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「ブールヴァールのパリ」と「水路の江戸東京」 / パリレポート第2回

 こんにちは!

 パリで5泊。本日はパリを出て、ボルドーに向かっています。ボルドーでは2泊しますが、街をのんびり眺めながら、美味しい食とワインを楽しみたいと思います。これから、TGVに乗って、ボルドーに行くのですが、TGVを予約していたつもりが、TGVの廉価版が現在、出ているようで、Ouigo(ウィゴー)という新幹線に乗って向かいます。と言っていも、車体はTGVと変わらず、普通に駅にとまっている新幹線にTGVもあれば、Ouigoもあるという不思議な状態です。

 フランス国鉄 (SNCF) の子会社が運行しているようで、運行経路も広げ、かなり市民権を得ているようです。そりゃ、安いので、いいですよね。笑

 今日はフランス国鉄の小話をしながら、パリで行われた最大と都市改革であるオスマンによるパリ改造と江戸東京の都市整備について、そして、その違いについて、コラムを書いていきたいと思います。

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パリのTGVの価格設定が面白い

 フランスの新幹線のTGVですが、価格設定がめちゃくちゃ面白いのです。価格が、需要供給を読み取り、刻一刻と変化しているのです。笑
めちゃくちゃ稼ぐためのシステムが整っているようで、人気が出て、チケットが減ると高くなり、人気がないと価格が落ちるようで、面白いのが、先に買ったほうが安いというわけでもなく、後から買ったから高いということもなく、あくまでも、その時の需要供給によって決まるため、かなり運次第というところのようです。
 調べてみると、場合によっては一等車の方が、二等車より安くなるみたいなチグハグなことも起きるようで、それも需要供給を読み取って、そうなってしまうようです。笑

 面白い仕組みですね。妻がチケットを買ってくれたんですが、値段が時刻で全然違う!!なんでー!!何がちがうのかなー?!安いということはやばい新幹線なのかなー?!となっていたので、調べてみると、需要供給から常に金額が決まっているとのことです。そこで、たまたま到着時刻の良いTGVをとったところ、Ouigoだったという感じです。

 ちなみに、現在、TGV自体もTGVという愛称ではないようで、Ouigoがスタートする時に、フランス国鉄のサービス全体をブランディングしたようで、「Oui」を文字って、廉価版鉄道サービス事業を「Ouigo」、高速バスサービス事業を「Ouibus」、レンタカーサービス事業を「Ouicar」としているようです。
 ちなみに「Oui」はウィー、つまり「Yes」という意味です。ウィームッシュとか言いますね。あれです。
 そして、廉価版ではない正規のTGVは、「inOui」とリブランディングされたようです。inQuiには、「前例がない、驚くべき」という意味もあるようです。
 なので、駅に行くと、QuigoとinQuiがどちらもあり、紛らわしい感じです…笑

 ちなみに先ほど、乗る時にチケットをスマホで見せたら、「このチケットはここじゃない!!別の電車に乗れ!」とか言われたので、「This is Ouigo ticket!!!!」とおっさんに言い返したら、やっと老眼鏡をかけて、もう一度、見てきて、そしたら、「ここだ!」と言われて、一安心して、Ouigoに乗れました。笑
 最初から、ちゃんとみろよ!と思ったわけですが、日本ではあり得ないですが、相手が間違っていると思って、常に言い返さないとダメですね。

 そんな、フランスの鉄道話の前置きが長くなりましたが、パリのまちをよくよく観察してきたので、それについて今日はコラムを書いていきたいと思います。ちなみに今回は前編で、後編は後日、アップしたいと思います。

パリのオスマンによりパリ改造/都市計画 / 衛生環境を整える

 パリの街は、そもそも新築がそもそも不可能なので、古ければ15世紀からの建物があり、築100年以上は普通なわけです。
 そのため、リノベーションが大前提で、さらには、ブールヴァール/大通りの景観を大切にしているのが分かります。
パリの都市を見る時には、オスマンによるパリ改造がベースです。
 パリ大改造とは、セーヌ県知事のジョルジュ・オスマンが取り組んだフランス最大の都市整備事業
で、都市計画を学んだ人には、絶対に出てくる内容です。
 1800年代後半にオスマンのパリ大改造では、ブールヴァール/大通りが立派な都市軸となり、パリの大きな都市資源になったのです。

 代表的な例として、凱旋門のあるエトワール広場から12本の通りが同心円状に広げ、パリの街並みをつくっています。

 特に、サンジェリゼ通りの大きなブールヴァールは、立派な都市軸で、凱旋門のあるエトワール広場から始まり、今回、パリオリンピックの聖火台となったバルーンの浮かんだチュイルリー公園、コンコルド広場のオベリスク、ルーブル美術館(ルーブル宮)への眺望をつくり、コンコルド広場からルーブル美術館にかけてはセーヌ川に並行して、走ります。

左にチュイルリー庭園と聖火台、右にルーブル美術館


凱旋門からシャンゼリゼ通り。その先に、コンコルド広場のオベリスクとオリンピック聖火台のバルーン。


 そもそも、このブールヴァールをつくるパリ改造の背景には、元々のパリは細い路地が多く、そこにゴミや汚水が路に溢れていて、さらには太陽光も入ってこない、薄暗い不衛生な都市だったようで、それを改革するでした。
 そのため、コレラなどの病気も流行り、都市経営上、まずい!ということになり、オスマンとパリ大改造が始まり、通りは直線にして、ブールヴァール/大通りへと拡幅して、通りとセットで下水道を整備して、都市を再生していきました。

 通りを拡幅し、直線にするため、かなり強制的に建物をスクラップandビルドしています。なかなか、今では出来ないやり方ですよね。日本の場合、私有財産の保全が強いため、マンションの区部所有すらほぼほぼ解散できない状態ですので。

 オスマンの大改造では、土地収用法に「超過収用」という新たな近代的手法を導入した。
  これは、新街路の用地だけでなく、両側の開発用地も強制的に収用するもので、収用(強制買収)した土地は、連続したファサードの統一性を保証するための規制(街路幅員に応じた高さ制限のほか、各階や屋根の高さ、天窓の張り出し方のルール化、一定のデザインのバルコニーや軒線、屋根をもたせる売買契約条件等)をかけたのち、開発業者に売却されたようです。


恐らく、オレンジ色の部分が拡幅したところ。他にも多分あるはずで、この地図ではオペラ通りが塗られていないので。


 特に、通りにある建物のファサードを整えるためにも高さを整える部分は緻密で、d/hといって、建物の高さHと前面道路の幅Dとして、前面道路に合わせた建物の高さを設定して、通りのファサードを統一して、都市景観にこだわっています。

整ってますよね。

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