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日日と魂に:子育てや疾患についての走り書き_12

2024/4/15
広いとはいえないアパートの一室で、名前も知らない公園で、後部座席に設置したチャイルドシートで、娘がはしゃぐ姿を日々眺めている。へらへら、にやにやとそちら側へ引っぱる笑いを投げかけてくる。簡単に表すと、宇宙人に恋をしているような気分。何を考えてんのか、いつ、どの景色や物をどう感じているのか、さっぱり分からん。システムが読めない。バイオリズムも判然としない。ついさっき、娘と二人きりのときに急に塞ぎ込んで居間で体を丸めてしまった自分の頭を娘が優しく撫でて、まさか心配したのかと目がしらを熱くして頭を上げたら顔面をビンタされた。効いた。ずるずる生きている場合ではないと気付かされる。痺れ切った。
自分以外が作ったたんこぶを見て吐き気がするほど心配になる自分など初めて出会う。

4/18
娘、はやり目疑い?この日は3回目の眼科受診。妻が付き添いに遅れ、初めて二人で。待合室にいると女医が来て他の患者を差し置いて我々を診察室奥の廊下へ連行、感染症対策か?それにしてもわざわざ医師自身が、と思っていると「前回なぜすぐ予約を?困るんですよね、感染の可能性がある病気だということを意識してもらいたい(妻にあと聞きすると事務受付に勧められていたらしいが)」と伝えられる。あ?と思いつつもつとめて冷静に「目やにも全く出ないし、目も白く見えるので診せに来たんですけど、保育園も十何日も休んでますし、素人はどこを見て受診日を判断すればいいんですか?」と指示を仰ぐと「そりゃこういう(女医が手に持っている)器具を使わないと」と回答あり。会話がぎくしゃくし始めている。娘は大汗をかいて泣いている。「じゃあ、わからないから来てしまいませんか?家に器具が無いので」、「いやいや他の患者さんの迷惑になるんです」。ぎくしゃくというかもう外れてしまった。「発症から2週間経ってますが」、「私も今日いけると思ってたんです、3週間かかる人だっているんです」。「3週間?初耳ですし、そもそも1回目から流行性の診断もされてないです、娘の目の状況が知りたくて受診を続けているのですが。では、レボフロキサシンがなくなりかけていますので処方いただけますか」、「ありえないですよそんなの、使いすぎです」。父、冷静さを維持すること叶わず。修行足りず。「娘が泣いて暴れるので失敗するんです」、「たしかにギャン泣きされますもんねえ、親御さん本当に感染しないようにして下さいね(注意意識が足りないと鼻で笑われるようなイヤミさを感じる)」。ああ不甲斐ないのは俺かもしれんが家族まとめて馬鹿にされたガッチーンこの女社会的に処刑する、というように感情抑えられず。この医師、前回妻に言えなかったことを俺にぶつけてるのだろうか等々状況を客観視することに努めた。結局処方箋はくれたものの、女医自ら父娘を外へ連れ出すバイ菌扱いで、対応としては仕方ないがやり方、アピール、他患者への医師としてのプライドのプレゼンなど全て感情的すぎないか、一連がやばい、苛立ちはピークに達し、なんとも愚かで女々しい父親は経緯を電話で妻に説明、妻激怒、当日セカンドオピニオンを受けられる他医療機関へ。18の時1分前に滑り込み。ここからは同伴した妻の話し。哀れな父は車内で興奮を鎮めることに集中していた。
酒焼けした声色の女性看護師が「どうしたの?何があったのか話してみてー、問診票書く間抱っこしとくから」と話し、悪くない印象を抱く。かくかくしかじかと伝えてみると「こーんなに目白いのにねえ」。こんなに違うものか。診察の番が回ってきて、今度は男性眼科医が対応。「はいどうしました?」「え、そんなこと言われたの、そのクリニック混んでるの?来たら困るなんて、まー、よっぽど混んでるんでしょうねえ」「まずね、はやり目で目やに出終わって赤いだけぐらいじゃ感染なんて簡単にしません。充血が残るなんて当たり前です」「出されてる抗生剤も弱いし。ステロイド使わない先生なのかな?目薬さす回数減らしましょう、子どもが暴れるのは当然なんだから」「もう3〜4日さして終わりでいいです、保育園も明日から行っていいです。どうしても心配なら来たらいいんじゃないですか。3週間もかかるなんて言われたら誰だって心配しますけどね、はやり目基本3日前後でだいたい治りますから、もうね、この子は目ぇ真っ白ですから。ちょっと赤いだけ。これ引くの待っててもそりゃ時間かかります、もういいです、終わり!」「登園許可証?書きますから。はい」帰宅後、女医がくれた点眼薬の処方箋をびりびりに破り捨てた妻。気が立ってたが、その姿を見て笑い、心から落ち着いた。妻も娘も「頑張ったね」と手を握ってくれる。

6/12
X(旧Twitter)のフォロー欄を何となく眺める。どうやらフォローした順番に並んでいる。知り合った順に、興味を持った順に。名前も生き方も変わったらしい人のアカウントは、相互でなければ外した。名前を見るだけで懐かしくなる面々のツイートをチェックすると、いまも続けている人と、各々のタイミングで止めている人が存在する。自分のコミュニティの変化や興味の幅の変容も丸分かり。逆に変わっていない気がする人たちがいま東京にいるとかいないとか、そういう何気ない内容を見て勝手に妄想していたらふいに涙が溢れた。優しい人に囲まれている。自分のシステムは止まってしまったのに、まだ受け入れてくれそうじゃないかと静かに動揺した。諦めていた関係性は、まだ何本も残っているのか?表現が偏屈だ。自分も何か発信してみよう、もう一度欲望と向き合おう、と固く決心。私の中の裂け目を覗き込むには何から始めたらいいか。時間がありあまるほどあるのが唯一の救いだ。

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