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初詣と墓参りは思い立ったが吉日


今日のハイライトです。


幼なじみと平泉・一関へ。

気が良い気がして好きな毛越寺に初詣にきた。今日は1月29日。遅過ぎると思うかもしれないが、私たちは今年初めて詣でたのだから、れっきとした初詣だ。今年もよろしくお願いします。

そうそう、初詣に一緒にきた「幼なじみ」とはもう20年以上続く仲なのだけど、幼なじみだと思っていたのは私だけだったということが、昨年発覚した。私が友人や仕事仲間に「幼なじみなんです〜」と紹介していたら「え、でも幼なじみではなくない?」というようなことを言われてびっくりした。

小学校の入学式の帰りに昇降口で話したのを機に仲良くなって、中学も一緒で、仲良く喧嘩もして、高校は離れたし就職地も離れていたけどちょこちょこ会っていて、お互い気仙沼に帰ってきてからも実家に上がってお茶っこ飲んでたまにおすそ分けしあったりして、気の置けないやりとりが定番で。これを幼なじみと言わずなんと言う。

彼女が言うには、「幼稚園から一緒で本当に家が近い子」を幼なじみとしているらしい。確かにそうか。就学前は別だったし、同じ学区だけどまぁまぁ家は離れてた。じゃあ、違うか。

でも、彼女が私を幼なじみと認識していないだけで、私にとって彼女は幼なじみなので、それはそのまま置いておこう。片思いみたいでちょっと恥ずかしいけど、今こうして仲良くさせてもらっているのだから、なんでもいい。

それで話を戻すと、わたしは昨年ばあちゃんのお墓参りに行けなかったことにずっとそわそわしていた。友人が先日実家に泊まった時に「あなたのおばあちゃんの夢を見た」というので、これは行かねばならないと思った。そして幼なじみに相談し、お墓が岩手側にあったので平泉にいくならと立ち寄ってもらうことに。幼なじみは運転して私をつれてきてくれて、道の駅でお花まで買って供えてくれた。彼女はすばらしい幼なじみなのだ。

沢木耕太郎さんの『旅のつばくろ』を借りて読んだばかりで、とあるページにあった墓参りの仕方がとてもいいなと思い、取り入れさせてもらった。キンキンに冷えた水道から出たキンキンの水で手拭いを濡らし、硬めに絞ってお墓を拭いた。いつもは水をかけ流して軽く拭いておわるのだが、こうして拭いていると、いつもより近くにばあちゃんを感じた。ばあちゃんの好きな赤色の服を着て行っていた。喜んでくれていたような気がする。墓参りもまた、思い立った時に参ろうと思った。

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