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おかえりモネが教えてくれる「痛みを想像する力」

最近のおかえりモネ気仙沼編は朝観るのが精神的にしんどいので夜に見る癖がついている。

登場人物が抱える痛みを丁寧にストイックに描いているので、そのこだわりをひと時も逃すまいとつい真剣に見入ってしまう。


------------以下、今週のネタバレ有ります------------


今日は特に見逃せなかった。新次さんが家にいると言っていたけど本当は港にいたシーン。ガラケーの壁紙には笑顔のミナミさんとりょーちん。新次さんはそれを握りしめ、海の向こうを見上げる。港全体が映る引きの絵。もう、言葉ひとつ発していないのに、「ミナミ、ありがとう」「りょうが帰ってこれて、良かった」「俺が今大事にすべきものは……」そんな思いが伝わってくる。新しく、次へという名前も憎い。一人だけ時が止まり過去にとらわれて動けない彼は、新しい次の世界にもうすぐ行けるだろうか。

りょーちんがやっとこさ吐き出した本音。見ているだけで苦しくなってしまうほど心がボロボロなのが立ち姿や言葉の圧力から伝わってくる。今にも消えそうな火にほんの少しずつ薪をくべるかのようにりょーちんと向き合うモネとみーちゃん。大切な人を受け入れた瞬間から、失う時の恐怖に押しつぶされそうになるりょーちん。良いんだよ。少しずつ幸せになっていこうよ。大変なことも一緒になんとかしてこーよ。大切な人が側にいることは、確かに怖い。でも同時に最ッッ高に嬉しいものだよ。今目の前にある愛情をしっかり味わってこうよ。そうしようよ、りょーちん。(とか安直に言ってしまう私はおかえりモネのストイックさを台無しにしていますねごめんなさい)

「大丈夫」って笑いながら「お前に何がわかる」って思ってたりょーちん。満身創痍の彼に「私には分からない」と言えるモネ。正しいけど冷たい、かもしれない。でも、私はその向き合い方が誠実で好きだ。だってその人の苦しみはいくら想像してもその人にしか分からないから。簡単に分かられてたまるか。簡単に分かってたまるか。「分からないけど、側にいて分かろうとする努力をやめない」って、めちゃくちゃ難しいことだけど丁寧な愛情だなと思うんですよね。

傷つき、傷つけ合う人生。チクっと痛むこともあれば、ズキズキと痛んだり立ち上がれないほどの鈍痛になることもある。その傷は治ると同時によりたくましくなることもあれば、一生痛みと付き合っていかなければならないこともある。刻まれた傷の分だけ他人の痛みを推し量ることができる。でも、できるなら痛みのない方がいい。幸せに生きた方がいい。痛みが無いなら無いなりに、想像できる人でありたい。「今私、人を傷つけてしまったかもしれない」と思うことも多々ある。想像してもきりがないことなのかもしれないけれど……

相手の痛みを想像することは愛だと思う。分からなくても、分かりたいと思ってくれる人がいることは、生きる糧になる。分かりたいと努力することを私もやめたくない。私はヘラヘラ笑ってごまかしてしまうことが多い人間だけど、時には一歩踏み込みたい。私は踏み込んでもらうことで救われてきたから。りょーちんがずっと苦しんできたように、弱い自分と向き合うことは心底ツラい。それでも、踏み込んだ先に光が差すことだってある。不用意にはできないけど、大切な人と向き合う時にそれを忘れたくはない。

キラキラした分かりやすい展開の作品も大好きだけど、リアルな人間の喜びと痛みを細かく抜かりなく描く作品はものすごいパワーを感じる。リアルタイムで追えることに感謝!いよいよラストスパートだね。

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