲しいことも
全力で感じながら生きていきたい。

たまに、全力すぎて、めちゃくちゃ疲れるけど。
ほどよく休憩しながら、
それでも日々を、1分1秒を大切に生きていきたい。

自分が死ぬ瞬間、走馬灯のように
今まで生きてきた出来事が駆け巡るだろう。
その時に、後悔しない決断がちゃんとできているだろうか。。。

何かが起こったとき、何かで悩んだとき
私の判断基準は、そこで後悔しない決断をすること。

いまの自分を振り返り、
自分自身に、そう問いかける。

10回目の3.11。
覚林坊の桜寺栖(さくらてらす)で、故郷を想いながら、ここに書き残す。

3.11。
この日、この時間は、
当時抱いた自分の感情に立ち返り、自分の人生を振り返る。
そして、自分の現在地を確かめ、自分に問いかける
私にとって、とてもとても大切な日。

                 2021.03.11  遠藤史哉

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?